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Muv-Luv SS 脇役 整備班の場合

 「とりあえず、コレ見てくれる?」

 差し出されたディスクを受け取ると俺は、再生機の中に手荒に押し込んだ。
 普段なら美人の訪問には諸手を挙げてお迎えするのだがその日の俺は、ちょっと違った。
 ……すでに遅い時間になっていたし、人数の足りない整備班の俺は連日の残業続きで苛立っていたのだった。


 彼女――香月夕呼副司令――がハンガーに来るのは、とりわけ珍しいことではない。
 なんでも、新造機の保護ビニールカバーを剥がすのがストレス解消になるらしく新造機が搬入される度に、
 俺は司令部に連絡をいれ彼女につき合わされるのだ。
 


 再生された画面には、吹雪が映っていた。僚機のガンカメラで撮影したものであろう。
 正直なところ映りはあまりよくない。
 市街地における戦術機同士の戦闘シミュレーションだ。

 ――ビルの残骸からすると西地区かな……。

 有り体言えば、よくある光景でしかない。
 わざわざこんなものを整備班の俺に見せにくるとは……。まぁお手並み拝見といったところだ……。
 茶でも飲みながら見させて頂きますよ。
 首をコキコキと鳴らしながら画面の前に俺は座った。

 ……一分後、俺は呻いて絶句した。

 ――こいつは……。

 ――きっと……。

 ――……変態だ。
 
 その吹雪の動きは異常としか言えなかった。
 整備班長である俺は戦術機のさまざまな動きを見てきた。
 並の衛士よりは戦術機の機動についても詳しい。
 戦術機の機動を理解できなければ整備などできないのだから必死になって研究していた時があるのだ。
 しかしこの機体の動きは今まで俺が見たことのないものだったのである。
 
 対BETA戦においていわゆる戦車が主力とならず、戦術機がその任をとるのはひとえにその三次元の機動にある。

 例えば突撃級BETAは前面に頑強な装甲殻を持つため、正面からの砲撃はほとんど無意味だ。

 これを攻略するには戦術機の三次元機動――すなわち突撃級を飛び越えその背後から劣化ウラン弾を叩き込む――が必要になる。
 これは戦車にはできない動きである。
 だからこそ戦術機には跳躍するための、そして着陸の際の衝撃緩和のための跳躍ユニットが搭載されているのだ。
 跳躍そして着地、ここまでは衛士なら誰でもできることだ。

 だがこの吹雪の動きはまるで違っていた。――いや、跳躍までは同じだ……だがこいつは空中で反転倒立し、
 なおかつ衝撃軽減のためではなく地表に向けてのフル加速をかましていやがるのだ!

 高位置エネルギーと反転噴射による長刀攻撃など今までやった衛士などいただろうか?

 少なくとも俺には聞いたことも、ましてや見たことなどなかった。

 その他にも、AMBAC(機体の四肢移動による慣性制御)――戦術機による後ろ回し蹴りなどは、整備班暦14年の俺ですらはじめて見る動きだった。

 ――長年、戦術機の機動は見ているが……。

 人間以上の動きができるのが戦術機ではあるが、この動きは忍者とでもいうか、とにかくもはや……
 
 
 「……変態ですね……」

 「そ、変態よねぇ」
 
 俺のつぶやきに、副指令は妙に嬉しそうに言葉を続けた。
 画面から視線を切ることができない。引き込まれていくのを感じる。


 僚機もなんとか付いていこうとしているが、その機動は雲泥の差がある。まるでドン亀にしか見えない。
 ここまで差がつくと、見ていて哀れになってくる。

 ――どこの部隊のエースですか?

 などという馬鹿な質問を副司令にはしない。

 機体には横浜基地のサインがはいっていたし、俺は基地の戦術機はほとんど把握している。
 そうこいつは今日、初めて実機機動した訓練小隊以外ありえないのだ。
 
 ――確か神宮司軍曹のところだよな……。

 頭の中で機体の所属を確認する。
 神宮司軍曹は教導隊に選ばれる程の腕前である。
 戦術機の扱いは横浜基地でも、上位三傑に入るのは間違いない。
 しかしこいつは神宮司軍曹の機体ではない。

 ――というか、軍曹より動きがいいぞ……。

 
 その衝撃的ともいえる動きに魅せられたのか、いつの間にかモニターの前には整備班が集合していた。

 そしてその機動を見る度に、ため息とも喚声とも聞こえる声がハンガーの中に漏れ響くのであった。

 「……それでどう? 整備班から見てこの動きは? 」

 副司令に声をかけられるまで魅入っていた俺はおもわず姿勢を正した。
 あらためて冷静に分析を始めゆっくりと言葉をつむぎはじめる……。
 
 「まず心配なのは各部関節ユニットへのストレスですね……下手すりゃ金属疲労でぽっきりですよ……ショックアブソーバーも固めに設定を変えないと機体がもちませんね」
 
 整備班の後ろから手があがり、バランサーのプログラムも変更しないと対応できませんよ、パニックをおこしてます、という声が聞こえた。
 次の瞬間、整備班全員が勝手に発言しはじめる。
 
 ――動作慣性プログラムも変更の必要が――

 ――機体のねじれ剛性も足りないんじゃないかと……――

 ――コクピット周りも変更しないと、中の人がもたないっすよ――


 皆が興奮しているのがわかった。俺も興奮していた。これで興奮しない奴は技術屋じゃねぇ。
 俺も言いたいことが次から次へと浮かんでくる。
 皆、各々話すものだから、ハンガー内は収拾がつかなくなっていた。
 だから俺はでかい声で、まとめるように俺は叫んだ。

 「とにかく、これ以上のことをさせるつもりならば全面的な改装が必要ですよ」

 そう言い切った俺の言葉を聞くやいなや、副司令はいやらし~く笑った。悪魔の笑みだ。

 「その言葉が聞きたかったのよねぇ。と、いう訳でいまからOS全部書き換えるから整備班は全員残業ね! 班長はとりあえず機体のストレスチェックのやり直しとショック系の整備の指示ををお願いね」

 ――今からですかい……。

 おもわず残業続きの体の悲鳴が直結して表情にでる。
 それを見た彼女――横浜の魔女――は、なお一層嬉しそうに俺に言った。

 「なによぅ。歴史的な出来事になるのよコレは」
 
 正直なところ彼女から下された指令は、残業続きの整備班からすれば厳しいものではある。
 徹夜続きの部下を休ませてやりたい気持ちもある。
 だが、俺もメカニックの端くれ。戦術機の新しい可能性を目の当たりにしてはやらないわけにはいかないのだ。
 全身に力が漲ってくる。
 
 ――この動きが全員できるようになれば――

 拳を握った。

 対BETA戦における戦術機乗りの死亡理由の大半は乱戦に巻き込まれた上での圧死だ。
 包囲され弾切れになって死んでいく奴も多い。BETAの物量の前にどうしようもなく散ってゆくのだ。
 だが、この機動さえできれば……

 ――死に逝く者も減るに違いない――
 
 ……それは整備班としては究極の夢である。

 「――野郎どもっ!気いれて働けよっ!」
 
 俺の掛け声に皆が一斉に返事をする。皆、走って機体に駆け寄って行く。表情が明るい。

 ――まるで新しい玩具を与えられた子供だ――

 もちろん、この俺もだ。自然と頬が緩むのを感じる。
 ただ、俺は一度だけ振り返り副司令に聞いた。
 
 「この変態野郎の名前は? 」


 魔女が笑っている。俺も笑った。

 副司令が言ったその名前を、俺は死ぬまで忘れないであろう。
 
 ――白銀…白銀 武っていうのよ――

 これが後に横浜基地を、そして人類をも救うことになる男の名前を聞いた初めての夜のことである。
 XM3導入の夜であった。

 

 
 
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Muv-Luv SS 脇役 伊隅みちるの場合



 2001年11月11日 AM6:20 新潟市

 冬の入り口にたったこの季節では、太陽は未だに顔を出しておらず夜の時間が続いていた。


 「音響センサーにより確認――。大規模BETA群が海底を移動中です。本土上陸まで約10分――」

 ――コマンドポストの涼宮からの無線が私の耳に飛び込んできた。それと同時にヒューっと口笛を吹く音も。
 まったく……、呟いてから通信をいれる。

 「速瀬、ふざけてる場合じゃないぞ。聞いたな、各員。BETA上陸に備えろ」

 「了解――」
 
 隊員たちの声が重なる。同時に機動音がして戦術機のモードが待機から交戦に切り替わった。

 「洋上砲撃は効果なしでしたね。……しかし大尉、副司令はどうやってこれを予測したんでしょう? BETAの行動予測が可能になったのでしょうか? 」

 冷静沈着なはずの宗像の言葉にかすかな戸惑いがあった。
 宗像の疑問はもっともだった。現に副司令の命令を直接受けた私自身が釈然としていないのだから。

 「む~な~か~た~、そんなの考えても意味ないって」

 速瀬が会話に割り込んできた。戦闘前になると、ことさら明るくなるのが彼女の特徴だ。

 ――速瀬に助けられたな。

 頭のなかでそう思いながら私は言った。
 
 「速瀬の言う通りだ。そんな詮のないことを考えるより自分の分担の再確認をしろ。今度の作戦、楽ではないぞ」

 「了解――」

 再び隊員たちの声が重なった。









 副司令に呼び出されたのは数日前のことだった。
 地下19階にある彼女の執務室に訪れたところ、いつものように彼女は片手でコンピューターをいじりながら、反対側の手に受話器を持ち誰かと話していた。

 「……えぇ……。ではそれでお願いします。大丈夫です。中将にとっては悪いことにはなりませんわ……」

 視線で応接セットに座っているように促される。

 どうやら何か難しいことを陳情しているようだった。
 もっとも彼女が何かを強請ってそれが適わないということは滅多にない。常に交渉相手の弱味とエサを準備してから話をはじめる人なのだから。
 

 「ごめ~ん、待たせたわね」

 しばらくして電話を終えた彼女は機嫌よさげに私の前に座った。どうやら彼女の強請りは成功したようだ。

 「まったく、考えたって結論は同じなんだから二つ返事でハイハイ言ってりゃいいものを――」

 思わず吹き出してしまった。交渉相手の気持ちが、わかり過ぎるほどにわかってしまったからだ。

 副司令はほんのわずかの間、私の微笑みの原因を何か考えていたようだったが、すぐに思い至ったようで嫌味な笑顔を浮かべた。

 「と言うわけで新しい作戦よ。これ計画書」

 「何が、と言う訳なんですか? 」

 私もつられて苦笑しながら計画書を受け取った。――きっとまた無理難題な作戦に違いない。



 それは計画書というよりはメモ書きみたいな代物で、ご丁寧に裏には意味不明な公式や図柄が描かれていた。
 資源の有効活用だ。枚数はわずかに三枚。一枚一枚丁寧に捲っていく……。

 「……これ本気なんですよね? 」

 読み終えた私はあまりの内容に、上官に向かって失礼とは承知しつつも言ってしまった。
 
 「本気も本気。マジで本気よ~ 」

 なんだかよくわからない言葉が混じっているし冗談めかしてはいるが、これがけして冗談ではないことは重々理解していた。
 日常生活ではヒドイ悪戯を仕掛けてくる人だが、彼女は冗談でこんな作戦を立案する人ではない。

 「しかし副司令! これではまるで……」

 言葉が続けられなかった。まるで予言書ではないですか――?

 計画書には 
 
 ――11月11日 早朝 新潟沿岸   BETA上陸の際の水際迎撃戦およびBETA捕獲プランについて――

 そう書かれていた。



 「詳しいことはまだ言えないんだけど、間違いなくこの日この場所付近にBETAが上陸してくるのよ。A-01にはその際に帝国軍には秘密に行動してもらい、BETAを何体か捕獲してもらいたいのよ」

 「……」

 信じられなかった。言葉がだせなかった。
 BETAの行動予測ができるようになったとでも言うのだろうか……。
 それにBETA捕獲の作戦は難易度が高い。
 殲滅のほうがよほど楽だろう。
 おまけに日本国内で要請を受けたわけでもないのに国連軍を動かすなんて大問題になりかねない。


 「すでに帝国軍は新潟沿岸の地雷の敷設作業にはいったわ。」

 「副司令の要請を受けたんですか! 」

 「当たり前でしょ? いったい、いくつ貸しを作ってあると思うのよ」

 さも平然と言うが、言っている内容が恐ろしい。
 帝国軍が軍の指揮系統以外からの不確定な情報によってすでに作戦行動を開始してるというのだから。

 「で、さっきの電話は、私たちも動くから見なかったことにしてくれって要請してたわけよ」

 「それも帝国軍は飲んだのですか――! 」

 「あったりまえでしょ~。いっそ協力しろって言おうかと思ったわよ」

 この人って……。
 
 この人って……。


 落ち着くまで十秒ほどの時間が必要だった。……この人は敵に回したらいけない。私は心に固く誓った。


 どんなに怪しげな命令であったとしても、副司令がやると決めたのだ。私に選択権はない。やるからには成功させなければいけない。
 それに準備日数もほとんどない。あと二日か……。
 
 BETA捕獲のための麻酔装備、捕獲模擬訓練。帝国軍とのデータリンクは当然使えないのだから、その下準備もやらなけらばならない。
 やらなければならないことが山積していた。

 「必要なものがあったら何でも言って頂戴。それと伊隅……」

 「はい」

 「作戦はあくまで極秘。すべての準備はかならずピアティフを通して頂戴」

 副司令は真剣な表情だった。そして何か別のことを考えているようだった……。










 「BETA上陸を確認――。地雷原到達まであと……5、4,3……」

 涼宮のカウントダウンが消えるやいなや派手な爆発音が聞こえてきた。まだ薄暗い海岸線に閃光が輝く。

 「うわぁ!ど派手ぇ! た~まや~!」
 
 爆光に皆が気を引かれるなか、まるで花火見物のようなことを速瀬が言った。隊員たちが小さく笑っていた。
 
 実際にそれはなかなかの光景だった。
 我々人類とはまったく違う思考をもつであろうBETAに対し、ここまで有効な待ち伏せが成功したなどという話は私も聞いたことがなかった。
 面白いようにBETAが吹き飛ばされている。おそらくこの大戦果に帝国軍は湧き上がっているだろう。

 ――副司令に借りを返すつもりだったのだろうに……。また借りが増えたのだろうな――。

 私は帝国軍の司令部に半ば同情していた。だが、いずれにしろBETAにダメージを与えているのには間違いない。
 あとのことは人間の都合だ。私が気にしていても何の意味もない。
 
 上陸したBETAは地雷原があるのにもかかわらず、次々とそこに侵入しその度に吹き飛ばされていた。
 戦車級や突撃級がポップコーンのように打ち上げられていくさまに私はなかばあきれていた。
 それでもBETAは、まるでそうするほかないように突進を続けていた。

 ――やはり知能は低いのか? 

 いつ終わるかの予想すらできないレミングの死の行進を見つめながら、私はそう考えていた。


 「BETA先頭が地雷原を抜けます――。帝国軍砲架部隊による曲射砲撃が始まります」

 再度、涼宮からの戦況報告が入る。海岸線は砂浜から丘陵へ、そして平野へとなり内陸につながっている。新潟沿岸はそういう地形だ。
 人間同士の戦争であれば丘陵地帯に防衛線を築き、高所からの砲撃が有効となるのであろうがBETAが相手では少し勝手が違った。
 高所では佐渡島からの光線級の攻撃が届いてしまうのだ。
 よって帝国軍は丘陵地帯を佐渡島からの攻撃の盾として利用していた。
 

 直線攻撃しかできないレーザーと曲線をも描ける実体弾の違いをうまく使っていた。
 帝国軍は地雷原の隙間から漏れ出てきたBETAを虱潰しのように攻撃していた。

 「かなり有効な攻撃のようですね。七割がたは叩いてます――」

 風間の言葉のなかにも戸惑いがあった。
 いうまでもなくBETAのもっとも恐れるべき点は、その物量だ。圧倒的多数をもって突進し蹂躙していく。
 何人もの兵士が、何台もの車両がそれに踏み潰されてきた。
 罠には何の意味もなく、陣はいつも破られてきた。
 
 ようは常に人類の負け戦なのだ。

 ――しかしそれをこうもあっさりと……。

 上陸地点、日時、これがわかるのは大きい。
 適切な準備ができれば守ることだけならばできるのではないか――? 
 私には、そんなふうに思えるのだ。

 「さっすがは副司令様ってトコですねっ! 大尉! 楽勝~楽勝~! 」
 
 ひときわ明るい声が聞こえてきた。

 速瀬は素直に興奮を隠さない。
 何か裏があるんじゃないか? とか、そんなに上手くいっていいのか? と考えてしまう自分とは違う。
 正直なところ、それが羨ましくもあった。

 
 「BETA丘陵地帯突破――。平野部への侵入確認。帝国軍戦術機部隊展開します」

 涼宮の声に緊張が強くなった。

 「全員、聞いたな。作戦を開始する――」

 この後、戦術機が戦線を支えるなか、帝国軍砲架部隊は防衛線を下げる。
 そしてあらたな陣を作りそこにまたBETAを誘い込む。
 これが帝国軍のとる作戦――機動従深陣だ。
 そして私たちA-01部隊はそのドサクサに紛れてBETA捕獲作戦にとりかかった。


 「本作戦は高度な技術と連携が必要だ。各員集中してあたれ!」

 「了解――! 」
 
 いつも以上に気合の乗った声だった。












  
 

 ――二名の死亡と一名が病院送り……。

 副司令の執務室で私はしばしの間、瞑目していた。BETA捕獲作戦から二週間近く経過していたが、この部屋に来るとやはり思いだしてしまう。

 ――難しい作戦だった。それでももっと上手くやれたはずだ――。

 もう少し練度が上がっていれば――。もう少し模擬訓練の時間があれば……。

 しかし現実として死んだ者は蘇らない。
 だからこそ死なずに目標が達成できるよう訓練するしかないのだ。
 ここ最近になって速瀬の新人たちに対する特訓も厳しさを増していた。築地少尉や涼宮 茜少尉などは虫の息の様子だった。
 それでも死なせたくないから。死にたくないから特訓を続ける。
 1%でも生存率を上げるために。作戦を成功させるために。

 「おまたせ~」

 副司令がひらひらと手を振りながらあらわれた。先ほどまで、またコンピューターをいじっていたのだ。
 手には一枚のディスクを持っている。

 「はい。これプレゼント」

 「何でしょうか? 」
 
 ディスクを受け取った私に副司令は続いて壁面モニターのコントローラーを差し出してきた。
 ディスクを再生しろ、と促される――。
 
 「本当は本物を見てもらうのが一番なんだけどねぇ~」

 副司令の得意な、何かを企んだ笑顔。

 再生ボタンを押した。

 再生された画面には、練習機――吹雪が映っていた。僚機のガンカメラで撮影したものであろう。
 正直なところ映りはあまりよくない。
 市街地における戦術機同士の戦闘シミュレーションだ。

 ――ビルの残骸からすると西地区演習場かな……。

 そこならよく知っている。私たちもよく演習で使うのだ。
 まぁ、まずはお手並み拝見といったところか……。


 一分後、私は呻いて絶叫した。

 「副司令!何者ですかっ?何者なんですかコイツはっ! 」

 「訓練兵よ。まりもが手塩にかけて育ててるわ」

 「嘘だっ! 」

 「本当よ」

 「嘘ですっ! 」

 「本当だって」

 私の剣幕に副司令が圧倒されている。アドレナリンの大量分泌! もう止まらない止められない!
 頑張れアタシ! もう少しで真実を吐くに違いない! 吐かせるんだっ! 新人なんてありえない!
 鼻息が荒くなる。
 興奮が抑えきれない。
 戦術機でこんな動きができるなんて……!こんな動きができれば……!
 ……死なずに……! 死なずにっ!

 「……わかった! わかったからそれ以上、顔を近づけない」

 副司令が降参してきた。

 「実はね、……アンタのため戦術機の新しいOSを作ったのよ」

 「えっ……? 」

 「とりあえず、まりものところで試験運用している段階なんだけどね――」

 「……」

 「A-01にも実験に協力してもらうわ」

 「……」

 「……どうしたの? 」


 「ありがとうございますぅぅぅぅぅぅ!!!!!! 」

 腹の底から声がでた。頭の天辺まで抜けていった。まるで何かが浄化されるようだった。気持ちが良かった。


 その後、私と副司令はしばらく会話を続けた。忙しい副司令が時間をさいてくれたことに感謝したい。

 ――興奮すると怖いわねぇ……。副司令のその言葉は聞かなかったことにしたい。

 当然ながらというか、このOSは私のために作られたわけではない。この新人訓練兵のリクエストに答えて副司令が作ったという。
 その仕様話を聞いているだけで喜びがこみ上げてくる。

 「……ということは先に入力しておけば、機体の硬化時間を省略できるわけですねっ――! 」

 「その通りよ。……しかしアンタ、興奮するとそこまで変わるのねぇ」

 「何とでも言ってくださいっ。次に……」

 はいはい、わかったわかった……。副司令は苦笑していた。
 はしたないのはわかっていたが、感情は隠さないほうが楽だ、というのは正樹から教わって私は知っていた。
 

 「ところで伊隅……」

 「はいっ! 」

 「もうすぐこいつらはアンタのところに配属されるからね」

 当然である。神宮司軍曹に鍛えられた者は我々のチームであり家族だ。

 「だからこいつより上手くなってないとマズイわよ」

 「え? 」

 いやらしく笑う副司令の前で硬直した。

 「上官が新人より下手ってのはマズイわよねぇ」

 「そ、そうでありますか? 」

 カエルになった気分だった。

 「それまで特訓して舐められないようになさい」

 「はっ! 了解であります! 」

 反射的に敬礼してしまった。


 おそらくいま以上の特訓を重ねないといけない。
 肉体的にはキツイだろう。でも精神はどうだ?
 ここしばらく隊員の死に引きずられてしまっていた心は……。
 もちろん、彼女たちのことを忘れるわけではない。
 ……それでも。
 それでもこれは確かにプレゼントだった。我々が立ち直るための……。
 早く全員に見せてやりたい。このディスクを見せてやりたかった。
 速瀬は喜ぶだろう。宗像は驚くだろう。茜は嫉妬するだろう。


 それにしても……。
  
 「すみません、副司令! 」

 ついつい声に力がこもる。

 「なに? 」

 「06吹雪の搭乗者の姓名をお伺いしてよろしいでしょうか――? 」

 あぁ……。彼女は言った。まだ言ってなかったっけ?

 ――白銀、白銀 武って言うのよ。

 これが私――伊隅みちる――が、彼の名前を初めて聞いた瞬間だった。
 
  




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Muv-Luv SS脇役 イルマ・テスレフの場合

 2001年12月6日  丸野山―岩山 中間地点




 ――60分の休息ね……。

 ハンター1からそう告げられた後、F-22Aのコクピットの中でイルマはため息をついた。

 ――日本人ってやっぱり不思議だな……

 緊迫した局面のなかで、突如発生した時間的真空状態にイルマは戸惑いを隠せなかった。

 それにどうにも戦況は芳しくない。かろうじて『目標』は確保しているものの当初の予定通りに計画が進んでいるとは言い難い。
 部隊は完全に包囲され、このまま簡単に国連基地にたどり着けるなどという展開にはならないのは確実だった。

 ――『連中』は部隊の中に私以外に何人かは協力者をつくってある、とは言っていたけど……。

 部隊がこれだけバラバラにされてしまっている現在、本当に近くに『味方』がいてくれているのかはわからなかった。

 ――考えていてもラチは明かないか……。

 そう思うと急に戦術機のコクピットが息苦しくなってきた。イルマはハンター1に連絡をいれると機体を離れた。
 夜の森の空気は冷たく、冷気を肺一杯に取り込むと少しだけ気分が落ち着いた。
 
 ――計画が実行されなければいいのに……。

 木々のざわめきを耳にしながら、また先ほどと同じことをイルマは考えてしまっていた。

 ――これじゃあ休息にならないな……。

 思わず苦笑いしてしまう。これでは外にでた意味がない。

 頭を振って気持ちを切り替えようとする。どのみち、この先は戦闘になる可能性が高いのだ。
 今のうちに緊張の糸をほぐしておかねば、あとで悪い影響がでてしまうかもしれない。
 イルマは誰か話し相手になってくれる人がいないかと近くの森の中を見渡した。

 ほんの10メートルほど先、木々の陰で背をもたれかかせるようにして小柄な人影があるのを見つけた。
 ひとり蕭然と立っていて、それだけでも緊張し不安にかられているのがわかった。

 ――横浜の訓練兵か?

 だとすればちょうどいい――。米軍の仲間とは話しをたくなかったし、斯衛部隊の連中などとは話しをするつもりなど毛頭なかった。
 話しかけてみよう、とイルマはその影に向かって歩いていった。

 「――訓練兵を出撃させるなんて、極東国連軍の人手不足は相当深刻ね」

 イルマが話しかけると小柄な人影は驚いたかのように顔をあげた。
 東洋人でまだ若い。――女の子だ。髪を不思議な形に結ってある。

 ――訓練兵だもんね。若いのは当然か……。

 ふいに妹の顔が思い出されてイルマは少し優しい気分になれた。

 「あなたも災難だったわね」

 「あ……いえ……」

 まだ少女と言ってもいい年齢だ。もともと東洋人は若く見えるし、なおかつ彼女は小柄だ。

 ――私の国なら12~3歳に間違えられてもおかしくないな……。

 イルマはくすりと笑った。

 「私もね、まさか人間相手の作戦に繰り出されるなんて、思ってもみなかったわ」

 「……」

 「日本には、一度来てみたいとは思ってたんだけど……こんな形でそれが叶うなんてね」

 「……はい」

 少女はまだ緊張しているようだった。そうだろうな、イルマは思う。間違いなく彼女の初めての実戦になるのだろうから――。
 
 「すみません少尉。……あの……こんなことになっちゃって……」

 「……え? 」

 少女の予想外の返答にイルマは答えに詰まってしまった。なんとなく愚痴のこぼし合いでもできれば、と思っていたのだ。

 「今は人間同士で戦ってる場合じゃないのに……」

 呟くように少女は言った。イルマは少女がいまにも泣き出しそうなのに気づいた。

 「……どういう事? どうしてあなたがあやまるの? 」

 「え……あ……その……」

 なんだか妙に言い辛そうだった。だからそれでイルマには予想ができた。

 「もしかして……あなたは、日本人? 」

 「……はい。そうです……少尉」

 「なるほど……そういうことか」

 少女の躊躇いがちな返事を聞き、イルマは可哀想だな、と思った。……少なくとも自分はまだ同国人に銃口は向けたことはない……。
 きっと先ほどのウォーケン少佐の言葉も、まだ耳に残っているのであろう。

 ――少し話してあげなければいけないな。

 イルマの心に義務感のようなものが芽生えた。
 
 「じゃあ、なおのこと辛いか……同胞に銃を向けるんだからね」

 「……任務……ですから……」

 「……そう」

 答えて少女は沈黙した。

 ――任務か……。

 そうだ。自分もそうなのだ。少女と同じだ。
 任務というものに縛られている。それが正しいかはわからない。
 だからと言って間違いだ、とも言い切れない。任務というのはそのようなものだ。たいていは私の都合など関係なく……。
 よその誰かの理屈によって作られている。
 そしてその誰かがアナタがやらなければいけないんですよ、と押し付けてくる。
 断ることは許されない。断ればそれは、自分より弱い、自分と同じほかの誰かのところに押し付けられてしまうのだから――。
 それを少女もわかっているのだろう。だからこそ、辛いのにそれを必死に我慢しようとしている。

 夜の森のなか、世界から拒絶されたかのように立ち尽くす少女を見ていると、イルマはまた、少しだけ優しくなれるような気がした。
 木々を抜ける夜風は日本も故郷も変わらない。この少女を少しでも楽にしてあげたい。

 「……私ね、フィンランド人なの」

 「……え? 」

 突然の話題転換に少女は少し面食らったようだった。その様子がまるで迷子の子猫のようで可愛い。

 「戦災難民なのよ。ほら、私の国、もう無くなっちゃったから」

 「あ……あの……私、なんていったらいいか……」

 できるだけ明るく言ってみたものの少女は恐縮しているようだった。
 
 「ああ、別にいいのよ。気にしないで」

 「でもどうして……フィンランド人のあなたが、米国軍にいるのですか? 」

 少しは少女の気が引けたようだった。――それでいい、ずっと任務のことだけを見続けないほうがいいのだ。
 イルマは話を続けた。

 「そうね理由は二つあって……まず、米国の市民権を取得するためね」

 「市民権……」

 「そう。戦災難民が市民権を得るには、軍にはいって除隊まで勤め上げるしか方法がないのよ。だから、今回派遣されている部隊のほとんどの人間が、私と同じ戦災難民からの志願者。お偉いさん方を除いてね」

 明るい話をしてあげなきゃ、と思って始めたものの少女の優しげなその顔を見ていると、イルマの心にひとつの情景が浮かんでくるのを止められなかった。
 普段はできるだけ思い出さないようにしている、あの辛く悲しい記憶が――。

 ……口唇が語るに任せて思いを吐き出してしまう。

 「あの地獄……ヨーロッパから生きて逃げ出せただけでも、随分贅沢なことなんだけど……」

 破壊される街。逃げ惑う人々。泣き叫ぶ赤ん坊の声。それはまさに地獄だった。
 生き別れになった友人たちの笑顔が脳裏に浮かぶ。米国に逃げ落ちたあとも、彼らとは連絡がつかない。
 きっともう連絡がとれることもないのだろう――。
 イルマはなかば確信していた。

 「私が市民権をとれば家族を難民キャンプから出してあげられるしね」

 移民して逃げた米国。逃げられただけでも幸いだった。そう思うべきなのだろう。でも……。

 実際には違う。

 違うのだ――。

 いま、世界のなかでも直接的にBETAの脅威にさらされていない国は、米国とオーストラリアぐらいなものだ。
 だから人々はそこに落ちてゆく。そこに向かって逃げて行くしかないのだ。移民の流入は止められない。

 そして皮肉なことに、移民によって創られたはずのこれらの国は、いまその移民の受け入れを拒否しはじめた。
 新たな移民の流入阻止の段階を迎えつつあるのだ。

 言うまでも無く、移民たちのそのほとんどは、特別な財産もなく、身体ひとつでやっと逃げてきた者たちである。
 ……簡単に言ってしまえば貧しいのだ。

 貧困のあるところでは治安は悪化していく。人類の歴史のなかで幾度となく繰り返された事実だ。
 食えなければ……。家族が食えなければ、人は何でもするのだ。

 イルマたちが収容された難民キャンプもそうだった。

 わずかなお金のために、大人たちはなじり合い、少年たちは人を傷つけ、少女たちはその身を売る。
 事件が起きても、警察は動いてくれない。動くにはあまりにも件数が多すぎたし、いっそ死んでくれれば面倒をみなくてすむからだ。

 そんなところに……。
 そんなところに家族は置いておけなかった。

 すっかり痩せてしまった母の、細くなってしまった指の感触が思い出される。
 
 だからイルマは志願したのだ。米国軍に。その実動部隊に――。

 
 「ということは……ご家族は無事だったんですね」

 「母と妹はね」

 それはイルマにとって誇りだった。たったひとつの――イルマが前に向かって生きている証だった。

 「父はフィンランド国軍に志願して、北カレリア戦線で行方不明……たぶんもう、死んじゃってると思うけど」

 父が出征していく様子がイルマの脳裏に蘇る。

 ……イルマ、母さんと妹を頼むよ……必ず帰って来るからな……。

 帰ってこれないだろうと自覚しながらも、それを周囲には思わせないようにする父。
 優しい人だった。本当に最後まで「父親」をやってくれた。

 「あの……すみません……私、余計なことを……」

 「もう! 今時珍しい話じゃないんだから、いちいち気にしないの!家族4人のうち三人が助かったなんて……奇跡よ」

 正直な話、父が亡くなったことは悲しい。
 でもどこかで納得している。きっと父は父らしく戦い――、そして死んだのだろうと。

 「ごめんなさい……」

 「でねっ……入隊のもうひとつの理由が、それ」

 「……それ? 」

 「敵討ちってわけじゃないけど……父がそうしたように私もBETAと戦って家族を守りたい」
 
 「お父さんと同じように……」

 少女は噛み締めるかのように、イルマの言葉を繰り返した。家族の話に反応した少女にイルマは夢を語った。

 いつかは国に帰り、父の墓をつくってやるのだと……。そこで家族と暮らすのだ。
 少女の表情がいつしかすこし柔らかくなっていった。
 
 イルマの話に答えるように少女は語り始めた。母親は病気で亡くなったこと、父親に可愛がられていること……。
 きっと愛されて育った子なんだな……。少女の優しい語り口でイルマは思った。大切に守ってあげなければいけない子だ、と。

 「私、イルマ。イルマ・テスレフ。……あなたは? 」

 「珠瀬 壬姫――あ、えと……ミキ・タマセです」

 「……ミキ……か」

 同じ名前の友人がいた。彼もまた行方知れずになっていた。

 「こんなこと言ったら失礼だけど、フィンランドだったら男の子に間違えられる名前ね」

 「えっ! 男の子……ですか? 何かフクザツですね~……えへへ」

 「結構、日本語で通る名前があるみたいなの。ほかにはミカとかアキとか……アホとか」

 最後のひとつは、以前、知り合いの日系米国人と話したときに知った笑えるもののハズだった――。
 確か日本語では、アホは「道化者」を表す言葉と聞いていた。

 「本当ですか! 」

 ミキは驚いたように笑った。成功したことにイルマは気を良くしていた。
 
 ――女の子は笑顔が一番だよ。父の言葉はもっともだ。

 「ねえミキ、いつか人類がBETAに勝って私の国が再建されたら……お父さんと一緒にフィンランドにいらっしゃい。私が招待するから」

 「――本当ですか?! 私、絶対行きます! あっ……でもフィンランドって凄く遠いですよね? 」

 「確かに遠いけど」

 ――本当に遠いところだけど――。

 「ソビエトを挟んでひとつ隣じゃない。日本に一番近いヨーロッパなのよ」

 そう言いながらもイルマにはわかっていた――。
 この約束は果たされない。いまの世界でBETAを駆逐するなんて無理だ。
 誰かが世界をひとつに、まとめてでもしてくれなければ……。

 でも、それでいいのかもしれない。

 果たすことのできない約束は――ずっと取っておくことができるのだから。
 果たされないであろう夢物語が語られていく。
 お互いにそれが適わぬことを知りつつも話を続ける。
 私がミキに全てを話せないように、きっとミキにも話せないこと、話したくないことをかかえているのだろう。
 でもそれでいいんだ。いまは霞のようでも希望を語り合いたい。
 ミキの悩みを聞いてやれるのは私ではない。……きっとミキの信頼に値する、私とは違う誰かだ。

 「……だからこそミキにはきて欲しいのよ。いい? 約束よ」

 力強く言い切る。
 言い切ることで明るい未来が訪れてくれる気がした。
 ……この娘には見せてあげたい。故郷の森を、そして1000を超えると称される湖の数々を……。
 きっと父も喜んでくれるに違いない。
 
 ふいに誰かに見られている視線をイルマは感じた。鍛えられた諜報員のサガで頭を動かさずに周辺を見渡す。

 ――……『味方』からのコンタクトか?

 緊張がイルマを包んだ。

 ――違う、か……。


 木立の中にひとりの少年兵が立っていた。

 彼もまた横浜の訓練兵だ。たしか先ほどまで『目標』を搭乗させていた吹雪の衛士だ。
 なかなかいい動きをしていた。

 ――ミキが心配で顔をだしに来たのかな?

 イルマにはそれがとても貴重なことで、そしてちょっぴり羨ましいことに思えた。

 「だから……早く終わらせようね。人間同士の戦いも……BETAとの戦いも」

 「……はい」

 「その時まで、お互いに絶対に死なない……。いい? 」

 「はい! 」

 ミキは力強く答えてくれた。それが今のイルマにはありがたかった。

 「よし。じゃあ行くね……そろそろ交代の時間だから」

 ――騎士くん、きみの出番だよ――。

 「あ、はい……。少尉、あの……お話できて楽しかったです。ありがとうございました」

 「私もよ。約束、忘れないでね」
 
 ミキの元を離れ機体に戻っていく。夜の闇はまだまだ深くて、夜明けはしばらく訪れそうになかった。
 星が少しだけ瞬いていた――。









 
 先ほどまで途絶えていた雪がまた少しだけ降り始めた。小さな綿毛が夜の風に踊っていた。

「……こちらハンター2。所定の位置についた」

 戦術機の座標を固定し報告をいれる。シートに腰を掛けなおして正面を見つめなおす。
 二体の戦術機が待ち合わせ場所に進んで行くのが見えた。――赤い武御雷と吹雪だ。
 周辺警戒をしなければいけないはずなのだが、どうしてもズームで吹雪を追いかけてしまう。

 ――『味方』からの連絡はまだない、か……。

 だからといってこのまま終わるはずもない。
 時がくれば必ず連絡をする、と『連中』は言っていた。

 ――データリンクも切られているのにどうやるのかしら……。

 F-22Aのなかでイルマはため息をついた。


 『目標』をここに逃がした人間は相当の切れ者だろう、とイルマは思う。

 ――『連中』は完全に裏をかかれた。

 諜報部の精鋭たちは帝都周辺に配備されていて、一番確立の低い場所に配備されたはずの私が当たりクジを引いてしまった。

 ――誰かは知らないが、余計なことをしてくれる……。

 イルマはひとり、その人物を呪った。
 
 吹雪の歩みには緊張の色が見て取れた。それでも一歩一歩確実に歩みを進めている。

 ――あの訓練兵なんだよね……。

 吹雪の衛士の顔が思い出される。それはミキのもとに訪れた訓練兵だった。

 ――ミキの彼氏だったらいいのに……。

 そう考えると知らない間に口元が緩んできて、少しだけリラックスできた。

 ――ミキにはああいうタイプが合うと思う。

 優しげで、それでいて芯の強さを感じさせる少年。危険な任務にも係わらず志願する。本当に勇敢だ。
 ……すこし鈍感そうだが、そのくらいの方がかえって好感がもてる。

 ――……連れてくるのはお父さんじゃなくて彼でもいいのよ。

 頭の中でミキにそう話しかける。 
 ミキが真っ赤になっている姿が想像できてイルマは幸せだった――。



 突如、呼び出しを告げる電子音がした。通常回線ではない。そして秘匿回線でもなかった。聞き取りにくい声が呼び出しを続ける。

 ――どこから!?

 指向性の電波を発する通信機でも持った軍偵が近くに来ているのだろうか?  いや、それはあり得ない。
 蟻の這い出る隙間のないほどに包囲されているのだから。どこ――? 意味がないのを知りつつ周囲を見渡してしまう。
 それでも現実に呼び出しは続いている。

 ――どうする……?

 呼び出しが繰り返される。応答しなければなるまい。……だが、それは間違いなく『計画』の実行を求めるものになるのはわかっていた。

 <……繰り返す。こちら大ガラス。ナイチンゲール、状況を報告せよ……>

 冷たい声だった。まるで冥界から聞こえてくるようだった。そしてその言葉だけが、ただ繰り返されていた。

 「……ごめんね、ミキ……」

 声にだして呟く。
 あの子の笑顔を、母と妹の顔で塗りつぶす――。
 そしてイルマは一度だけ目を閉じると呼び出しに応じた。










 『連中』にはこの状況が理解するのが難しいようだった。『目標』がここにいること。クーデター派が攻撃を仕掛けてこないこと。
 どれもが想定外の出来事なのであろう。
 そして一番の問題は――影武者の存在。
 
 <……状況を再度報告せよ。繰り返す、もう一度状況を報告せよ……>

 「……繰り返します。交渉に向かう20706の吹雪に同乗している目標は目標にあらず。目標のダブル……。現在、目標は1902の武御雷に搭乗。繰り返します。目標は1902の白い武御雷に搭乗しています……」

 <……ナイチンゲール、君はダブルがテロリストとの交渉の場にでていると言うのか……? >

 イルマが思った以上に『連中』は混乱していた。
 じれったい報告を繰り返しながらイルマは諜報部の計画とやらが失敗しつつあるのを感じていた。
 今のいままで連絡が遅れたこともそう――。
 そして何より、この場にダブル――影武者――までもがご丁寧に用意されているということは、完全に上をいかれている証拠だ。
 誰の手によってかは、わからないが完全に『連中』は、だし抜かれている。
 不思議なのは斯衛部隊ではなく国連軍にダブルが所属していたことだが、いずれにせよ『連中』の目論見は崩れつつある。

 イルマには見えている。

 イルマは自分が諜報部にスカウトされた理由をほぼ正確に理解していた。

 軍人としてはまずまずの能力を有していること。特定の思想、信条を持ち合わせていないこと。
 そして――弱みをもっていること。

 母を病院にいれてやりたい。妹を大学にいれてやりたい。
 体力のない妹が軍隊に入ってやっていくのは難しい。
 それには市民権が必要だ。
 そのためには、舐めろと言われれば靴先でも泥でも舐める覚悟はある。
 政治のことなんて考えていない。目先の生活が大事なのだ。

 だからこそ自分は使える存在なのだ。
 諜報部といっても一概にくくることはできない。愛国心の強いエリート部員もいれば自分のような捨て駒もいるのだ。
 自分に要求されることはひとつだけ――何かあれば必ず命令に従うこと。
 作戦の全貌は知らされることはない。
 使い捨て可能な道具なのだ。


 ただ――道具でも想像力はある。




 今回の事件で米国の望む最良の結果は、日本に親米政権が誕生するというものだったのだろう。


 事件の主犯は、米国諜報部――『連中』によるマッチポンプだ。

 クーデターに巻き込まれた将軍を米国軍が救出する――。
 安保条約を一方的に破棄し日本を見捨てた、として嫌悪されている対米感情を一挙に好転させることができる。
 同時に日本政府に貸しを作り、それをもって米軍の駐留を拡大する。
 それが当初の予定だったのだろう――。


 

 基本的に米国は外で戦いたいのだ。
 第一次、そして第二次の二つの大戦でさえ、米国は敵に本土を踏ませなかった。
 常に外に出て戦い、そして勝ってきた。それが米国だ。

 逆に言えばそれがための脆さがある。本土に外敵が侵入するのを恐れている、と言っても差し支えない。
 隣国――カナダにBETAが着陸した時、米国は過剰にまで反応しカナダの国土の半分を灰に変えてまでもBETAを滅ぼすことにした。
 すべてはその一連の流れなのだ。

 ――日本という国土の形。弓状列島と呼ばれる形は中国大陸からのBETA進出を防ぐ盾になる形をしている。

 もし日本が完全にBETAの勢力圏に飲み込まれてしまったら、米国本土までは障害物はない。
 BETAがどのくらいの期間水中を移動できるのかは不明だが、太平洋を一足飛びで米国に上陸してくる可能性もある。
 ある日突然、西海岸にBETAの群れが上陸してくる。
 そんな事態があったとしても、まるでおかしくはないのだ。

 それを米国は本気で恐れているのだろう。
 だから日本には戦力を置きたいのだ。でき得るなら外国領土でG弾を仕様しBETAを殲滅する。
 しかし現状では日本の国民感情がそれを許さない。

 助力を乞うにしても、国連に――。
 それも国連のなかでも比較的に反米の勢力に、となっているのが現実だ。

 もし現状のまま手をこまねいて日本が陥落し、西海岸にBETAが上陸するのならば間違いなく、米国の政権も吹き飛ぶ。
 だからなんとしてでもその前に親米政権を――。強力な親米政権さえできれば、日本を戦場に防衛ラインをひくことができるのだ。
 そしてそのためにイルマも派遣されたのだ。

 これが正しい事かはイルマにはわからない。――だからといって間違っているともイルマには判断できなかった。

 しかし、現実には諜報部の望む通りに事態が推移してるとはいえない。
 逆に諜報部の考える最悪の結果に向かって、進行しているようにイルマには見えた。

 最悪の結果――それはもちろん、一連の事件の黒幕が米国であるということが露見することであろう。

 国民感情を利用し、過激派を煽り、戦端を開かせる。
 面従腹背の気配を感じさせる――老獪な榊政権を崩壊させ、返す刀でクーデター派を倒す――。
 その全てが米国の秘密裏に行われた作戦である、ということが暴露されればそれこそ米国の権威の失墜につながりかねない。
 日本人の反米感情は高まり、結果、日本は米国との距離をとる。 日本への駐留強化は認められない。
 諜報部は責任をとらされ組織は縮小させられ、米国の対外交渉能力の減退につながる。
 それが最悪の結果だ。

 そして、それを知ってか知らずかは、わからないが、日本人は確実にその選択肢を選びつつある、のではないだろうか――?

 イルマにはそう見えていた。


 ……おそらく『連中』も判断に困っているのであろう。

 このまま交渉させ、あくまでも米国の秘密が露呈しない流れで事件を終結させられるのか――?
 それができれば結果はベストとは言えないものの合格点はだせる。
 現時点では間違いなく米国が将軍を救出しているのだから。
 しかしこの結果の場合では、いつかはその秘密がバレるかもしれない――、という不安がつきまとう。
 また、場合によっては日本から米国への「貸し」になってしまう可能性もある。

 その判断がつかないからであろう――。影武者と決起軍の首魁――沙霧 尚哉 との交渉が始まったにもかかわらず『連中』からの連絡は途絶えてしまっていた。


 「……将軍の御尊名において行われるべき政が、殿下の御意志とちがえているという現状こそが許されざる事なのです……」

 集音マイクで集められた音声が無線を介してイルマの耳にも届く。そしてそれはそのまま『連中』の耳にも入っているのであろう。
 『連中』はいまだ沈黙を保っている。

 「……故に……そなた達が、私のために血を流す必要はないのです……」

 あの影武者とはいったいどのような人物なのであろうか? 
 落ち着きはらっているその声を聞いてイルマは気になった。まるで本物だ――。
 本物のような気品と――。 人としての芯の強さを感じさせる――。

 忘れられない光景を思い出す。

 ほんの十数分まえのことだ。
 『目標』ががここにいる全員と話がしたいと言っている、とウォーケン少佐に呼び出されたのだ。
 『目標』は事前に写真で確認していたが、実物はそれ以上に美しかった。ミキの愛らしさとは違う、東洋的な美しさだと思った。

 そしてそれから『目標』は――いや、彼女は信じられないことをした。

 その人となり日本を表す――そう称された彼女は、米国軍人であるイルマたちに頭を下げた。
 日本を見捨てて逃げた、と言われている米国軍人にだ。あまつさえ国連軍の訓練兵たちにも――。

 イルマはヨーロッパの出身である。
 だから貴族や王族といったものにも普通の米国人より理解はあるるつもりだ。
 これがどんなにあり得ない出来事なのかを瞬時に理解できた。
 そして、だからこそ彼女の真の意味での美しさと強さを知ることができた――。

 その彼女と――ダブルは同じ強さを感じさせる。

 彼等の話し合いは続いている。これが銃を向け合った者同士の話し合いとはとても思えなかった。

 さらにイルマは決起軍の首魁――沙霧 尚哉の言葉を聞いているうちに、ひとつのことに気が付いてしまった――。

 ――……彼は最初からクーデターを失敗させるつもりでことを進めている……。

 イルマには確信をもってそう言える。

 おそらく諜報部の人間には理解できないであろう。

 政権をとるためでなく、ただ「汚れ」を祓うためだけに己の身命を賭けるなどと――。

 でもイルマには理解できた――。
 雰囲気が同じなのだ――。
 あのヨーロッパ脱出の時にいた男たちと。

 難民たちを優先して逃がすため、現地に残り続けた男たちがいた。父もそのひとりだ。
 男たちは政府軍から譲り受けた迫撃砲と重機関銃を持ち、街に立てこもり街道を塞いだ。
 涙がでるほど情けないバリケードを築き、一分でも一秒でも進行を遅らせてやる、と息巻いていた。
 ……彼等は知っていたのであろう……。せいぜい自分達にできるのは囮ぐらいなものだ、と。

 それでも彼等はそうすることを選んだ。自らの命を顧みず、そうすることが皆を救うことになる――そう信じて。

 そんな彼等の姿と、沙霧 尚哉の姿はよく似ていた。……きっと彼の仲間も同じなのだろう。
 他人のために、笑って命を捨てられる者たちなのだ。
 イルマはいつの間にか自分で自分の身体を抱きしめていた。


 ……通信が入ったのは沙霧 尚哉が次の言葉を吐いたときだった――。

 「……事ここに至り、漸く賜りました機会……斯かる事態を招いた不面目を棚に上げてでも、殿下にお伝えせねばならない事がございます。――此度の件は、米国の思惑を成就せんがための謀にございます――」
 
 沙霧 尚哉は――そう言った。


 








 <……聞こえなかったのか!? ナイチンゲール! 繰り返す……目標を消去せよ! 繰り返す、目標を消去せよっ! >

 「……しかしっ!? 」

 <……繰り返すっ! ナイチンゲール、目標の消去だ! >

 命令に反し、言い返そうとしてしまう。

 『目標』の消去――すなわち――将軍の暗殺。

 今回の計画の最終処理案――。

 それをもって日本に未曾有の混乱を生じさせ、その後、米国軍による再占領を図る悪魔のシナリオ――。
 何万人の、何十万人の命を奪うであろう最悪のプラン――。
 その引き金を……私に引けと――。

 ――……できない……できるわけがないっ……。

 <ナイチンゲール!聞いているのか!? 沙霧は計画を掴んでいる! 命令だっ! そこにいる全てを消せっ! >

 「ですがっ……! ですがそれはっ……」

 沙霧の言葉が流れ込んでくる――。

 「……帝都の戦闘から、米軍が殿下を救出し保護し日本の騒乱を平定する……これが米国の当初描いた筋書きです……」

 まるで死者が地獄から漏らしてきているかのような怨嗟の声だ。

 <わかっているのかっ!? ナイチンゲール! 計画が露見してしまうぞ! >

 「それでもっ! どうにかっ! どうにかならないのですか!? 」

 イルマは、沙霧に止めろと言いたかった。止めてくれと叫びたかった。

 ――あなたの言うことはわかる……! わかるからそれ以上言わないでっ……! でないとっ……!

 イルマの願いは届くことはなかった。

 「――……握り潰した、仙台臨時政府の者達こそが……」

 沙霧の言葉は続いていく……。




 ……イルマの耳に言葉がひとつ、引っかかった。それは混乱するイルマの心を縛り付けるのには充分な力を有していた。

 <……聞いているのか……? イルマ・テスレフ少尉……。我々の手は君が考えているより遥かに長い……。……母親と妹を救えるのは君だけだぞ……>

 ――!?

 <……君の家族のいるキャンプは治安が悪いと聞いている……。近くで悲鳴があがっても誰も助けに出てこないような場所だとね……>

 急激に喉が渇き舌先が痺れる。

 <……君にはそこから家族を救う能力がある……。さぁ……? どうする――、イルマ少尉? >

 呼吸が浅くなり眩暈がする。

 <……全てをなくすか? 全てを得るか……? >

 ――……。

 <………………すまないが、我々も命懸けなのでな……。>

 ――……。

 









 「――ハンター2ッ!? なぜ撃った!? ハンター2ッ! 」

 ウォーケンの悲鳴にも似た怒鳴り声が無線ではいった。案の定、あの生真面目で善良な――保安官のような男は『味方』ではない。
 イルマは無線を無視して乱射を続けた。

 「――応答せよハンター2ッ!? テスレフ少尉ッ! 攻撃を中止しろッ!」

 これしかない――。これしかないのだッ――!

 クーデター軍からの反撃がイルマの機体近くに撃ち返されてきた。

 ――上手くいったッ!

 状況は混乱に陥り戦端は開かれた。
 あちらこちらでマズルフラッシュが瞬いているのがイルマには確認できた。

 <……何をしているッ!? 目標の消去が最優先だッ……!>

 『連中』からの命令も無視してイルマはさらに乱射を続けた――。

 ――これしかッ……! これしかないッ!

 クーデター軍の不知火が射界にはいった。

 ――……ごめんなさい……!

 イルマは母と妹を守るため、父と同じ雰囲気をもつ男たちを次々と撃破していった。



 イルマに残された手はこれしかないのだ。

 家族を救い、日本人を救い、そして米国人を救う手段はこれしか残されていなかった。

 ここにいるクーデター軍は全員始末する――。ひとりも生かしてはならない。彼等は米国の暗部を知ってしまっているのだから――。

 将軍は殺さない――。彼女はこの国に必要な人物だ。日本を崩壊させるわけにはいかない――。

 誰が先に撃ったのか――。難しい問題だが処理は可能だ。
 現に盧溝橋でもどちらが先に撃ったのかは不明だ。歴史は勝者によってのみ記される。
 なんとでもなるハズだ――。でももし……。
 ……もしそれが不可能なら――。……私が自分で口を塞げばいい。そうすれば米国は、そして家族も救われる――。


 戦闘は混乱の極みだった。F-22Aと不知火の彼我撃墜比は7:1だが、今回の場合はクーデター軍の方が圧倒的に数が多い。
 ランチェスターの二乗の法則を鑑みれば、力押しで押し切れる状況では決してない。

 ただ――、イルマにとって有利なことに、クーデター軍は影武者の乗った20706の吹雪を捕獲しようとやっきになっている。

 事実、イルマは20706を追うため背中を見せた不知火をすでに2機撃墜していた。
 20706の吹雪の動きは巧みで、上位機種である不知火を相手にしているにもかかわらず、なんとか逃げ延び、囮の役目を存分に果たしていた。
 
 ――知らされていたスペック以上の能力があるのか!?

 吹雪の動きには目を引かれた。

 ――訓練兵のハズなのにッ!

 その思いが頭を過ぎったとき――イルマはとても大切なことを思い出した。

 ――ミキッ!?

 なんで忘れていたのだろう――、イルマにはわからなかった。ミキはこの戦場において自分の一番大切なもののハズなのに。

 敵味方識別マーカーを確認する――。いたッ!?
 
 ――まずい!

 マーカーが集中していた。ハンター3、4が向かっているのが確認できた――。
 一番の激戦区にあの子はいるのだ――。

 危険な行動なのは承知していた。それにもかかわらずイルマは一直線にミキのもとへ向かい噴射跳躍した。

 


 ――見えてないッ!? 

 イルマが珠瀬機を目視で確認したそのとき、ミキの死角からF-4が珠瀬機に照準をつけているのが見えた。
 初めての戦場に呑まれてしまったのだろうか? 珠瀬機はそれに気づかず、前面になんとか弾幕を張ろうと僚機とともに乱射していた。

 ――くっ!

 滑空しながらF-4に照準をつける。
 
 ――当たれッッ!

 トリガーを全力で握りこみ、劣化ウラン弾を叩きこむ。
 ミキの背後から忍びよったF-4はイルマにはとても薄汚いものに見えた。
 だからこそイルマはマガジンが空になるまでトリガーを引きっぱなしにした――。

 珠瀬機のわずか300m手前でFー4が倒れる。珠瀬機がようやくそれに気づき振り向いた。

 「戦場でボーっとしない! 目の前に敵が来たら撃つのよ! 」

 「――イルマ少尉ッ!」
 
 戦場にあっても少女の声は、耳に心地良かった――。
 ミキだ。妹の声だ。守ってやると決めたんだ。フィンランドに招待するんだ。
 複数の気持ちが綯交ぜとなる――。でもその気持ちは全て暖かくて――。

 「ここは私たちが何とかするから、あなたは早く合流しなさい!」

 ――……そうだ。この戦場は私が作った――。こんなところにミキはいちゃいけない……!

 「は、はい! ありがとうございますっ!」

 早くミキを戦場の外にだしたかった。珠瀬機は僚機と並び安全圏にむけて一気に噴射跳躍しようとした。

 異変に気づいたのはその瞬間だった。撃破したはずのF-4の右腕がゆっくりとあがっていた。
 その腕には36mmチェーンガンが――。そして銃口は珠瀬機に向かって――。

 トリガーを引いたのとアクセルを吹かしたのはどちらが先だったのだろうか?

 イルマは弾切れになった突撃砲を投げ捨てながら射線に向かってF-22Aを突っ込ませていた。







 ――……死ぬときは痛くないって話……嘘じゃないの……。

 意識を失ったのは数秒だけだろう。イルマは激痛によって叩き起こされていた。
 耳鳴りがして頭が酷く痛む。
 体は動かせなかった。左半身が痺れていた。

 ――……なんで空が見えるんだろう……。

 空はまだ夜の色をしていたが、もうしばらくすればそれが変わってくる気配がしていた。
 戦術機は大破していて電源はすべて落ちている。
 網膜投影スクリーンなど起動しているはずがないのだ。

 風が吹いていた。木の葉が舞っていた。

 ――そっか……。
 
 やっと理解できた。

 ――私の体と同じだ……。

 機体に穴が開いているのがわかった。自分の体も左のわき腹がごっそりとなくなっていた。

 ――ごめんねお父さん……。

 約束は守れそうになかった。母と妹のもとにはもう帰れないだろう。

 ――あんなところ抜け出したかったんだ……。抜け出して三人で住みたかったんだ。

 ――森の近くがいい。休日には湖で魚を釣って……。

 ――母さんの作ってくれた料理を皆で食べるんだ……。

 ――でも、ちょっとだけ私は欲張り過ぎたかもしれない……。

 家族で語り合った夢が小さく消えていく。
 イルマはこんな遠いところで独りで死んでいくことが悲しかった。

 誰かに抱きしめて欲しかった。母と妹にいて欲しかった。
 怖くないよ――、と言って欲しかった。

 でも誰も傍にいてくれなかった。
 イルマはそれが神様が自分に下した罰のように思えた。



 ふいに――。




 イルマは誰かに名前を呼ばれた気がした――。

 ――……あっ……。

 強化装備の無線がまだ生きていた――。

 ――……あの子だ……。

 ミキが自分の名前を呼んでいてくれていた――。
 返事などないとわかっているだろうに、何度も何度もイルマの名前を呼んでいてくれた。

 ――……。

 ミキが助かったのが嬉しかった。ミキが名前を呼んでくれるのが嬉しかった――。
 だからイルマは――これでいいと思えた。

 ――……先にいくね……。

 ――……ミキ、ちゃんと告白しなさいよ……。

 くすり、と笑えた。

 そうしてイルマは笑いながら目を閉じた。






  
  




  
 イルマ・テスレフ少尉は日本帝国における将軍救出作戦において多大なる貢献をした――。
 公式記録には二階級特進とともにそう記されている。

 
 なお、イルマの家族には日本国将軍――煌武院 悠陽の名によって感謝状と見舞い金が届けられたと言われている――。
 
 




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Muv-Luv  SS5脇役 速瀬水月の場合

  2001年 12月8日  横浜基地




 西地区の第三演習場には他所と違う施設がある。
 そこには4キロ強の長さを持つレールが真っ直ぐに敷設されていて、その上を戦術機よりも巨大な物体が高速で移動している。
 初めてこれを見たとき、私は吹き出してしまった。
――そのいかにも子供だましのような施設にも。そしてクソ真面目にそれで練習を繰り返す先任たちにも――。

 でもその後、実戦経験を重ねた私にはわかる。あれは確かに必要なものだ。動きに慣れるためには最適のオモチャだった、と――。





 「水月、なんのビデオを見てるの?」

 部屋に入ってきた遙は、――うんしょ、と言いながら私の横に腰掛けた。遙は時々ひどくオバさん臭い。

 「これ? 整備班の班長に借りてきたのよ。今度のトライアルの時に衛士に見せるビデオ教材だって――」

 投げやりに答える。本当は持ち出し厳禁と書いてあったのを脅して持ってきたのだ。

 「へー。何だか面白そうだね? ……西地区の三番の演習場かな? 」

 特徴のある施設に気が付いたのであろう。遙が言ったのは正解だった。
 私はモニターを見つめながら頷いた。このビデオを再生してからすでに20分程経過していたが、時間の経過とともに私の苛立ちは増大し続けていた。

 「あれ……ひょっとして、これって神宮司軍曹の声? 」

 黙って頷く。

 神宮司軍曹と整備班によって急遽、製作されたというこの教材は、のん気なBGMとあいまってやけに安っぽくそれがまた私の癇にさわるのだ。

『…………それでは次に対突撃級用攻撃実践課程2の……――……従来型のOS使用機の場合です――』

 あきらかに余所行きの声で神宮司軍曹が解説をしている――。

 モニターには戦術機が映っている。よく見ると足元にはレールがあることに気づくだろう。そして奇妙で巨大なオブジェクトがそのレールの先にあることも。
 ――ただ、そのオブジェクトの背中にあたる部分にセンサー式標的が設置されていることに、初めて見ては気づく者はいないだろうと思う。


 やがてレールの上を巨大なオブジェクトが加速し、高速で走りながら戦術機に向かって突進してきた。
 戦術機はそれを跳躍してかわし、そしてその背後に着地し反転する。それからオブジェクトの背中についているセンサー式標的に向かって狙撃した。
 何のことはない――。衛士の基本技術のひとつである突撃級の背後をとる技術の練習である。

 突撃級BETA――。それは奴らの侵攻時に常に先陣を務めるクラスでその最高速度は時速170キロにも及ぶ。
 戦術機よりも大きい奴らが群れで突進してくるさまは壮観で、気の弱い人間ならばそれだけでも失神しかねない――。

 それに慣れるために国連軍がその英知の全てを結集して造ったのが、この西地区第三演習場の設備。
 通称――電車道である。
 高速で突っ込んでくるBETAをかわし背後をとり射撃する。その練習用に造られた施設だが、傍目には戦術機でハードル競争の練習をしているようにも見える。
 前面は衝撃緩衝材で造られているものの跳躍のタイミングを間違え激突してしまえば、戦術機はおろか衛士にも生命の危険がある代物だが――。
 ……初めて見た私が吹き出してしまったのも無理はない、と思う。

 『……次にXM3搭載機の場合です。パターン1、再装填の……――』

 演習場に戦術機が立つ。吹雪だ。部隊マークでそれが207訓練小隊であることが見てとれる。

 「――……けっ!」
 
 私が吐き捨てる。横で遙が――もう! はしたないぞぉ水月! という顔でこちらを見ていた。軽く無視する。

 オブジェクトが同じように突っ込んでくる。吹雪は跳躍してかわし――。空中にいる間に反転し標的を狙撃した。従来型OSより圧倒的に攻撃開始が早い。
 おまけに着地したときには弾倉の再装填まで終わっていて、次の敵が出現しても万事抜かりない状態だ――。
 これが新型OSの威力である――。初めて見た衛士なら、旧来型との違いに目を丸くするだろう。

 「……うーん、確かにすごいけど……でも水月ならもっと速くできるよね? 」

 あったりまえでしょ!? と叫びたいのを必死でこらえる。遙には罪はないし、何よりも腹がたつのはこれからなのだ。

 「……これからなのよ、遙……」

 『……次に特別応用編です――』

 ………出やがったな、この変態野郎……。

 神宮司軍曹の声があいつの出現を告げていた――。

 その吹雪は最初から違っていた。
 オブジェクトの加速が始まるとともに吹雪も強速前進を始める。相対速度は300キロを超えたんじゃないかと思う。
 そしてオブジェクトとぶつかる直前に空中に飛び込み前転のような動きを見せる――。すごく低い。オブジェクトの頭に触れてしまうくらいに低く飛んでいる。
 前方一回転で着地した吹雪はさらに前方に向かい突撃砲を構え、警戒姿勢をとっており――。
 すれ違いざまに発射されていた弾丸は標的の中心に見事に命中していた。

 「……すごいっ……! いつ撃ったかわからなかったよ」

 遙が目を見張っていた。
 
 「……空中での飛び込み前転の途中、頭が下になったときに撃ったんだよ。」

 それはもう操縦技術というよりアクロバットの世界のように見えた――。
 習ってできるものじゃない。頭のネジが2~3本抜けてないとできない所業だ。

 「……そっか。こんなの見せつけられたら不機嫌にもなるよね……。でも、頑張ろうよ! ファイトだよ、水月! 」
 
 遙は私が不機嫌な理由に思い至ったようだった。なんとか私の闘争心を煽ることで私の気をなだめようとする。
 でもそれは無駄だった。このことも苛立ちの原因のひとつだが、それ以外にも原因がありどちらかといえば私はそのことに腹を立てていた。

 「……遙、あのね、私はコイツが技術的に難しいことを、私を差し置いて成功させていることに腹を立ててるわけじゃないんだ」

 「……え? じゃあ……? 」
 
 組んでいた腕を解き、リモコンを使い巻き戻す。再び奴が映ったところから再生し、話しを続ける。

 「まぁ確かにそれも多少はあるんだけど……。――こいつと同じ発想を持てなかった自分に腹が立つんだよね」

 空中前転しているところで一時停止する。

 「遙、本当はこんな派手な……ギリギリの技なんかやる必要ないんじゃないか? って思ってない? 」

 「……あ……、うん。……実はそう思ってた」

 「だよね。確実で安全なのが本来の正しいやり方だし、私もビデオの最初のほうを見てる時はそう思ってた」

 コマ送りで再生する。逆さになったままオブジェクトの背後をとった吹雪が引き金を引く。

 「――でもね、なんでこいつがこうしたかわかる? 」
 
 遙はフルフルと首を横に振った。わかるはずがない――。遙には戦術機機動の経験はないし、よほど訓練された衛士でなければ想像もしないだろう。

 「……こいつはね、できるだけ低く飛ぶためにそうしてんだ」

 「……」

 「低く飛ぶということはレーザー級からの攻撃を防ぐことにもなるし、なおかつ標的に向かって上方からではなく、水平に近い射角がとれる。それに――」

 「……」

 「……ハイブの中では高度がとれない。……つまり、この変態野郎はハイブ内戦闘のことまで、すでに考えているんだ……」

 それが口惜しかった。
 伊隅大尉からこの新OSの素性はとっくの昔に聞いていたし、この変態がそれに携わっていることも聞いていた。
 その性能はありがたかったし、これを開発してくれたのは感謝している。
 これがなかったらクーデター鎮圧のとき部隊にさらなる損害がでていたのは確実だ。
 でも実際に運用させるのは――、実戦を経験している自分のほうが上だと思っていた。
 それなのにXM3を使えばここまでできる、という発想で完全に負けていた。自分にはこんな機動は思いつきもしなかった。
 ――ハイブ内での有効機動などは本来は自分が教えてやらねばならないハズなのだ。

 「……遙。おまけにね、戦術機の基本って二機編成だよね。突撃級相手の時は一機が攻撃、もう一機が警戒」

 遙が黙って頷く。

 「でも僚機を失った時には、当然独りで攻撃も警戒もしなければならない。……こいつはね、多分そこまで考えている」

 攻防一体となった先ほどの機動が思い出される。
 かわすと同時に攻撃。着地と同時に前方警戒。自分の機動がひどくやぼったく思える。
 神宮司軍曹が好き勝手にやらせているのはその辺りを見越してのことだろう。練習の段階で常にそこまで考えなければ実戦ではできない。
 こいつの発想力には正直なところ驚きを隠せない。
 
 「……凄い衛士なんだね」

 「……むかつくけどね」
 
 嫉妬心を隠せない。それを認めるのは口惜しいが――私とはモノが違う。

 「……でも、皆がコレと同じことができたら凄いよね」

 ……そうだね、と頷く。遙の言うことはもっともだ。これができれば中隊の戦力は倍以上に跳ね上がるはずだ――。これを全員ができれば……。

 「皆が、できるようになったら戦術機のサーカス団が作れるね」

 遙が突拍子もないことを言った。

 「……は……!? は、遙、アンタなに言ってんの!? 」

 「え……? 無理かな? ほら、こう、ぴょーんって」

 遙が両手を高く突き上げる。……とたんにライオンのようなタテガミをつけた不知火が、火の輪くぐりをしている姿が想像できて私は爆笑した。

 「あっははははは、あは、あはっ、おかしぃ! 遙、おかしすぎるぅ! 」

 「……むぅ~、水月、笑いすぎ! 」

 ――ごめん、ごめん! 口を尖らせてぶつぶつと文句を言う遙に頭を下げる。

 「……でも、新たな遙伝説誕生だよね」

 私がそう言って笑うと遙は、茜には絶対言っちゃ駄目だからね! と釘を刺してきた。
 ハイハイ――、とは言ってやったものの何日我慢できるかはわからない。きっとたいして日数もたたないうちに漏らしてしまうだろう――。
 遙の伝説をお互いに集めあっては、面白おかしく話しあった男の顔が一瞬浮かんで消える。
 やっぱり遙はいい奴だな――。いつもあっという間に私の気持ちを切り替えてくれる。
 
 「……そういえば水月、そろそろ準備の時間だよ?」

 あぁ――もう、そんな時間か、時計を確認し立ち上がる。――今日は大事なイベントを控えているのだ。

 「行こ、遙。先にハンガーよってコレ返すの付き合って」
 
 「――うん」
 
 さて、と気合をいれて指をポキポキと鳴らす。

 「もう、水月、気合いの入れすぎだよ。新人さんたちが配属されるのは明後日のトライアルの後だよ! 」

 「いいのいいの! 今から気合いを入れて待っていてやるのも先任の務めってものよ! 」

 ――待ってろよ――、この変態野郎。私がビシバシしごいてやるからね!

 ……そして全員であの機動をして。

 BETAどもを滅ぼしてやる。

 妙な気合が私の中に充満していくのが自分でわかった。
 
 横を歩く遙に視線をやる。
 遙はまるで気付かずに何やら楽しげな表情で廊下の先を見ていた。

 以前と比べ、格段に明るい表情を見せるようになっている――。

 ――あたしたちは元気だよ……。
 
 頭の中で再び話しかけた。
 当然ながら誰からも返事はない。

 でも今はそれで良かった。
 返事がなくても耐えられるくらいには私たちは強くなっている。

 ――ちゃんと見守ってなさいよ……!

 付け足すようにもう一度、呼びかけてみた。

 遙との決着をつけるんだから……、そこで口惜しがってなさいな――。
 




 
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Muv-Luv  SS6脇役 神宮司まりもの場合

 12月7日  横浜基地



 忙しい。目の回るような忙しさというのは、今みたいな時のことを表す。私は身をもって実感していた。

 戦闘後の興奮もあってか身体はまだ無理をきいてくれているが、すでに24時間以上まともに睡眠をとってはいない状態だった。
 クーデターを鎮圧し、横浜基地に帰還する。煌武院 悠陽殿下の出立を見送った後、任務反省会を開き、戦闘報告書など書いたことのない訓練小隊に書式を伝える。
 書かれたその内容を確認し精査したうえで司令本部に提出する。
 それが片付いて自分のデスクに戻り、ようやく一息つくことができるかと思った矢先に呼び出しをくらったのだ。

 香月 夕呼――この基地の副司令に。

 夕呼――副司令に私が呼び出されることは珍しいことではないが、実はその内容は二通りに分かれる。
 ひとつには夕呼の友人として――おもに夕呼の気分転換の手伝いとして。
 もうひとつはもちろんオルタネイティブ4――。私の場合は実動部隊であるA-01部隊につながる訓練小隊の件について。

 クーデターの鎮圧が終わったばかりのこのタイミングで、夕呼が茶飲み話をするために私を呼ぶとは考えられない。
 だから間違いなく訓練小隊のことについてだろう。そしていま呼ばれるということは……。
 思い当たる節がひとつだけあって不安だった。――そして結局、悪い予感というものは必ず当たるものなのだ。





 「……総戦技演習をクリアして戦術機で実戦を経験して、なおかつ帝国軍の精鋭と見事に渡り合っているのよ? 」

 ――なんでそんな連中を訓練兵なんかにしておかなきゃいけないのよ? 夕呼が怒るようにして視線でそう投げかけてきた。

 「夕呼、いえ、香月副司令! 無茶ですっ……! 彼等は戦術機演習の後期三ヶ月分の日程をまるまる残しております……! 」

 案の定、夕呼の話とは訓練兵の衛士への昇任のことだった。近日中に解隊式を行い、それをもって207訓練小隊をA-01部隊に補充すると。

 「じゃあまりも、ひとつ聞くけど――、それを消化したら、誰もが帝国軍の包囲を突破して将軍救出なんて荒事ができるようになるの? 」

 それはそうとは言えない。確かにそれを彼等は現時点でやり遂げている。しかし認めるわけにはいかない――。だから私には返事をすることができなかった。
 
 「……まりも。……ひょっとしてあんた、あの子たちに妙な情けをかけてない? 」

 「……」

 情けなどはかけていない。
 ただ、どう考えても無理なのだ。
 207訓練小隊のほとんどが今回の事件の関係者であって、彼等の負った心の傷などを考慮すれば、いま衛士にすることは最善の手段であるとは言えない。
 もう少し――あとわずかでもいい。彼等には時間が必要なのだ。
 もちろん夕呼の言い分もわかる。訓練小隊の技術は水準をはるかに超えていて、おまけにA-01部隊は常に人手不足だ。
 それでも私には納得することができなかった。
 なぜなら207訓練小隊の成長はあまりに急激すぎて――そのぶん、脆いように私には思えるのだ。

 私と夕呼の話は平行線を辿り、合意には達しないまま時間切れとなった。

 デスクに帰った私にピアティフ中尉から内線が回ってきた。
 命令が伝達される。
 帝国軍とのクーデター事件の現場検証に訓練小隊を連れて立ち会うこと。
 また白銀訓練兵はそれが終わり次第、香月副司令のもとに出頭させること。
 神宮司軍曹は訓練兵の任官のための書類を提出すること――。

 なんのことはない。結局のところ夕呼には逆らえないのだ。









 現地までは軍用特殊車両で向かった。時節柄、国連軍の戦術機が街中を闊歩するのはためらわれるし、今は少しでも訓練兵たちに休息を与えてやりたかった。
 父親を失った榊。父親が一連の事件にかかわっているとされた鎧衣。その二人を除いた207訓練小隊が車中にいた。

 道中は休んでいてかまわない。そう伝えてはいたが、御剣が白銀の戦術機のデータを見たい――と申し立てしてきたので私はそれを許可した。
 特殊車両の装備品の小さな画面には、白銀機が4機の不知火に追いかけられている様子を映していた。
 白銀の戦術機操作は素晴らしい。少なくとも私の知る限りでは彼に並ぶ者はいない。長ずれば随一の使い手になるのは間違いないと思えた。
 反面、それが恐ろしい。
 彼は勇敢だ。それがゆえに自分の許容範囲以上に頑張ろうとしてしまう危うさがあると私は感じていた。
 白銀が仲間に対し技術の解説をしていた。

 「だからさ、山岳地帯の最大の問題は足場なんだよ。かならずしも水平じゃないだろ? 」

 「ふむ――、確かにな」

 「場合によっては、左の主脚と右の主脚との着地地点の高低差が何メートルになる場合もあわけだろ?」

 白銀が身振りを交え御剣たちに説明するのはそう珍しい話ではない。それになかなかいいところに目をつけている。
 たしかに整地された市街地での演習では掴み難い感覚なのだ。私も黙って白銀の話に耳を傾けていた。

 「そうなるとバランスが崩れて次の出足が遅れるし、下手したら機体ごと転倒しちまう可能性はあるわけだ。」

 ――その通りだ白銀。だから腕の立つ衛士であれば与えられた情報から地形を予測し跳躍する前に着地地点を決めておくものだ。

 「……でも実際に着地に都合のいい場所探している時間は、通常移動中ならともかく戦闘中にはないだろ? 」

 ――……まぁそれもそうだが……。

 「だからその場合、無理に平地を捜し自分の機体を水平にするのではなく、斜面に対して垂直――つまり斜面と同じ角度に機体を倒して両足で接地するんだ」

 ――……何だと……?

 「……斜面に対して機体が直角になるように――? 」

 ――……彩峰の疑問はもっとものことだ。教本にもできるだけ平坦な地形を選び着地せよ、となっている。
 それに対して白銀は、斜めの地形なら斜めに立てとでも言うのだろうか?

 「その通りだ――、別に俺たちはその斜面にいつまでも立っていたいわけじゃない。ようは両主脚で地面を蹴って飛びたいわけだろ?」

 ――……確かにそのやり方なら跳躍ユニットと両主脚の能力を十全に生かすことができるかもしれない。出力の劣る吹雪でも不知火を振り切れるわけだ。

 「なるほど……。そなたはそうやって、あの追っ手をかわしていたのか……どおりで揺れるわけだ」

 「……一秒か二秒なら斜めになってもかまわない。倒れる前に跳べばいい 」

 「なるほどねー。すごいね、たけるさん」

 これだ。白銀は私たちとは違う。――そう、なんと言うか、彼には自分自身で教科書を作りあげているようなところがある。

 「あとは進行方向を見定めたら、足元ばかり見ないで、できるだけ遠くまで見ておくことかな?……ほら、マリオとかもそうじゃん? 近くしか見てないとかえって穴に落ちてしまうだろ? 」

 「ふむ――。なるほど……と言いたいところだが、ときにタケル、まりお とは何のことだ? 」

 「……白銀語」

 「えへへー。なんだろうねー? 」

 「……っと。すまん。忘れてくれ」

 白銀の戦術機機動の説明には意味不明の言葉が頻出する。先日も「飛び込み前転後方狙撃」なる技を めとろ、いど とか言っていた。
 地下鉄と井戸とは何を意味するのだろうか? 地下に生息するダンゴ虫のように丸まれ、とでも言うのだろうか? 彼の言語感覚については疑問はつきない。

 それにしても……。車内には穏やかな空気が漂っていた。
 無理はしているのだろう。でもそれを見せることは彼等はしなかった。
 仲間たちと交わす何気ない会話。その言葉の中に感じる思い。訓練小隊の連中は何とかいつもの自分たちに戻ろうとしていた――。
 だがそれが、かえって痛々しい。彼等にはまだまだ時間が必要なのだ。
 傷口をゆっくりと塞いでいく時間が――。
 
 そしてそれが出来た時、部隊のほとんどが事件の関係者で占められるという悲惨な事件は、ようやく本当の意味での幕を迎えるのだろう。













 12月8日  横浜基地


 司令本部に提出する訓練兵の報告書が書きあがったのはすでに夕刻を迎えていた。
 通常であればこのような書類は訓練期間終盤に指導教官が作成し、それを司令本部に提出する。
 司令本部が内容を吟味したうえで配属を決め、配属先の上官に送り、それを持って上官は部隊構成などの資料として参考にする――。
 これが一連の流れになるのだが、207訓練小隊に関しては少し違う。
 最初からA-01部隊用に育成されているため報告書は司令本部と配属先の上官――、この場合はA-01部隊の隊長である伊隅大尉の所に直接引き渡されることになっていた。
 訓練兵たちには明日が解隊式だとは、まだ伝えてはいなかった。別に驚かせたいわけではない。いま伝えても、素直に祝ってやれる自信がなかったのだ。

 ピアティフ中尉に連絡をいれ、伊隅大尉との面談の時間をセッティングして頂く。
 伊隅大尉から指定されたのは2100時に地下七階の第二会議室とのことだった。
 ずいぶんと遅い時間にはなるが、A-01部隊の多忙さを考えればそれも無理のないことのように思えた。



 地下七階の第二会議室に入るのは初めてだった。狭い部屋でテーブルがひとつに椅子が四つ。空きスペースを無理やり会議室にした、といったところか。
 伊隅の他にピアティフ中尉がいて、彼女が書類上の手続きをしてくれるとのことだった。
 久しぶりに会う伊隅は少し痩せているように見えた。挨拶の際に浮かべられた笑顔もどことなく寂しげだ。

 ――無理もない……。

 今回のクーデター事件でA-01部隊は一名の戦死者をだしたという。先月のBETA新潟上陸の際には二名が死亡し一名が病院送りになった。
 部隊の任務は常に過酷を極める。伊隅の顔に浮かぶ疲れが、隠しきれなくとも仕方のないことのように思えた。
 私もかつての教え子たちの姿を思い出し、心の中でその死を悼んだ。

 机の上に報告書をひろげ、申し送りを始める。

 「まず榊 千鶴訓練兵ですが――」

 榊の能力値を数字化しそれをグラフにしたもの。そして身上書に私のつけた備考――。榊 千鶴という人間の説明を始める。
 すでに司令本部から報告書のコピーを受け取っている伊隅は、それらを手に取りながら様々な質問を私にしてくる。

 「……先日亡くなった榊 首相のご令嬢。……真面目で優秀。少しお堅いところに難あり、てところか? 」

 「その通りです。大尉? どうなされました?」

  伊隅がなぜか微笑していたので、私は質問した。

 「……いや。よく似ているな、と思ってな」

 「大尉にですか……? 」

 伊隅が驚いた顔をした。それからゆっくりと笑顔を作ると――いや、軍曹にだ、と言った。

 「大尉にそう言われるのは心外です――」

 訓練兵時代の伊隅の堅苦しさを思い出し、そう反撃した。
 お互いにくすり、と笑いあう。伊隅と私は確かに似ているところがある。

 榊は明日の解隊式にあわせるように基地に戻ってくる――。彼女は大丈夫であろうか?
 彼女が父親との間に問題を抱えていたのは知っていた。それを解消できぬまま相手をなくす。それは心残りではないだろうか?

 「軍曹、この御剣訓練兵のことだが……? 」

 伊隅がそう切り出してきた時、まだ榊のことを考えていた私は少しばかりうろたえてしまった。
 幸いにも書類に目を落としていた伊隅は気が付かなかったようだ。
 御剣も複雑な問題を抱えていた。どうやら伊隅も兵士としての能力より、そちらを気にしているようだった。

 「……ですから今回、帝国のほうから御剣訓練兵の任官を認めて欲しいとの要請があったと聞いております」

 「……それは、戦死しても構わないということと解釈するが……? 」

 黙って頷く。御剣は影武者としての役割を果たした。だからこの要請は、あの一族の呪縛から御剣を解き放つために、彼女の姉自らが要請したのであろう。
 影ではなく己の選んだ道を自分の足で歩んで欲しい――。
 わずかな時間であったが、殿下と行動をともにした身には、痛いほどその思いが理解できた。
 
 
 

 「鎧衣というのはタフみたいだな……。速瀬の良いオモチャになりそうだ」
 
 伊隅が鎧衣の身上書に目を通していた。私は鎧衣の父親が帝国情報省の人間であったことを説明し、最近まで鎧衣自身も知らなかったことを付け加えた。
 ……鎧衣は解隊式に間に合うだろうか? 憲兵からの連絡はないが、きっともう夕呼が手を回しているはずだ――。
 任官はまだ早いと思う私がいる反面、そういったことには抜かりのない夕呼を頼もしく思う自分がいるのが不思議だった。

 「まったく――。首相の娘に将軍の妹。おまけに帝国のスパイの娘とくるか!? 」
 
 やれやれ、と伊隅があきれたようにため息をつく。

 「……まだあります。彩峰は戦争犯罪人 彩峰中将の娘。珠瀬は国連事務次官の娘です」

 伊隅が口をあけて呆けていた。やがて両手を挙げて降参です、と笑った。

 私は彩峰の格闘戦術が小隊でもずば抜けていることと、珠瀬の狙撃能力は数字上ではあるが極東一であることを伝えた。

 「……しかし、ウチにくる面子はいつでも化け物揃いだが、今回はまた格別だな――」

 伊隅が言うことはもっともだ。A-01部隊につながる私の訓練小隊に入る者は基本的にすべて夕呼によって選抜される。
 彼女がどういった基準でそれを決めているかはわからないが、いずれも逸材であるのは間違いない。
 現に速瀬や茜などは世が世ならオリンピックに出場してもおかしくないほどの運動能力の持ち主だった。

 「……それで最後が軍曹の秘蔵っ子ですか? 」

 伊隅が待ってましたとばかりに白銀の報告書を広げる。楽しげに報告書を読み上げる。

 「……座学A 個人格闘力A 射撃A 戦術機操縦技能A……」

 「訓練兵の戦術機操縦技能はAまでとなっていますのでそう記載しましたが、実際はそれ以上と判断しています」

 「……おまけにXM3の開発者、か」

 能力的には申し分ない。言うまでもなく最高の人材である。

 「……」

 「軍曹、良い兵士たちを錬成してくれた――。感謝する。」

 伊隅はそう言って笑った。だが私には伊隅に微笑み返すことはできなかった。

 ――不安なのだ。

 白銀が、ではなく夕呼の言葉が――だ。
 白銀と初めて出会った日――。夕呼は私にこう言ったのだ。

 「……とりあえずは使い物にはなると思うから徹底的に鍛え上げて頂戴――。……最終的には家族や恋人を自分の手で殺せるくらいに」

 夕呼はキツイ冗談を言う。厳しい言葉も使う。でも長い付き合いのなかで私は彼女の言葉がどちらなのか自然とわかるようになっていた。
 そして今回の場合は――。
 冗談ではないと思っていた。
 そう思って彼を鍛えてきた。特別だと思って育てたのだ。
 他の連中もそうだ。
 やむにやまれぬ事情を持って集まったのがいまの訓練小隊なのだ。

 そして今、訓練期間は終わりを告げた。
 だから彼等にはこれからきっと、そのくらいの厳しい現実が待っているのだ。

 私はそれが――怖かった。

 私が返事をしないのを不審に思ったのであろう。伊隅が私の顔を覗き込んでいた。

 「どうした? 軍曹……。体調でも崩しているのか? 」

 「いえ……。なんでもありません。失礼しました」

 返事をした瞬間、私は泣き出しそうになっていた自分に気が付いた。
 ピアティフ中尉が驚いた顔をしている。
 伊隅は私を元気付けようと思ったのであろうか、優しく私に微笑んでいた。
 よく見れば伊隅の目の下にはクマができていて、それを化粧で誤魔化しているのがわかった。
 A-01部隊の任務は過酷なのだ。常に死を伴うものなのだ。
 
 私は教育者になりたかった。
 そのために――戦争を終わらせるために軍に志願したのだ。
 けして教え子を戦場に送るために教官になったわけではない。
 そのことが私には口惜しかった。

 「軍曹、安心してくれ」
 
 伊隅がそう言って私の手を握った。

 「軍曹が手塩にかけて育てた芽は決して無駄にはしない――。必ず開花させてみせる」

 ――その言葉に嘘はない。それは理解している。でもそれを言った本人でさえ最前線で命を懸けているのだ。
 それに比べて私は――教え子を地獄に送り出すだけで、自分は基地のなかで安穏と……。

 何も言えなかった――。
 情けないことに教え子の前にもかかわらず私は涙を零してしまった。
 
 「……軍曹。大丈夫ですよ。心配しないでください。」
 
 伊隅の優しい声が痛かった。だから私にはもう涙をこらえる術がなかった。




 どのくらい泣いていたのだろうか? しばらくして伊隅が小さく囁いた。

 ――軍曹、覚えていますか? 私を殴りながら教えてくれましたよね。
 ――どんなに格好が悪くても生き残るのが大事だ……って。
 ――大丈夫。ウチの連中は皆、それをしっかり守ってますよ。
 ――だから軍曹は安心して次の世代を育ててください。
 ――でないとウチの連中も安心して戦えません。

 それから伊隅はしっかりとした声で私に告げた。

 「死力を尽くして任務にあたれ! 生ある限り最善を尽くせ! 決して犬死にするな! ――ウチの中隊の隊是ですよ。全部、軍曹の教えです」








 書類作業を全て終わらせた私はピアティフ中尉と別れ、伊隅に手を引かれてさらに地下に降りていった。
 どうしても見せたいものがあると伊隅が言うのだ。
 やがて照明の落ちた倉庫の入り口に私たちはたどり着いた。
 入り口に手書きの看板が掲げられていて、こう書かれていた。

 ――ヴァルハラ――
 
 「扉を開けて覗いてみてください」
 
 伊隅はそう私を促した。言われるままに扉を開ける――。
 
 「……せーのっ!」

 暗闇の中で知っている声がした。とたんに部屋の明かりが灯り、いくつものクラッカーが楽しげな音を響かせた。
 
 「――神宮司軍曹! 207訓練小隊錬成、お疲れさまでしたっ!」

 いくつもの声が重なっていた。倉庫の中はまるでパーティー会場のように飾られていて、そこにはA-01部隊の連中が勢ぞろいしていた。

 「……なかなかこういう機会もないものですから」

 伊隅が呟いた。――ウチの連中の気分転換も必要ですので。お付き合いして頂きますよ――。小さく笑っている。

 「……まったく……。貴様らときたら……」

 速瀬がいた。涼宮がいた。宗像がいた。A-01部隊の皆がいた。私の教え子たちがいてくれた。
 そうだ。私が、泣いたり笑ったりしながらも厳しく育てた仲間がいた。
 もちろん全員ではない。欠けた顔もある。もう二度とは会えない連中もいる。それは悲しむべきことだ。――それでも。
 誰かが一人でも生きてさえいてくれれば――。
 我々はそれを語り継ぐことができる。それを託しあえる仲間がいる。
 そんな仲間がここにはいる。

 「神宮司軍曹! ここには神宮司学校の卒業生しかおりません……! いわば同窓会みたいなものです」

 伊隅の顔は驚くほど真剣だ。

 「……従ってこれ以降は――。……貴官を軍曹ではなく教官と呼ばせて頂く! よろしいですね? 教官」

 ――まったくもってコイツらときたら……。

 「……好きにしろ」

 私が答えると同時に喚声が再び巻き起こり、クラッカーの音が再び鳴り響く。皆が笑い、乾杯の準備を始める――。
 その様子はまるで家族のようであって学校のようであって――。

 「神宮司教官、何やってるんですか? コップ持ってください! 」

 涼宮が私にコップを差し出してくる。コップの中には、なみなみとシャンパンが注がれていた。

 「……内緒ですよ? 京塚のおばちゃんがちょろまかしてくれた、高級士官用の本物ですから! 」

 速瀬がはしゃいで言った。
 全員に行き渡ったところで、伊隅が軽く咳払いをしてから音頭をとる。

 「……それでは僭越ながら……神宮司学校とA-01部隊の未来を祝してっ……。乾杯っ! 」

 そこにはどんなことがあっても、決して諦めない仲間がいた。
 どんなに辛いことがあっても笑って進んで行く仲間がいた。
 私が育てた? ……いや、そんなことを言うのはおこがましい。でも、これだけは胸を張って言える――。
 彼女等が最初の一歩を踏み出した時、私は間違いなくそこにいて彼女等とともに歩んでいった。彼女等の手を引いてやることができた。

 ここに207訓練小隊の連中が加わる。連中も同じだ。強く優しく逞しくあって、未来を切り開こうとしている。
 私はそんな連中に仲間を引き合わせることができるのだ。こんなに素晴らしいことは他にはない。
 何も心配することはないのだ。

 ――だから私も笑って送りだしてやろう。

 私に出来ない事は、きっと伊隅がやってくれるだろう。伊隅が出来ない事は速瀬が。そして涼宮が。宗像が。風間が。
 私たちはつながっているのだ。
 そうなった私たちに出来ない事などあるのだろうか?

 胸が熱くなり、涙をこらえるのが大変だった。
 伊隅が私のコップにシャンパンを継ぎ足し、ご苦労様です、と笑って言う。
 柏木が茜と笑っている。風間がバイオリンで軽快な曲を弾きだす……。
 宗像が速瀬をおちょくっている。慌てた涼宮が仲裁にはいろうとしている……。

 宴はまだまだ続いていて、いつ果てるか予想はつかなかった。
 夜はゆっくりと深くなっていくが、それに反比例するかのように喧騒はますます強くなり……。









 私はいま……。――幸せなのだ。



































 「……ら~かぁらぁあ、あん事故のぉ時はぁ、どぉ~うなるかと思っ、ったのよおぅ。……わぁかるぅ?」

 「……いえ……」

 「……ふぅんとにぃ……速瀬はぁ~、うわんわん泣いてぇぇるぅしい、涼宮はぁ、たおれたまんまでぇ、目ぇ覚まさないしぃ……」

 「……」

 「……私はねぇぇ!……涼宮がぁ三年っくらいはぁ、あにょまま目を覚まさぁ~ない、か、と思ったわよ……」

 「……」










 「……誰だ? 神宮司教官に合成日本酒を飲ませたのは? 」

 「……すみません、大尉。……私です」

 「……むぅ~なぁ~か~た~!!!!!」





 夜は更けていく。
 時計の針は零時を過ぎていて、207訓練小隊の解隊式当日を迎えていた。

 


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Muv-Luv SS脇役 整備班の場合2

 12月10日 横浜基地


 頭がまるではっきりしない。――無理もない。ここ一週間の平均睡眠時間は一日あたり3時間を切っていた。
 タイマーで無理やり叩き起こされた俺は、大きな欠伸をひとつしてハンガーの外の水道に向かい、ホースで直接、頭に水をかぶる。
 冷たい水が頭にしみる。

 「何やってんだい? 班長、頭でもイカレちまったのか? 」

 冬の早朝に頭から水をかぶる俺を見て、起床ラッパ前にもかかわらずランニングをしていた衛士が、足をとめ俺に話しかけてきた。
 俺は投げるかのように適当に敬礼を返し言った。

 「……今日の準備が終わったのが2時間前なんだよ」

 そいつはご苦労なこった、衛士はニヤリと笑った。

 「……お前さんも、ずいぶんと気合がはいってるみたいじゃないか? 」

 頭を振って水滴を飛ばしながら聞いてみた。
 わかるか? と彼女はその場でシャドウボクシングをしながら返事をした。繰り出すパンチにキレがある。

 「初の仮想敵部隊選抜だろ? 」

 仮想敵部隊に選ばれるというのは名誉なことだ。その腕が一級品であることを誰もが認めるということなのだから。
 今回は横浜基地中の衛士からわずかに16名だけが選ばれていた。
 彼女に気合がはいるのも無理はなかった。

 俺はツナギのポケットからタバコを取り出し火を点けようとして――止めた。
 嗜好品であるタバコは貴重品であり、俺の給料では一日一本が限度だった。頭をはっきりさせるために吸う、などという贅沢はできない。

 「今日のテストは班長のとこの新製品なんだろ? 」

 シャドウボクシングを続けながら彼女が聞いてきた。新製品ね――。おかしな表現だ。

 「あぁ、そうだ。――ウチの連中が作った代物だ」

 正確には少しばかり違うが、でもそんなの関係ねぇ――。俺は戦術機のこと以外は、基本的に何もかもどうでもいいタイプの人間だ。

 「OS変えたぐらいでそんなに性能があがるもんかね? 」

 俺は反射的に、その性能の素晴らしさを滔々と自慢してやろうかと口を開きかけて――止めた。
 彼女は少し不審そうな表情を浮かべたが、突っ込んで聞くこともなかった。

 「まぁ、いずれにしろアタシが皆、叩きのめしてやっからよ! ……ヒヨッコどもに覚悟しておけって言っておいてくれ! 」

 シャドウボクシングのスピードを最高値まであげ、複雑なコンビネーションを俺に見せつけると彼女は走り去っていった。
 去っていく彼女の背中にむかって俺は呟いた。

 「何のヒヨコなのかねぇ。……ご愁傷様、ミュン中尉。……美味いタバコのためには生贄が必要なんでな」

 今日の一本は間違いなく最高の味を楽しめる――。
 俺はトライアルが楽しみで仕方なかった。










 
 ハンガー内の大型ディスプレイにトライアルの様子がライブで中継されていた。
 このディスプレイは通常では、皆が共有しなけらばならない情報――整備順序や補給予定――を流しているものだが今日だけは変えてある。
 そこには戦術機の派手な市街戦の様子が大写しになっていた。

 本来は作業中にこういったものを流すのは好ましくない。整備士の集中力が削がれてしまい、作業に不備がでる恐れがあるからだ。
 でも今日だけは許そう、と俺は思っていた。

 整備士という人種は、自分が担当している戦術機に相当な愛着を持っている。
 そして――意外と思うかもしれないが――それを駆る衛士にも。
 だからこそ、下手な奴、機体をミスで壊す奴は嫌われ、逆に上手い奴、戦術機の能力を使い切れる奴は整備士に好かれる。
 まさに俺たちのチームの代表という感覚だ。
 特にウチの班の連中は若い奴が多いので、その傾向が強い。
 そしてそんな連中に、俺たちの代表が圧勝している様子を見せたらどうなると思う?

 案の定、俺の予想は大正解で――ウチの整備士連中はニヤニヤしながら作業を軽快にこなしていた。
 きっと外国人の衛士から見たら、日本人整備士は常にニヤニヤしていると不気味がられるのは間違いない。

 ――だがそれもいいだろう。これを喜ばずに何を喜べっていうんだ?

 ウチの連中の作業確認の声が普段の倍以上にデカい。そして全ての行動が通常の三倍くらい素早く行われていた。
 
 ――普段もこのくらいやりやがれっ、馬鹿野郎ども!

 俺は心の中でそう怒鳴り散らかした。――もちろんニヤニヤしながら。
 午前中の結果は予想通りだった。
 ウチの連中の手がけるヒヨッコ軍団は破竹の勢いでスコアを重ね、並み居る古参の全てを跳ね飛ばし――。

 最高の成績で午前中を終えた。



 
 昼休みの喧騒は凄まじいものがあった。
 XM3の素晴らしさを体験した衛士たちは、自分の機動をXM3に覚えさせようと機動禁止区域でも戦術機を動かすものだから危なっかしくて仕方なかった。
 先行入力の練習や動作キャンセルの試しなども、いたる所で行われていた。
 司令部からの禁止放送がなければ怪我人のひとりやふたりがでてもおかしくない状況であった。

 ウチの連中がXM3の開発担当チームの整備を担当していることは周知の事実だったので、ウチの連中は整備補給作業中にもかかわらず質問攻めにあっていた。

 ――馬鹿野郎! いま、忙しいんだ! ――
 ――後にしてくれませんかっ!中尉殿! ――
 ――どいてくれ!推進剤いれるのを邪魔するな! ――

 ウチの連中は作業に大わらわでとても応対できる状況ではないのだ。群がる衛士たちをつっけんどんに追い払っている。
 しかしその表情には笑みが隠されていて、俺は連中がこの成功を本当に喜んでいることを感じていた。
 衛士たちは執拗にウチの連中に喰らいつき、すこしでも情報を引き出せればと離れない様子が見えた。

 ――これはもう、やるしかないな……!

 そう。俺には秘密兵器があるのだ! 
 XM3公開の圧倒的反響を予想した我々は神宮司軍曹の協力のもと、一本のビデオを作製していた。

 『実践!これが新OSだ――XM3使用ビデオマニュアル』

 ハンガーの奥から移動式大画面モニターを引っ張り出しビデオを再生する。
 途端にそこは黒山の人だかりになっていった。集まった衛士たちが食い入るようにビデオを見ている。
 俺はその様子を一人悦になって見ていた。

 ――お嬢ちゃんたちも頑張ってたもんな。

 いま公開しているのはウチの連中が撮り貯めた、207訓練小隊の演習の模様をもとに製作したビデオなのだ。

 新OSが副司令の手により導入されて以降、彼女らは毎晩遅くまで、実機やシミュレーターに張り付き頑張っていた。
 それを見たうちの若い連中が何とか彼女らの力になれないか、と神宮司軍曹と話し合ったのだ。

 実機演習場に普段の三倍の記録カメラを設置し全てを撮影する。データロガーも簡易版でなくフルスケールに変更した。
 もちろん整備はしっかり行う。
 彼女らが部屋に帰った後、夜通し作業し完璧の状態に戻し翌朝には最高の状態にして引き渡す。
 嵐のような一ヶ月であった。
 だがその日々は充実していて、皆で何かを作っているという感覚が俺には嬉しかった。
 肉体がどんなに疲弊しようとも、その喜びが俺たち整備班を走らせていた。
 そうだ。俺たちは確かに未来を感じていた――。

 一際大きな歓声がモニターの前でおこった。

 ――小僧の機動だな……。

 モニターを見なくともわかる。そこには間違いなく20706吹雪の機動が再生されているのであろう。
 副司令から初めてアイツの機動を見せられた時――。
 俺は戦術機の機動が新しい歴史に突入したのを感じた。
 
 もともと俺は最近の戦術機の開発の流れが気に入らなかった。パワー増大主義。いかにも米国的思考だ。
 特にラプターという機体は気に食わない。

 機体の出力を大幅に上げたのはまだいい。
 気に入らないのは別のことだ。
 ステルス性能を強化し、レーダーを利きにくくする。
 レーダーにはせいぜい大型の鳥くらいにしか表示されない。
 F-15などとは違い、ラプターは他国には売却しない。
 米国が何を考えているのかが、見えすぎて俺は好きになれなかった。

 あれは対BETA用戦術機ではない。対戦術機用に作られた機体なのだ。

 おまけに顔も悪い。少しは武御雷の優雅さを見習えってもんだ。
 
 ――それに比べ副司令と小僧、それとお嬢ちゃんたちが作ったこいつはどうだ――?

 主眼が戦術機の機動、操作簡略におかれており、たとえ型遅れの撃震でさえ、CPUを変えXM3をぶち込んでやれば三割は性能が向上する。
 効果は絶大だ。使い方によっては五割近くまで戦力を向上できるのでは? と俺は見ていた。
 開発はこういう方向でやらなければならない――。
 しがない整備士の夢でしかないが、それを叶えてくれるのがXM3であった。

 誰かに肩を叩かれ俺は振り返った。
 明らかに不機嫌な顔をした衛士がそこにはいた。
 ミュン中尉だ――。
 彼女はたっぷり三秒程も俺の顔を睨み付けると、一転、大きく笑いながら俺にパンチをくれるふりをした。

 「完敗だよっ! 班長! ……黙ってるなんてヒドイ奴だな、アンタはっ! 」

 気風のいい笑顔だった。
 すまんね――。俺も笑ってそう返した。

 彼女の顔を見たことでタバコのことを思い出す。
 あと数時間後には至福の時が訪れる――。
 全ての作業を終え、整備班の連中と祝杯をあげる。宴は大いに盛り上がるだろう。
 お互いの苦労を充分にねぎらった後で、ハンガーの外へ一人で赴き、そこで一服するのだ――。
 いや、場合によってはもう一本吸ってもいいかもしれない。なにしろ今日は特別の日なのだから――。


 だが俺の夢は叶うことがなかった。


















 『コード991発生! 繰り返す、コード991発生! 』

 その声が流れた時、ハンガー内の全員が設置されているスピーカーを見つめていたと思う。
 皆、何を言われたのか、わからなかったのだ。

 防衛基準態勢1が発せられる。ハンガー内に緊張が走った。
 信じられなかった。

 ――極東最大の国連基地なんだぞ! なんでここに来るんだ? 佐渡島から来たにしても何故、ここまで気づけなかった?

 疑問が疑問を呼び、俺の頭は混乱していた。
 だが、口を開き呆けている衛士の姿を目にした瞬間、俺は自分を取り戻した。
 俺は生涯でもっともデカい声で怒鳴った。

 「テメェら! 実弾装備に変更だっ! 回せぇぇぇっ! 」

 

 悪夢だったと思いたい――。ハンガー内は恐慌状態だった。出口に殺到するもの、戦術機に飛び乗ろうとするもの、混沌の極みだった。
 慌てて走りまくる衛士の群れに流されて、整備士が実弾装備を取りにいけない様子が見えた。
 戦場で命を張っている衛士にこんなことを言うべきではないかもしれないが――。

 ――国連軍の衛士はヌルいのだ。

 所詮は流れてきただけの根無し草。国土防衛の意地のある帝国軍などと比べると、最後の一線で脆い。

 もちろん、失った国土を回復させん、と命を賭けて戦うものもいる。
 だがそれは割合で見たら、全体の三割程度であろう――。
 そして残りは――。
 食えないから兵隊をやっているにしか過ぎない連中なのだ。

 馬鹿が戦術機に乗って逃げようとした。それに踏み潰されそうになる衛士がいた。

 推進剤が漏れて、危うく爆発を起こしそうになったところもあった。

 それで即応部隊の発進が遅れた。

 国連軍の練度の低さを象徴するかのような事態がそこかしこで引き起こされていた――。

 ――一秒でも早く、実弾を届けてやらないといけないというのにっ!

 すでに俺の苛立ちは怒りへと変化していた。

 ――どきやがれ! 邪魔だっ!

 逃げ惑う衛士をスパナで殴り倒しながら、俺は補給コンテナの搬出作業へと向かった。

 そんな中でもエースが――、エース達だけはBETAと戦っていた。実弾の発射されることのない銃を持って。
 砲撃の支援もほとんどないなか、彼等は戦い続けた。撤退することなく、味方を信じて。実弾が届くのを待ちながら――。
 彼等は次々とBETAに殺されていった。

 俺は換装中に一度だけ叫んでしまったことを憶えている。

 ハンガー内の大型ディスプレイに吹雪が映っていたのだ。
 06ナンバーの吹雪は小僧の機体で、小僧もエース達と同じく模擬弾でBETAと戦っていた。
 あの機動でBETAをかわし、機動のみでBETAの侵攻を抑えていた。
 それがどんなに危険なことか俺にはわかった。
 だから叫んでしまった。叫ばずにいられなかった。

 ――頑張れっ! 頑張れ小僧っ! ――。
















 悲劇は終わらなかった。

 BETA駆除完了の放送が流されたあとも整備班の忙しさは変わらなかった。
 即応部隊に改めて補給し、壊れた機体を修理する。
 作業は山ほど残っていて、今夜も徹夜になることは確実だった。

 そんな折だった。
 神宮司軍曹が死亡したとの情報がはいったのは――。


 翌朝、俺たちは放置されていた戦術機を回収する作業にあたった。
 護衛の戦術機がつくような物々しい警護の中で回収作業は行われた。
 演習場のいたるところに戦術機が倒れていて、小僧の乗った吹雪もそこにあった。
 あの後、小僧はあの場所で戦い続けて機体を失った。
 事件が起きたのはその後らしい。
 撃ち漏らしたBETAが神宮司軍曹を喰ったとのことだった――。小僧の目の前で。


 目の前にある吹雪にはBETAの体液なのか、それとも神宮司軍曹の血であるのかわからないが、ところどころに赤いシミがあって、ここで行われた惨劇を見るものに想像させた。

 俺はタバコに火を点け一息だけ吸い込むとそれを地面においた。
 線香なんていう洒落たものはハンガーには置いていない。
 神宮司軍曹に対する手向けのつもりだった。
 あの人の良い――愛らしい女性はウチの連中に人気があった。
 女性としての魅力もさることながら、整備士連中にまで気を配ってくれることに皆が魅かれていた。
 
 ――すこし抜けてるトコロもあったな……。

 神宮司軍曹と整備班連中と皆で一緒になってビデオを編集していた時のことを思い出した。
 ナレーターを彼女にお願いしたのだが、最初のうちは緊張しているようで、まるで使いものにならなかったのだ。
 その様子が普段と違うものだから、ウチの連中は神宮司軍曹を冷やかしまくっていた。

 ウチの連中も同じ思いなのだろう。
 皆、青褪めていて口を開くものは誰もいなかった。

 敗北感に打ちのめされていた。

 すべてが上手くいくはずだった。XM3の能力を見せつけてやるつもりだった。
 それだけを楽しみに皆は徹夜で頑張ってきたのだ。
 皆で祝杯を挙げたかったのだ。
 だがそれはすべて無駄に終わった。
 皆が沈んでいた。誰もが視線を上げることもなく淡々と作業を続けていた。
 
 機体を持ち上げるクレーンの音がむなしく響いた。
 俺はひとりで現場を離れ、すこし遠くでその様子を監督していた。








 「班長、少しよろしいか? 」

 振り向くと一人の女性衛士がそこにいた。真新しい黒の強化装備。見慣れた顔だが表情は沈鬱だ。

 「……御剣訓練兵、じゃねぇ、――少尉。何の用でしょう? 」

 この女性は誰にたいしても綺麗な言葉を使ってくれる。気品がある。
 ハンガーに置いてある帝国軍貸与の紫の武御雷と、将軍のご尊顔に瓜二つの顔でウチの班の連中は皆、彼女の正体に気が付いていた。
 だがそのことが話題にのぼることは、整備班の中ではなかった。
 そういう噂話を控えさせるだけの雰囲気が彼女にはあった――。

 「班長、ひとつ尋ねたいのだが……、この吹雪はまた使えるようになるであろうか? 」

 吹雪を改めて見直す。その姿はもはや戦術機のものではない。ただの鉄屑だ――。もうコイツは死んでいるんだ。俺はそう言いたかった。

 「……こいつは無理でさ、少尉。使えるパーツを回収して……、あとは廃棄処分ですよ」

 表現を少し優しくしたのは彼女のことを慮ってのこと。それでも意味は同じだった。

 「……そうか。では、忙しいところに申し訳ないのだが……。班長、ひとつ頼まれてはくれないだろうか? 」

 彼女のほうにゆっくり振り向く。

 「実はこの吹雪に搭乗していたタケルは――……、白銀少尉は、すでに別の任務に赴いた」

 ――……!?

 「あの者が戻ってきた折に、私は渡してやりたいのだ……」

 ――……任務に就いた、だと?

 「だから、一部分でいい……。この吹雪のパーツの一部分だけでも譲って頂けぬものだろうか? 」

 あのガキの顔が思い浮かぶ。信じられない機動をして、俺が知るかぎり最高級の技術の持ち主だった。
 ハンガーの中で仲間や整備班の連中に冗談を言うのが好きな奴だった。

 そして――神宮司軍曹によく懐いていた――まだ子供だった。

 何がなんだか理解できなかった。――任務に就いた、だと。頭の中でその言葉を繰り返す。
 ごくり、と唾を飲み込んでしまう。――すでに任務に就いた――?

 「……お嬢ちゃんよ、小僧が任務に就いたってのは本当か? 」

 お嬢ちゃんが頷いた。

 「――今朝、確かめた。任務ですでに出張している、と」

 詳しいことは聞く気になれなかった。聞いたとしてもお嬢ちゃんも答えられないだろう。
 俺の手がける連中はそういう仕事をしている。それにしても……。
 あれだけ懐いていた恩師が目の前で殺されて、何日もまだ経っていないというのに……。
 もう一度、小僧の顔を思い出す。――その顔には年上の女性にたいするほのかな憧れも感じさせ……。

 俺は負けた、と思った。

 小僧は逞しい男だ。
 今は仕事に没頭しないと自分が動けなくなることを知っている。
 時には、感情を凍らせて身体を動かすしかない、というのをわかっているのだ。
 傷がどんなに大きく開いていたとしても、それに目を瞑ることで――。
 傷などないんだ、と自分に言い聞かせることで――。
 己を奮いたたせ前へ進んで行く。
 泣きながら突っ張る小僧の顔が目に浮かぶ。

 「班長、何とかならぬであろうか? 使えるパーツでなくても良い。何でも良いから、あの者に残してやりたいのだ……」

 お嬢ちゃんは必死に俺に訴えていた。お嬢ちゃんも小僧と同じで親を失ったばかりの雛鳥のはずなのだ。
 だから小僧の気持ちが俺以上にわかるのであろう。小僧のために何かしてやりたいのであろう。
 自分のことよりも、あの小僧のことが心配なのだろう。

 ――だったら大人の俺がやってやることは決まっている。

 「あの野郎に伝えとけ。二度と機体を壊すんじゃねぇぞ、ってな。コクピット周りなら記念になるものがあるだろう……。操縦桿でいいか? 」

 「班長――。すまない。班長の協力に感謝する」

 お嬢ちゃんの顔が輝いた。

 「いいって話だ。――しかし、お嬢ちゃんも大変だな? 」
 
 「あの者に比べれば私なぞ……、情けないばかりだ」

 「……いや、そうじゃねぇよ。……鉄砲玉みたいな野郎に惚れると、な……? 」

 「なっ!? 班長! な、何を言っている!? 」

 あまりにもわかり易い反応についつい笑ってしまう。――ようやく笑えた。
 俺は昨日の事件からまったく笑っていなかったことに気づいた。

 「パーツをはずしたらお嬢ちゃんに連絡をいれる。それでいいな? 」

 「……すまない、感謝する。それと……」

 「それと……? 」

 「お嬢ちゃんはやめてくれ。私はもう国連軍の衛士になったのだから」

 彼女は凛々しく、強く、まっすぐな視線で俺にそう言った。

 ――たしかにもう雛鳥じゃねぇな。

 その瞳は遙か彼方を眺望し、若い翼は羽ばたかんとしていた。
 だから俺は姿勢を正し、彼女に敬礼した。

 「失礼しました、御剣少尉どの――」

 班の連中に話してやらねばならない。すっかり落ち込んでいるあの馬鹿野郎どもに――。
 ウチらの代表は新たな戦いをもう、始めているぞ。
 あの小僧に負けていいのか手前ぇら――、と。


 

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Muv-Luv SS脇役 香月夕呼の場合

  12月12日  横浜基地 地下19階

 
 青白い燐光が部屋の中を満たしている――。

 光は部屋の中央に設置されているシリンダーから漏れていて、見る人によっては美しいと表現されるかもしれない色合いだった。
 シリンダーの中には身体を失った脳髄が浮かんでおり、それはちょうど人間の手のひらくらいの大きさで、ひどく儚げに見えた。

 シリンダーの前には少女がひとり立っていた。

 俯いていて、右手でシリンダーに触れている。瞳は閉じられていて、まるで何かを祈っているようだった。
 声をかけるという不粋なまねはしない。
 小さく白く美しい姿は侵しがたい雰囲気をかもしだしていて、話しかけることを躊躇わせた。
 ――それに少女はとっくの昔に私に気づいているはずなのだから。
 
 しばらくして少女が振り返り私に言った。
 
 「……準備できました」

 ――大丈夫なの? 

 視線だけでそう問いかける。
 
 「……平気です」

 思ったより強い語気で返事をされた。

 「私は弱虫じゃありません……」

 少女の瞳の中には強い意志が覗えた。

 「そ……。じゃあ始めましょうか」

 訪れる者のほとんどいない地下神殿に祭られた哀れな存在は、これから私の手によってこの世界に再び蘇る。
 それは人類の英知を結集した所業であり、そのうえ今まで人類が経験したことのない現象であって――。

 ある意味では神に逆らう行為になるのだ。

 









 私には生まれた時からの記憶がすべて残っている。

 訂正しよう――。正確には母親の胎内にいた時からの記憶もすべて揃っている。
 一定のリズムで繰り返される鼓動を感じながら、暗く暖かい海の中で惰眠をひたすら貪っていた頃からの全てを――だ。

 この世界に産まれ出でる時、私は余りにも狭い産道を通らねばならず、身体を圧迫され、その痛みに泣き叫んだ。
 外に出てもむしょうに息苦しく、私は大声で泣かねば、肺に空気が取り込めないことをその時に知った。

 後年、家族の前でその話をした時、家族の皆は笑ってそれを信じようとはしなかったが、私が私を取上げたのが女医であること。
 そしてその女医がもう五十歳を超えたベテランであったこと。
 酒に焼かれた声をしていたこと等を伝えると、皆が硬直し訝っていたのをよく憶えている。
 なんのことはない――。
 私はその時に聞こえていた音から外界を察知していたのだ。
 あの時、私の眼がすでに開いていたのならば、私は女医の容貌も家族に説明できただろうが、残念なことに私がその眼を開き世界のカタチを
 認識できるようになるまでには、いましばらくの時間が必要だった。

 
 今から考えれば、やはり変わった子供だったのだろう。私は同世代の子供と戯れることはほとんどなかった。
 そのかわりにといってはなんだが、家の中で好きなように自分勝手に生きてきた。
 早くから文字を学び読書をすることを憶えた私は、幼稚舎に入る前に絵本を卒業し、二人の姉の『教科書』なるものに目を通していた。
 両親は、私が姉の真似をして戯れているだけだと思っていたらしいが、やがてそうではないことに気づき、戸惑いながら私を試してみた。
 
 私は教科書に載っていた数学の――まだ算数というべきであろう――問題をすべて解いてみせ、国語にいたっては掲載されているすべての詩を諳んじた。
 両親は最初は驚きやがて――とても喜んだ。
 私には文学全集が買い与えられ、さまざまなジャンルの家庭教師がつくことになった。

 私には『知る』ことがとても楽しかった。多種多様な本を読み知識を関連づけ、次々と身につけていった。
 大人たちの教えてくれる知識は私を刺激し、それに反応するかのように私の能力は拡大していった。
 どの分野の家庭教師も私の才能を褒めちぎり、私の送るであろう将来を祝福した。

 ひとつ何かを『知る』たびに私の世界は広がっていった。
 文学を楽しみ、そこから歴史を学び、その背景として経済を覚え、それを整理するために数学を理解し、より高度な研究のため他言語を習得した。
 そのひとつひとつが官能であって私は貪欲にそれらを吸収した。






 
 問題が起き始めたのは、私が小学校に通うようになってからだった。
 幼稚舎に通っていた時もそうだったが、人間の子供というのは幼すぎて、私の相手をするには愚か過ぎた。
 当時のクラスメイトは人間というより、涎と鼻水を垂らした品性と知性の欠片もない動物にしか私には見えなかった。
 私はそんな動物たちを相手にするより、百科事典を読んでいるほうがはるかに価値があると思っていた。
 クラスメイトが話題にしているTV番組や遊びは、私にとって、もう何年も前に卒業したレベルであってまったく興味を引かれないのだ。

 だから私はクラスの中で孤立していった。

 実のところ、当人である私はそのことに関しては、さして問題にも思っていなかったのだが、母はこのことを本当に心配していた。
 私が家族に愛されて育ったのは紛れもない事実だが、なかでも忙しい父親や思春期を迎えた二人の姉よりも、母が一番、私を心配してくれていた。
 
 母は穏やかな人で――、後年、私の親友になる人物と雰囲気が似ていた。
 ――いや、これは誤りだろう。私は母と同じ雰囲気を持つ彼女に魅かれ友人になったのだ。

 母は娘が――頭はいいが――社会生活不適合者になるのを心配していたのであろう。
 母は私に友人を作るため様々な手段を使った。
 私の誕生日には近所に住む子供が招かれ、二人の姉の友人の妹や弟なども招待された。
 私は全ての子供を面接し――全て不合格にした。

 母はそれでも努力を続けた。
 私には通用しなかった。
 
 今から思い返してみれば結局、誰よりも母がもっとも私を操作するのが上手かった、と言えるのであろう。
 ある日、母は私に一冊の本を渡した。
 読んで実践してみろ、と――。

 『戦国大名に学ぶ人心掌握術――愛と裏切りの義理人情』

 まだ読んだことのない類の本だった。興味を引かれた。――私はその内容を貪欲に吸収した。

 翌日からクラスの雰囲気は一変した。

 私はクラスメイトのくだらない会話に参加し彼等の仲間になった。
 宿題を手伝い恩を売り、正義の味方を演じ、クラスの調和を崩す者には徹底的に圧力を掛けた。
 私の容姿に魅かれる者には媚を売って虜にし忠実な下僕にしてやり、またクラスの外に仮想敵を作りクラスの団結を図った。
 飴と鞭を活用し、私は自分の勢力を伸ばすことに夢中になった。
 
 私は一ヶ月でクラスを完全に支配した。

 二年生になった時は同学年を制圧した。三年生では上級生を配下に収め、四年生ではとうとう、教員を含めた学校を支配した。
 母の目論見通り――、というわけでもないだろうが、とにかく私は他人とコミュニケートすることに成功した。

 学校を支配して思ったのは、一人で孤立するより部下や協力者がいたほうが、自分に都合の良いように物事は進め易いということだった。
 これは大いなる発見であるとともに、その後の私の行動指針のひとつとなった。
 すなわち――やりたいことがあるのならば、まず権力を握ること。
 権力があれば、面倒なことは他人に押し付けてもかまわないということ。

 相変わらず知識の吸収を続けながら、学校という小さな社会を支配し操作し続ける。

 その二つを楽しみながら――私は幼年期を過ごしていった。

 


 
 
 


 私の能力にもっとも興味を抱いていたのは、実は両親でも教師でもなかった。
 それは一番上の姉であった。
 彼女は後に脳外科医になり優れた評価を貰う人間になるのだが、その道のハジマリは私という人間への興味にあったのは間違いないだろう。
 そして彼女の興味とは私の優れた才能が生み出す何か――ではなく、私の持つ能力それ自体のことだった。
 
 ある年の夏休み――。彼女は一日中、私と行動を共にした。彼女は常に時計とノートを持ち何かを記入していた。
 日々、観察され続けることに違和感は持ったが、変わり者の姉のこと――。
 結局は好きにさせておいた。

 そうして10日程も経過したある朝、姉は観察ノートを閉じ私に向かってこう言った。

 「夕呼――。今から7日前と同じ行動をしてみてもらえない? 」

 予想外の要請だった。同時に面白そうだと私も思った。
 当然ながら私自身も私の能力には興味があったのだから。
 果たして私は7日前とまったく同一の行動がとれるのであろうか――。
 試される本人が一番興奮していた。

 記憶の扉を開き、7日前の部屋に着く。私はその部屋に保管されていた『香月 夕呼』と同じ行動をとり始めた。
 同じ朝食をとり、同じ本を読む。同じ服を着て同じ音楽をかけ同じタイミングで用便を済ます――。
 私にとっては造作もない行動だったが、時間の経過と共に姉の表情が驚愕に変わっていったのをよく憶えている。
 朝の六時から始まったこの実験は夜の十一時まで継続され、最終的に姉に終了を告げられて終わった。
 すべてを終えた後、姉は私に向かい嘆息した。

 ――夕呼。あなたは自分のしたことが本当にわかっているの?

 ――あなたは7日前と全て同じ行動をとることができたのよ……。しかも一度も時計を見ずにね。

 言われてみて初めて気づいた。確かに私は時計など一度も確認しなかった。する必要がなかった。

 ――行動は完璧に模写されてたわ。本の読んだページや食事の咀嚼回数までね。

 これには逆に姉に感心した。よくもそこまでメモしていたものだ、と思うとおかしくなって笑ってしまった。
 姉もそんな私を見て苦笑していたが、やがて難しい顔をするとこう言った。

 「あなたの能力は素晴らしいわ。おそらく全ての記憶があなたの中で生きている――。あなたには忘れるということがない。でもね……」

 姉は明らかに言葉を選んで言った。
 
 「それが良いことなのか、悪いことなのか、それを決めるのはあなたなのよ」

 姉の言ったことは私には理解できているようで、その実、まだ何も理解できていなかった。
 姉の言うとおり、忘却というものの存在しない私の脳には、姉の言うことに該当する知識は過剰なまでにあったが、いかんせん圧倒的に経験が不足していた。
 ようは――まだまだ未熟者であった。

 その後も、姉の私への研究は続いた。
 無秩序に記入された数字を延々と暗記してみたり、一日中逆さ言葉を使ってみたり……。
 ある年の夏休みなどは、姉に拉致された私は光も音もない部屋――感覚遮断室――のなかで三日ほど監禁されたこともあった。
 幸いにも部屋の中にはトイレと三日分の食料があるのを手探りで発見できたので、私は姉が解放しにくるまでを暗闇の中で孤独を楽しむことにした。
 記憶の中の図書館に訪れ、執筆中の論文のヒントになりそうな書籍を再読する。
 関連情報をピックアップし、頭の中のノートに意見を記入する。気のせいか普段よりも効率が良いようであった。
 食事は味気ない保存食であったが、頭の中でその味をフランス料理のフルコースに置き換えた。
 私にはそういうことができるのだ。
 ただ辟易したのは――。三日後に訪れてきた姉が吐いた言葉。

 「普通の人間なら一日で頭が発狂する設備なんだけどな」

 姉もまた一人の研究者である。






 


 帝国陸軍付属白陵柊校に入ったのは単純に家から一番近いところにある、という理由だった。

 もちろん白陵柊自体はレベルの高い学校であったが、世の中はすでに戦時教育の色を強めていてかつ、すでに私は教師に教わる必要はなくなっていた。
 どちらかといえば白陵柊の広い図書館を利用することさえできれば、あとはどうでも良かった。

 この頃、私は吸収し続けた情報を整理し変化させることで生まれた新しい概念を、科学情報誌などに寄稿するようになり、私の名前は次第に世間にも知られるようになってきていた。

 白陵柊に在学中、私は三つの大事な経験をした。

 ひとつめは親友ができたこと。

 穏やかな外見を持ちながらも、その実、中身は頑固そのもので一度決めたら後には退かない。
 そうかといって固いだけでなく、私の過激なイタズラにも、文句を言いながらもついてきてくれる。
 彼女とはウマがあった。
 私が何か問題を起こすと、彼女が影に日向にフォローをしてくれた。
 私にとってそれは非常に楽しい行為であり、彼女を困らせるためにワザとより過激な問題を起こした。
 私は彼女に甘えていたのかもしれない。

 世界ではBETAの侵攻が厳しさを増してきており、自然と私の興味もBETAへと移っていった。
 私はBETAが嫌いだった。
 人間は――それがどんなに愚かであろうとも――何かを生み出す。
 音楽や文学や芸術品。工業製品や哲学。理論や数式。そのどれもが私には必要だった。
 私の飽くことのない知的欲求は終わることなく、それらの収集をすることを求め続けていて――。
 それらを破壊するだけで何も生み出すことのないBETAは、いわば私の天敵だった。

 徐々に戦局が悪化していくなか、親友は教師になりたい、という夢を私に語った。
 彼女にとってそれが本当に似合いの職業であると私には思えた。
 私は彼女が生きていく道を選択したことを喜び、彼女の力になってやることを心に誓った。


 そして丁度同じ頃――私は初恋というものを体験した。年上の男だった。

 恋なんてものは映画や文学、その他様々なもので情報としては知り抜いているつもりだったが、やはり自分で体験してみると違った。
 まさかこの私が、その男の顔を見るだけで動悸が止まらなくなる、などという経験をするとは思ってもみなかった。
 私はこの経験を大いに楽しんだ。
 彼は人生とは楽しむものだ、ということを私に体感させてくれた。
 結果としてこの恋は非常に大きな傷を私の中に残していったが、そのことについて後悔する気持ちはまったくない。
 ――むしろ傷を残してくれたことも私には、いい経験だった。


 この頃に経験した最大のものは――母を亡くしたことだった。

 二番目の姉から母の病名を告げられた時、私は素早く記憶の図書館に駆け込みその病気について検索した。
 ――でてきた答えは簡単だった。
 不治の病。治療法は確立されていない。
 自分の知識のどこを捜しても母を救う方法は記入されてはいなかった。
 私たち家族は結集して、母のために戦ったが――、母は三ヵ月後に旅立っていった。



 ――この世の全ての知識を納めたとて、できないことのほうがさらに多い。



 やがて私の興味は知識の収集ではなく、今現在、不可能とされていることへの挑戦へと変わっていった。
 私が『因果律量子論』を唱え始めたのもこの頃だった。






 物理や化学というものは面白い。
 私は特定の宗教など持たないが、最終的に神の存在を感じえないほど、この世は上手くできており、その神々との対話は私を楽しませた。

 私の進路は帝国の科学省や情報省などからも注目を受けた。帝国大学からも無試験で入学を認めるとの報せがきた。
 それだけではない。帝国軍や国連軍、アメリカの研究所からも誘いの手が伸びてきた。
 結局、私が選んだのは特別待遇で帝国軍白陵柊基地で研究を続けるということだった。
 何のことはない――。そこが家から一番近いのだ。

 親友が大学を辞め帝国軍に入隊した、と聞いた時は驚いた。
 初めて白陵柊基地で姿を見かけた時は、何かの見間違いだと思っていたくらいだ。
 意思の強い彼女であったが、自分の夢を守るために世界と喧嘩するようなタイプではない、と思っていたのだ。
 彼女のことは心配であったが。私の配慮を受けて、喜ぶ人ではない。
 彼女はすでに一個人として確立していて、私が口を挟むべき問題ではないのだ。
 この後、間もなく私は帝国大学に転籍した。
 あくまでも軍属という立場であったが研究の進行を早めねばならない事情があり、それにともなってのことだった。

 オルタネイティブ計画――それは国連の極秘計画。BETAとの意思疎通、情報入手計画。

 BETAは組織を持っている。組織があるということは社会性があるということにつながり、そこには何らかの情報伝達の能力が必要である。
 そこからスタートした研究は、すでに第三計画まで進行していたが、未だ成功をあげていないという現状であった。
 人体実験をも重ね、作った能力者によってBETAに思考があるというのは判明していたが、こちらからの訴えかけには反応はなかった。

 私もこの計画に参加するようになり、いくつかの重要案件にかかわった。

 その流れで、私は国連職員となり、国際的な研究の一端を担うようになっていった。
 国連職員として活動するなかで、私は国連内に二つの大きな勢力があることを知った。
 ひとつには、このままやり方を継続していこうという比較的保守派な勢力。
 もうひとつはG弾を使い、一気にBETA殲滅を謀る過激な勢力。

 欧州やアジア、国土をすでにBETAによって蹂躙されている勢力が前者。
 後者の勢力は米国やオーストラリアといった、直接的にBETAの脅威を味わっていない国々。
 BETAに侵略されてさえ人類はひとつにはなれていないのだ。

 私はG弾の使用には懐疑的であった。

 重力場異常を恒久的に起こし続けるG弾の影響は核兵器より深刻に思われ、ひいては大きな気象の変化や地殻変動を起こしかねないと見ていた。
 それは人類による自殺にしか私には思えなかった。
 それでもG弾使用推進派の勢いは根強かった。
 彼等の言い分はこうだ――。
 BETA支配下地域では、あらゆる動植物が生存を許されていない。
 それは核で汚染しようとG弾で汚染しようと同じだ。
 BETAによる被害の拡大を防ぐことが先決であって地球環境のことはその後に考えればよい――。

 国土を保持できている国ならではの考えだ、と思った。
 同時に私が、かの国の人間であればそのように考えるかもしれない、とも思った。
 結局のところ、人類存亡の危機を迎えた今とて、人は自分の周りのことしか考えられないのだ。

 私が最終的にその考えにのらなかった理由はふたつある。
 現在、保有が確認されている核兵器およびG弾――。
 その全てを投入したとしてもBETAが殲滅できるかは不透明だったこと。
 そしてもうひとつは彼等に対し、私がそう問いただした時に言った言葉。

 ――地球外脱出。

 もし地上のBETAを殲滅できず、米国、オーストラリアも国土を保全できない事態になるのならば――。

 最終的には人類の優良な種の一部のだけを地球外に脱出させる。すでにG元素を動力源とした宇宙船の設計図はできている。
 この言葉だった。

 救出すべき優秀な人間を選抜するのは我々で、キミをそこに加えてあげるのはやぶさかではない――、と。



 私はこの世界が好きだった。
 人間が好きだった。
 人の作った文化を愛していた。
 くだらない遊びも好きだし、家族や友人たちと幸せになりかった。
 地球を捨てて、愛する者たちを捨てて生きたいとは思わなかった。
 傲慢な他人にそれを決められたくはなかった。
 地球を捨てるということも、私には人類による人類への冒涜のように思えた。

 だから私は保守派に合流した。
 やがて保守派は国連内でリーダーシップをとることに成功しオルタネイティブ4が発動された。
 いつのまにか私はその中心人物のひとりとなっていた。
 過激派は――『オルタネイティブ5推進派』――崩壊したわけではなかった。
 むしろ表立って行動しなくなったせいか、その行動はかえって読み辛くなり、私はその対応に頭を悩ませた。



 
 九州から始まったBETAの日本侵攻はこちらの予想を遙かに超えた速度で展開され、3600万人の人間がその命を失った。
 BETAの勢いは留まる所を知らず、一時は首都圏にまで接近してくる有様だった。
 このままいけば日本も消失国家になる寸前まできてしまっていた。
 
 だが私の考えは違った。
 3600万人の人間が死んだ大惨禍が日本でおきたことは、むしろオルタネイティブ4にとって有利に働くと考えていた。
 
 ――横浜にハイヴが出来た時、私は内心――喜んだ。
 都合が良かったのだ。
 このハイヴの掃討さえできれば、ハイヴの中を調べることができる。 
 そこには必ずBETAの社会で使われるコンピューターのようなものが必ずあるハズなのだ。
 そこからなんらかの情報を入手できればオルタネイティブ4は間違いなく前進する。
 オルタネイティブ4さえ成功すれば、後はどうとでもなる――。
 だから――。

 私は米軍のG弾搬入をあえて気づかぬフリをした。

 米軍の使用した二発のG弾は、結果として横浜ハイヴ攻略に最大の効果を発した。
 国土は荒廃し、永遠に草木の一本も生えないような世界が横浜に出現した。

 それでも『オルタネイティブ5推進派』はその成果を全世界にアピールしようとした。
 あれほど手を焼いたBETAもG弾を使えば駆除できるのだ――、と。

 米軍はそのまま横浜に――日本に駐留するつもりであったのだろう、さまざまな圧力を日本にかけていった。
 私はそれを阻止しようと画策した。
 どうしてもハイヴ研究の主導権を『オルタネイティブ5推進派』に握られるわけにはいかなかったのだ。
 日本人の国民感情を刺激し反米感情を煽り、日本の独立性を訴えるとともに、一方ではG弾の生物生態への影響調査の人柱になるとして米国を納得させた。
 おそらく米国にも、他国に断りもなくG弾を使ってしまった――という引け目があったのであろう。
 米国はこれを飲み、日本もまた弱体化した防衛戦力を整えるために国連軍の駐留を許可した。

 やがて横浜ハイヴは極東最大の国連基地へと変貌していった。
 これは全て私の目論見どおりであった。
 
 私は自分の生きてきた思い出の土地の全てを焼き尽くし、母の眠る大地を汚した。
 人々の思いをことぐことぐ消し去り、人間文化のカケラひとつ残らないまでの破壊を行った。
 すくなくともその片棒は間違いなく担いだ。
 その罪は決して消えることはないだろう。
 だがそこまでしても、私はハイヴの中を調べたかったのだ。本当に知りたかったのだ。
 どうしても知る必要があったのだ。
 


 そして――。
 ひとりの『生存者』が発見された。
 


 
 おそらく――生命体かそれに準じる何か、とBETAに認識されたはずの『生存者』を研究しなければならなかった。
 それを理解することが、BETAとのコミニュケーションの入り口に立つことになるはずなのだ。 
 『生存者』の研究をするために、私はオルタネイティヴ3の産物である能力者を日本に招聘した。
 一切の生物学的コンタクトのとれない『生存者』を調べるのには、どうしても能力者が必要だったのだ。
 学者仲間の間では、私の知る機密事項が外部に漏れる可能性があるとか、個人のプライバシーが侵されるなどと言う者もいた。
 だが、私はそのどちらも憂慮しなかった。

 私の持つ最高の機密といえば、それは間違いなく『因果律量子論』になるが、それが漏れたところで誰がアレを理解できるというのだろうか?
 プライバシーに関してはどうでもよかった。過去の私がしたことを他人に知られる――。だからなんだというのだろう?
 
 そんなことよりも逆に、私の頭の中の全てを読み明かすことができるならば、いっそのことそうして欲しいくらいのところだった。
 有能な仲間は一人でも多く欲しかった。
 私の頭脳がもうひとつ増えるのならば、それにこしたことはない。

 私には時間が足りないのだ。
 BETAだけではない。
 米国だけでもない。
 国連だけでもない。
 日本だけでもない。
 
 BETAとやりあうためには、全ての人間の常識とも戦わなければならないのだ。

 人間が――人類が生きていくために必要な技術を作り出すまでの時間稼ぎができるのならば、何でもするつもりだった。
 母だろうが家族だろうが友人だろうが、自分の魂であろうが、その全てを悪魔に売り払ってもいいと思っていた。
 
 人が作ってきた文化や歴史――なんでもない日常生活やくだらない戯れ――。
 そのすべてを私は愛していた。
 そのすべてを私は守りたいのだ。
 そして世界中を見渡してもそれができるのは一人だけだった。
 私、一人だけなのだ。

 


 だが、その糸口は掴めず、私は減り続けていく砂時計の砂に苛立ちを感じていた。
 





 ――時間が一番、優しくて残酷――

 以前にそう、私に語ってくれた人がいた。
 
 時間というのは、どんなに辛い記憶でも、それを薄め淡くしてくれる。
 痛みは減少し、やがて良い思いでだけが残されていく。でもそれに気づくのは残酷だ。
 愛しい者の残してくれた記憶で、不要なものなど何一つないはずなのだから。
 自分の愛が薄れたわけではないのに、その存在はまるでどこか遠くの場所にいってしまったかのような感覚。
 そのことに気づくのはとても悲しい。

 ただ残念なことに――、というべきかあるいは、ありがたいことにというべきか判断はつかないが――、私にはそれがない。
 私の場合は辛い記憶は、思い出さないように封印するだけだ。
 薄皮を一枚だけ剥がせば、傷は生々しいまま永遠に残っている。それが私だ。
 母が亡くなった時の記憶。親友を失った時の記憶。人々の思いを打ち砕いた時の記憶。
 それはその時のまま、色褪せることなく永久に保存されていて、――牙を剥き、いつでも自らを傷付ける用意があるのだ。
 私の罪は永遠に許されない――呪いなのだから。
 すべての悲しい記憶を解放し、それを読み込んだら――。

 私は多分、発狂するであろう。





 シロガネ タケルがここに現れた時から予感がしていた。
 彼は私の理論の骨子たる『平行世界の存在』そのものだった。
 その予感が期待へと変化したのは、彼が『カガミ スミカ』という名前を口にした時から。

 白銀を親友の訓練部隊に送った後、私はオルタネイティブ3の産物である能力者――社 霞にその名前を告げ、脳髄に呼びかけさせることにした。
 白銀が自然発生的にこの世界に来たとは考えられなかった。何者かの意思が彼を呼んだのではないか――。そう考えたのだ。
 そしてその考えが正解であるならば、もっとも可能性が高いのはODLに浸かったあの脳髄だった。

 それまでの社にとって、あの脳髄からリーディングできたのは――会いたい――という感情だけだった。

 あの脳髄が誰で、どんな過程を経てああなったのかはまったく不明だった。
 唯一理解できたのが、あの生体反応の感じられない脳髄が、生きて誰かを求めているということ。
 誰に会いたいのかは解読できなかったが、とにかくあの脳髄は誰かを呼んでいた。
 視覚も聴覚も――いや、人の持つ五感の全てを封じられ、脳という檻の中に閉じ込められた人格はそれでも崩壊することなく――。
 ただ一人の人間を求めていた。

 社を使い、カガミ スミカと呼びかける。――反応は見られなかった。
 社を使い、シロガネ タケルのイメージを送る――。とたんに社の瞳が大きく見開かれ全身を震えさせた。初めての反応だった。
 まるで落雷にでもあったかのようだった。
 顔面は蒼白となり、立っていられず、たまらず社はシリンダーにもたれかかった。
 やがて震える声で社はこう言った。

 「……この人は鑑 純夏さんです――。……あの人に会いたがっています。……悲しんでいます。会いたい……って」

 社が泣いたのを見たのは、この時が初めてだった。

 「……会いたいって言っています。ここは怖い……。いなくならないで、タケルちゃん……」

 



 白銀には何も伝えないことにした。
 これは、どう考えても彼の処理能力で対処できる問題ではない。今の彼では伝えることができない。
 社にもそれは厳命した。絶対に、このことを口にしてはならない、と。

 社は初回の実験こそ、感情の渦にあてられ混乱していたが、二度目以降の実験ではもう落ち着いていた。
 鑑 純夏の激しい感情は臆病な社にはけっして持ち得ぬもので、社はその刺激を求めるかのように彼女にのめり込んだ。
 常にシリンダーの前に陣取りあの脳髄を見つめている――。
 あれほど使用をためらっていたリーディング能力を全開で使い、なお一層深いところまで潜っているようだった。
 その様子はまるで、姉の昔語りに耳を傾けている妹のようで――。私には少し羨ましかった。


 鑑 純夏の数少ないデータを入手しそれ調べ上げ、擬似生体や新素材を使い彼女の肉体を再現する。
 人の心はその入れ物である肉体の影響を受けやすい。彼女に寸分の誤差も感じさせるわけにはいかないのだ。
 入手できたわずかな写真や記録では埋められない微細な部分は、社を使い白銀の記憶の中から拝借させてもらった。
 彼女を復活させることさえできれば全ては動き始める――。
 私はひとり興奮していた。
 世界を救う手段が目の前にあるのだから。
 ただそこには依然として高い壁が存在していた。

 彼女の存在のすべてを封じ込めるには半導体150億個分の処理能力が必要だった。
 しかもそれを人間の手のひらサイズ――人間の脳ミソと同じ大きさにまで縮めねばならなかったのだ。
 私にとってもそのハードルはあまりに高く、私の持つ全ての知識を読み返してみても答えにはつながらなかった。
 白銀の話では違う世界の私は、結局その問題をクリアすることができなかった、とのことだった。

 ヒントになったのは彼の言葉だった。
 別の世界の存在である私が、私の理論を否定し新しい理論を論じているというのだ。
 同一異存在である自分に嫉妬するとともに、その理論をなんとか入手できないものかと頭を悩ませた。
 鍵になったのは彼の存在だった。
 新理論を知る私のいる世界から来た彼は、もともとその世界に一番近い存在なのだ。

 白銀を異世界に送り込む実験は難航した。
 何度も失敗を繰り返し、どうにか向こうの私に渡りをつけることができた。

 白銀が平行世界から量子電導脳の基礎になる理論を持ち帰ってくれたのは僥倖だった。
 彼の持ち帰った私の理論は、私の盲を開いた。

 ――観測できなければその『存在』は存在しない――
 これをひっくり反せば
 ――観測できればその『存在』はいくらでも存在する――
 
 理論上、00ユニットは自らが存在する全ての平行世界を観測でき、その能力を借りて演算処理ができる存在になる。
 無限に近い処理能力を有することになるのだ。

 00ユニット完成の流れを確信した私は、遅滞していたすべての計画に再始動の号令をかけ計画を進展させた。
 これでBETAとまともに戦える――。交渉や場合によっては停戦もできるかもしれない。
 いつしか期待は希望へと変わっていった
 すべてが上手くいくはずであった。


 後悔しているのは――。
 

 ……結局は私の強欲が原因であったのであろう。
 
 BETA大戦終結後の人類世界の行く末を考慮し、国連軍の強化――そしてXM3の能力を全世界に見せつけん、として私が選んだ行動は悲劇を招いた。
 むろん結果には満足している。
 国連軍の衛士は危機感を覚え、日々精進し目標に向かい忠実に行動するようになった。
 そしてなによりXM3は国連の切り札のひとつとなった。
 
 ただし支払った代償は大きく――私は親友を失った。
 善良で慈愛に満ち、誰からも愛される――私にとっても本当に大切だった人。

 恩師である彼女を失い、自らの責任を感じた白銀はそのショックで逃亡した――。
 逃げることで全てを忘れ、放棄しようとした。

 私には『忘れる』という贅沢なことはできなかったが――。だからといって、別に彼のことを羨ましいと思うことはなかった。
 逃げたところで必ずしも幸せが待っているわけではあるまい。どんなに苦しくても戦わねばならない時があるのだ。それに――。

 あいつは絶対に戻ってくる。

 私はそれを信じていた。

 あいつが逃げた先ではきっと今頃、因果の逆転が起きているだろう。
 場合によっては我々の世界がそうだったかのように、五十億の人口が十億人にまで減るような大惨事が起きているかもしれない。
 それを向こうの私が許すだろうか――? 許しはしないだろう。
 そして何より――、あいつ自身がそれを許すまい。

 だからあいつはここに戻ってくる。どんなに傷ついていたとしても。
 必ず立ち直りここに戻ってくる。
 運命を変えるために。
 それを望む女がここにいる限り――。
 彼女がここにいる限り――。



 ――世界を変える真実の愛――
 ――Muv-Luv ALTERNATIVE――



 そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
 自分の求める存在を、異世界から召還してでも自分のものにしようとする。

 その愛はどこか狂気じみていて――とても美しいのだ。

 白銀 武を求める女。

 その女を作るために、私は今から彼女を殺し――機械にする。
 成長することも繁殖することもない女。ただBETAと戦うことのみを求められる女。
 それを今から製作する。
 同じ世界に同一存在があるのは許されない。だから――。

 量子電導脳に光を灯し、生体脳にトドメをいれる。

 後悔はしない――。罪はいずれこの身をもって贖えばいい。

 私の手は血塗られているが、いつの時代だって産婆とはそういうものだ。
 赤子とは常に血と羊水の中から生まれる――。
 大きな声で泣き叫びながら。

















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Muv-Luv SS脇役 伊隅あきらの場合

  2001年12月25日 八時三十分 新潟沖




 冬の日本海とは思えぬほど海は凪いでいた。おかげで戦術機母艦は、ほとんど揺れることがない。
 太陽はすでに海面から顔を出し、脆弱な日差しがボクらの行く手をかすかに照らしていた。
 どこか牧歌的で――これから先に戦場が待っているとは思えないような光景である。
 冬の朝のどこか頼りない日の光を感じながら、それでも今日が雨天でなかったことにボクは感謝していた。
 ――雨が降ると、重金属雲の効きが少しばかり悪くなるのだ。

 戦術機母艦『安達太良』には十二機の戦術機が搭載され、そのいずれにもすでに衛士が搭乗していた。
 撃震の座り慣れたコクピットの中でボクは瞑想していた。大きな作戦なのだ。そして危険な任務なのだ。
 だから集中しておきたかった。
 もう一度あの人に会うまで死ぬわけにはいかないのだから。

 「――なぁ、もう一遍、詳しく説明してくれよ? 」

 後藤少尉の絡みつくようなイヤらしい声が耳の中に入ってきた。

 ――……しつこいなぁ。

 先ほどから繰り返し姉さんたちのことを教えろ、と懇願され続けているのだ。
 攻撃開始まであと三十分という時間だ。
 地球が丸いのと戦術機母艦の喫水が深いので救われているが、BETAの有効射程圏内に戦術機母艦はすでに侵入しているはずなのだ。
 そろそろ気持ちを切り替えて戦闘準備に入らなければならない頃合いだ。
 とてもじゃないが悠長にそんな話をしている場合ではない――。

 「なんだ? 03は02に家族のことを話すのは嫌か? 小隊ってのはそれこそ家族みたいなものだぞ。仲良くしろ。仲良くな! 」
 
 ボクの小隊――クラッカー小隊――小隊長の斉藤中尉からだった。
 きっと自分が後藤少尉の標的からハズれたのを喜んでいるのだろう。声が明るく弾んでいた。

 02――後藤少尉はボクの先任で出撃回数七回を超える勇士であり容姿も悪くはない。
 やや明るめ髪と切れ長の眼は黙っていれば美青年とも言える。
 悪くないミテクレなのだ。
 悪くはないのだが、女性衛士からはウケが悪い。
 非常に悪い。
 かなり悪い。
 何故か――?

 軽いのだ。
 女性と見れば、誰それかまわず声をかける。誘いまくる。まるで重みがないのだ。
 いくら男性が貴重な時代になり、男でありさえすればどんな奴でも多少は優遇される今の時代にしてもこれは酷い。
 節操もなく女性に声をかけ、反応があるやいなや、連れ込みにかかる彼の姿勢は基地内で知れ渡っていて、彼と一緒にいるだけで尻軽女と判断される――。
 同じ小隊でなければボクも話すことは絶対にありえない人。――いわゆる女の価値を下げる男なのだ。

 なんでそんな人になってしまったのか想像もつかないが、以前の彼は寡黙でしっかりした男だった、とPXのオバちゃんたちは言っていた。
 その軍歴も、実は01の斉藤中尉より長く、本来であればとっくに小隊長に昇進してもおかしくはない。

 ――ただし彼は五回目の出撃の際に重傷を負いそれがもとで戦列を離れ、二年間のブランクを経て復帰した。
 そして先月の作戦の際にボクらの隊に合流し、今回が復帰二戦目なのだ。

 いわゆる衛士としての腕はなかなかであるし、状況判断も的確だ。ボクも前回の作戦では色々と助けて貰った。
 そのことは感謝している。本来は尊敬されるべき先任であるはずなのだ。
 普通にしていればそれなりに――、いやかなり女性の人気を集めるタイプのはずなのだが……。
 なんでこんな変人になってしまったのだろう?

 ――……まぁ、でも誰か一人でも後藤少尉が引き取ってくれれば、多少はボクに有利になるか……?
 
 そんなことを考えてしまった。
 そう、恋愛に反則はないのだ。ましてやこれはバトルロイヤル。許されよ、姉上方――。

 「――え~、一番上の姉はやよいちゃんと言いまして帝国内務省に務めてますよ」

 「おぉー! エリートじゃねぇか。で、どうなんだ? カワイイのか? 」

 ボクの返答に後藤少尉は、やけに興奮しているようだ。無線を通して鼻息がピスピス聞こえてくる。

 「……カワイイっていうより美人って感じだと思いますよ」

 やよいちゃんの顔は姉妹のなかでも一番キレイ、と言われることが多かったと思う。
 キレイで、お母さんによく似ていてすごく面倒見もいい。
 ボクなんてオフクロの味で育っていない。間違いなく、やよいちゃんの味で成長してきた。
 その外見も、そして内面も女性としての魅力に満ち溢れている。
 ――でも多分、男の人が、やよいちゃんを初めて見て、最初に魅かれるのはそういう点ではないだろう。
 
 それはやよいちゃんの胸だ。

 やよいちゃんの胸は、あと2センチ大きくなると計測単位がセンチからメートルへと進化する。

 破壊力満点の重火器なのだ。同じ血を引く者ではあるが――恐ろしい女だ。
 もともとお母さんっぽい印象のある人だが、それをあの胸はさらに強調する。
 
 でも後藤少尉には教えない。キモチ悪いから。

 「写真ねーのかよ!? 写真! 」

 おそらくボクが戦術機のコクピットにお守り代わりに写真を持ち込んでいるのを前もって、どこからか聞きつけていたのであろう――。
 後藤少尉の写真コールが無線で繰り返され続ける。
 コンソールの隅に挿しておいた写真を引っ張りだす。写る人、皆が笑っている。
 幸せな時間を切り取った写真なのだ。
 四人姉妹の集合写真なのだが――、ボクにとって一番大切な人はそこには写っていない。
 この写真を撮ってくれた人がボクの想い人なのだ。
 写真を見ているだけでも、撮影した日の天気や、その場所の匂いまで思い出すことができる。
 大切な人が撮ってくれたボクの宝物なのだ。
 
 ――……まったく。出撃前に何やってるんだろう、ボクは。

 馬鹿みたいだ、と思いつつ写真をデータリンクで転送してやる。
 ふと気づいた。この戦術機母艦に所属する三個小隊全員がこのバカ話に耳を傾けていることに――。

 「おぉぉっ! お前のトコって美人一家なのなっ!? 」
 
 「そりゃそうですよ。伊隅美人四姉妹っていえば、ご近所では知らない人がいないって言われるくらいの注目の的だったんですから」

 「――自分で言うな、と言いたいところだが素直に認めよう。伊隅んちの姉ちゃんは美人だ」

 「……姉ちゃんは? 」

 またコレだ。ウチの姉妹の写真を見た人は大抵、同じようなことを言う。
 ――オマエのオネーサンは美人だな。
 自分でもボクがボーイッシュなのはわかっている。確かにボクは、お姉ちゃんたちとは雰囲気が違う。でもいいじゃないか!
 少なくとも正樹ちゃんは短い髪は似合ってるって言ってくれたし、ボクの頭を手でワシワシするのを正樹ちゃんは好んでやっていた。
 他人に何を言われようとも平気だ――。
 ……平気のはずだけど毎度毎度これだからね――。
 
 ――……もっともそれだけボクのことが、からかい易いからなのかもしれない。親しみやすい人柄。――うん、そうだ。そう判断しよう。
 決して負けてないぞぅ、ボクは。

 「へー。03の家族写真は初めて見るけど確かに美人揃いね」

 斉藤中尉が感心したかのように言った。
 
 「隊長にはかないませんよ! 」

 「あら、ありがとう」 

 斉藤中尉は大人の女性らしい返事をした。
 斉藤中尉はなかなかの美人だ。やよいちゃんより年上で、ちょっとばかり化粧は濃いけど人目を引く顔立ちをしていた。
 彼氏はいない、とのことだがボクは知っている。隊長は毎晩必ず電話室に入り、外部に連絡をとっている。
 きっと基地の外に素敵な人がいるのだろう。

 「お嬢さまってのは聞いてたけど……本当だったんだねぇ」

 冗談めかして言ってきたのは 伊藤 佳奈少尉。
 ボクの同期でボクらの小隊の04だ。
 ボクと佳奈は初陣から斉藤中尉にお世話になっている。
 佳奈はすこし蓮っ葉な感じのする子で、配属された当初はよく斉藤中尉と揉め事を起こしていたが、今ではすっかり中尉になついている。
 ちなみにボクらの小隊は隊長をはじめ 斉藤、後藤、伊隅、伊藤となっていてわかり難い。
 だから普段でもコールサインで呼び合うことが多かった。
 
 「少なくとも04よりは育ちがヨロシクテヨ」

 ボクがふざけて言うとムキになった佳奈が、何やら奇声を発していた。いつものじゃれ合い。訓練校時代からの大切な仲間だ。

 「おい、この眼鏡をかけた姉ちゃんは? 」

 「みちるちゃんですね。二番目の姉ですよ。国連軍の所属です――」

 「なんだ、国連軍かよ」

 後藤少尉が毒づいた。
 先のクーデターの際の将軍救出で多少は株を上げたとはいえ、国連軍は米国軍の手先とみる人はまだ多いのだ。
 
 ――みちるちゃんは何故、国連軍にはいったのだろう? 日本人なら帝国軍に入るのが当たり前なのに。

 以前に尋ねてみた時は、みちるちゃんは笑って誤魔化していた。――楽そうだったからね。横浜は後方だし――。
 お母さんはそっちのほうが気が楽みたいなので何も言わないけど、ボクには納得できなかった。
 みちるちゃんみたいに何でもできる才能の持ち主ならきっと日本の役に立つハズなのに、それを国連軍でただ錆びさせるなんてもったいない。
 今でもそう思っている――。

 「……むぅ。でもコレもいいなぁ。こういうキリっとした感じ。……あぁ!踏まれてぇぇ! 」

 後藤少尉の特殊な性癖の漏らしっぷりに、いくつもの笑い声が反応した。やっぱりヨソの小隊も聞き耳を立てているのだ。

 ――……恥ずかしいなぁ! もう!

 「変態野郎には紹介しませんよ! それに……」

 「なんだぁ? 」

 「見かけ通りに、きっちりしてる人ですから02でしたら会って三秒で撃沈ですよ」

 「手厳しいな。 そんなにキツイのか? 」

 「――前にボクが約束に三分遅れた時に……その場で三分、息を止めろって言われました」

 「……キツイなぁ、それは」

 「できなきゃ三分間、心臓止めるでも良いのよって」

 むむっと後藤少尉が唸っていた。
 無理だろうな――。後藤少尉はだらしないし、みちるちゃんは本当に厳しい人だから後藤少尉じゃ、口もきいて貰えまい。
 でも、なんだろう。最近は少しだけ、みちるちゃんも柔らかくなったような気がする。

 ――みちるちゃんも成長したのだろうか? それとも誰か違う人に恋でもしたとか? 

 ――……ありえないな。……みちるちゃんはしつこいから。

 みちるちゃんは家族のなかでは一番、会える確率が低い。
 国連軍ゆえに仕方のないことだとは理解しているけど、十数年、同じ屋根の下で暮らしたものとしては会えないってのはやっぱり心配なのだ。

 「……で、オマエの隣に写っているのが三番目の姉ちゃんだろ? 名前は? 」

 「まりかちゃんです。帝国軍衛士ですが今回はお留守番ですよ」

 「へー。こりゃまたオマエとは違ってお淑やかな感じがなんとも……」

 ――結構、見る目があるなぁ――。

 妙なトコロでボクは感心していた。
 たしかに姉妹の中ではまりかちゃんが一番、女の子っぽい。――胸は一番、小さいけど。
 やよいちゃんも女性フェロモンでてるけど、どっちかっていうとアレはお母さん系だし、みちるちゃんは美人だけどヨソの人には厳しいだけだし……。

 「ボクのふたつ上ですよ」

 そして正樹ちゃんと同級生だ――。
 正樹ちゃんとまりかちゃんはしょっちゅう同じクラスになっていた。
 ボクが会えない時でも、まりかちゃんはずっと一緒にいられた。神様は不公平だ。

 そうだ、ボクにはハンデがある。
 やよいちゃんとみちるちゃんは正樹ちゃんより年上で、正樹ちゃんが生まれた時から知っている。
 それこそ、やよいちゃんなんて正樹ちゃんのオシメを換えたこともあるよって笑ってた。
 正樹ちゃんは子供の頃は、みちるちゃんの後ろにくっついてたって自分で言ってたし、まりかちゃんは言わずもがなだ。
 ボクだけが年下で、みんなより正樹ちゃんと過ごした時間が少ない。
 それはすごく口惜しい。

 でも負けていないはずだ――。

 ボクは子供の頃からずっと正樹ちゃんの後ろをついて回った。
 虫取りも川遊びも全部、ついて行った。
 正樹ちゃんが男の子と遊んでいる時もボクは交ざって遊んでいた。ずっとずっと一緒にいた。
 家の中で本を読んでいるより外で遊んでいるほうが好きだったし、何より正樹ちゃんが一緒に遊んでくれるのが嬉しかった。
 金魚のフンみたいだ――なんて言う人もいたけどボクは気にしていなかった。

 ――刷り込まれてるんだよね。初めて見たものを親鳥だと思ってしまうヒヨコのように――。

 そうだ。あの頃からボクはもう決めていた。ずっと正樹ちゃんと歩んでいくことを――。
 だから――。

 ――今度、会ったら必ず告白する。

 ボクはそう心に決めていた。


 
 「……とりあえず上から順に紹介してくれよ」

 ……何か重要なことを聞き逃していた気がする。

 「頼んだぜ!あきらちゃんよ」

 後藤少尉が投げキスをしているのが見えた。うげ。
 写真を見せなければよかったな――。
 今から取り返そうとしても、あの馬鹿少尉はこういうことには素早いから、とっくに保存しちゃってるだろうしな。

 「――せっかくですが後藤少尉。お断りさせて頂きます。紹介するのはいいですが、万に一つでも少尉を、お兄さんと呼ぶのはイヤですから」

 なにぃぃっ! という後藤少尉の声が裏返るほどの絶叫と三個小隊全員の大きな笑い声が同時に聞こえてくる。
 その瞬間、ようやくわかった。

 ――この人はコレがやりたかったのか……。

 前回の作戦で損傷をだし員数の欠けたこの三個小隊が、中隊扱いに編成されたのはBETA新潟上陸の後だ。
 合同訓練もまだ二度しかしていない。しかも十二名の衛士のうち、四名は新人衛士だ。
 初陣がこんなに大きな作戦になってしまった新人どもは、当然ながら緊張もしているだろう。
 そんな新人にリラックスしろ、と声をかけたとて意味はない。

 だから先任であるボクたちの馬鹿話を聞かせようとしたに違いない。
 
 ――斉藤中尉もどおりで話しをけしかけてくるわけだ。

 これが急造の寄せ集め部隊ではなく、普通の中隊ならばいくらでも笑えるネタはあるだろう。
 そこには共通の思い出があるのだから。
 でも今のボクらにはそれがない。

 だから誰かが道化を演じるしかなかったのだ。
 それを進んで買ってでたのが――。
 ボクは少しだけ後藤少尉を見直していた。
 実戦をくぐり抜けてきた先任ならではの雰囲気作りだ――。

 「……そんな冷たいことを言わずにぃ、お願いしますよぅ~伊隅少尉ぃ~ 」

 ……前言撤回。絶対にこの男は義兄とは呼びたくない。

 「さて、馬鹿話もそこまでだ。そろそろ時間になるぞ」

 斉藤中尉がそう言って場をまとめた。時間は間もなく九時になる。
 衛星軌道上からの攻撃が始まる予定の時間である。
 頭のなかでもう一度、作戦の流れを再確認する。

 衛星軌道上からの対レーザー弾による攻撃。BETAの二次迎撃。それによる重金属雲の発生。タイミングを合わせて戦艦の艦砲射撃による面制圧。
 真野湾から海兵隊の上陸。雪の高浜から橋頭堡を確保。続いてウィスキー部隊を順次揚陸。
 ボクが参戦するのはここからだ。

 きつい任務なのはわかっている。――なぜならボクら――ウィスキー部隊は囮なのだから。

 恐怖が心の奥底に眠っているのを感じる。
 いまさらながらこの作戦に姉さんたちや正樹ちゃんが参加していないのをボクはありがたく思った。
 
 深呼吸をしながら目を瞑る。

 ――よしっ!

 小さな気合の声とともに目を明ける。
 佐渡島が小さく目に写る。
 奇怪なオブジェが遠目にも観察でき、その異形があらためて人とは違うものの存在をボクに感じさせた。

 間もなくボクの戦争が始まる。
 国土を奪還するための作戦が――。

 生き残る。絶対に生き残ってみせる。

 

 甲21号作戦が始まる。




 





 ――大気に金と白の粒子が輝いている。

 戦場にもかかわらず、思わず見惚れてしまう――。
 その光景はまるで妖精の住まう御伽噺の世界の美しさを持っていた。

 幻想世界と違うのは――その光が輝く時には、鳥の鳴き声ではなく、耳を劈く爆音と大地を揺るがす地鳴りがすることだ。
 
 微細な重金属の粒子で構成された人工の雲は有毒かつ有害である。
 重金属雲を発生させることは大地に毒をまき散らかすことにほかならないし、人体に対しても猛毒で吸入し体内に蓄積されていけばいずれ、重度の障害を起こす原因となる。

 それでも戦闘のたびにALMが使用されるのは――。
 その重金属雲を抜けてくる間にレーザーはその威力を減衰させ、戦術機の装甲でも上手くすれば通常より3秒程も長く耐えられることになるからにある。

 「――いいなっ! 小型種はかまわんっ! 突撃級だけは必ず始末しろっ! 奴らに戦車を食わせるな! 」

 斉藤中尉の怒鳴り声が耳に飛び込んでくる。
 衛士用の強化装備は自動的に音量を調整してくれるが、それでもはっきりと怒鳴っているのがわかる。
 まわりの爆音に負けまいと無線にもかかわらず叫んでしまう心境はよく理解できた。 


 匍匐飛行で海面を切り裂くように上陸したボクらはまず第一の過程――占領地を拡大させ機甲部隊――戦車や自走砲、いわゆる砲架部隊の上陸を手助けすること。

 戦争は戦術機だけではできない。
 戦力を有機的に組み合わせることが必要である。

 こと砲撃戦のみに限れば砲架部隊は戦術機よりも何倍も優位である。
 ALMを発射し敵のレーザー攻撃を妨害し120mm滑腔砲で面制圧を行う。戦車の射程は実に3600mにも及ぶ――。
 全高3メートルに満たない低重心からくるバランスのよさはそのまま射撃精度の向上につながり、前面投影面積の少なさはレーザー級の標的になるのを避けるのに役立つ。
 地形を利しての稜線射撃も有効だ。

 自走式ロケット砲や87式自走高射砲改も同様である。
 いわゆるミサイル弾ともなれば射程距離は40kmを超えるものもある。
 ただミサイル弾は飛翔体として、BETAに撃墜されてしまうことが多いのも事実だ。
 だから、これらを有効に活用するには光線級の駆除が大切になってくる。
 それさえできれば、ミサイル弾の爆発力はかなりのもので、その火力はBETA攻略に、かかせない戦力である。

 反面、苦手としているところもある。
 戦車の無限軌道は、どんな荒地をも苦にしないが、そのスピードは突撃級BETAの最高速度の半分程度しかない。
 もしも突撃級との追いかけっこが行われるのであれば、戦車は死を覚悟せざるを得ない。
 突撃級の一匹で何十輌もの戦車が押しつぶされることもあるのだ。

 相手が要撃級や戦車級でも同様だ。
 その二種属は速度こそ戦車より遅いものの、その圧倒的物量は容易に戦車部隊を包囲しらしめる。
 事実、戦車級に喰われた戦車は枚挙に暇がない。

 ――つまり機動力の劣る戦車部隊だけでは、BETA最大の武器である数の多さに対応するのが難しいのだ。

 BETAは弾幕を張ってもそれを気にもかけずに侵攻してくる。味方の死体を踏み越え臆することなくひたすらに突撃してくる。
 人間とまったく異なる思考である。それは恐怖だ――。
 大戦当初から幾多の戦車がこの物量に飲み込まれれてきた。

 そしてそれに対抗するために人類が生んだのが戦術機と言えよう。
 
 戦術機の持つ機動性。一瞬にして突撃級を上まわる速度までの加速性能。
 BETAに距離を詰められたのならば、BETAを振り切り再度、距離を取り直して攻撃する。
 物量にそうやって対応する。
 戦術機が装甲重視から機動力重視に変わっていったのは自明の理である。
 その立姿勢ゆえにレーザー級の攻撃は警戒が必要だが、ありがたいことに基本的にレーザー属は個体数が少ない。
 
 ボクも第三世代機である不知火の戦闘の様子を収めた記録映像を見たことがあるが、それはまるで多人数でやるバスケットボールのような動きであった。
 BETAの群れに戦術機集団が飛び込み、フォーメーションを巧みにに変化させながらそれを撃破していく。
 その動きはまるで止まる事がなく、ボクには目を離すことができなかった。

 ただ残念なのは――ボクの搭乗する撃震は第一世代機なのだ。

 撃震の機動力は戦車などに比べれば格段に上だが、不知火などと比較してしまうと圧倒的に劣ってしまう。
 ウサギと亀ほどの差はないが――不知火と同じことをしようとするのは、どだい無理な話だ。


 撃震の場合、大規模戦闘になると、小隊、中隊規模による突撃攻撃ではなく、複数の部隊を連携させてのライン攻撃が主となる。
 一列横隊を作り、迫りくるBETAに集中砲火を浴びせる。
 拠点防衛の応用だ。
 その戦線を押し上げることで攻撃し、下げることで防御する。

 どのような作戦でも基本的に後方に砲架部隊を置き、その前に戦術機が防衛線を築く。
 艦砲射撃と砲架部隊の面制圧で撃ち漏らしたBETAの集団をボクら――戦術機部隊が抑える。これが基本的な戦術である。

 注意しなければならないのはレーザー級の存在と、前面に頑強な甲殻をもつ突撃級の突進だ。
 常にデータリンクでBETAの動きを読み、要注意目標が出現した際には速やかに砲架部隊の支援砲撃を要請し、遊撃の任を受ける陽炎部隊に連絡をとる。

 それがボクら撃震を駆る部隊の仕事だ――。


 ボクの背中越しに戦車部隊がBETA群に砲撃を加える。120mmはボクの頭上を通過した瞬間に大気を切り裂き、その音が聞こえる。
 爆音と土煙。跳ね上がるBETAの死骸。
 BETAは味方の死をまるで気にかけることもなく突っ込んでくる。
 前方に迫った要撃級にボクは36mmを叩き込んだ。距離はまだある――。優勢な展開だ。

 「おい! 03! こういう時にかけるBGMは何だ!? 」

 ボクの両親が高名な音楽家であることを先ほど知ったばかりの後藤少尉が聞いてきた。

 「――それは、やっぱり――」

 派手な奴――。勇猛果敢な曲で今のボクらを表すには……ワーグナーだ――。

 「ワルキューレの騎行しかないですねっ! 」

 ファゴットとホルンの歯切れのある伴奏がボクの頭の中で甦った。

  
 











 作戦開始から94分――。





 すでに補給は三回受けていた。
 各所にばら撒かれていた補給コンテナを回収し、後続部隊の持ち運んだ物資を受け取る。
 西から上陸したボクらウィスキー部隊はいま、旧窪田に防衛ラインを築き奮闘していた。

 銃声と爆音は途切れることなく続き、そこかしこにBETAの死骸が転がっている――。
 反対の両津湾からは国連軍主体のエコー部隊がそろそろ上陸しているはずで、ハイヴからBETAを東西に引っ張り出す作戦を実行していた。
 損害はかなりでているものの作戦は順調だった。

 「……クラッカー1了解ッ――! 」

 HQからの作戦指示に、斉藤中尉の苛立った返事の声が聞こえた。ボクらの小隊に緊張が走る。
 斉藤中尉から小隊に無線が入った――。

 「――いいか、10時の方向、450m先に奴らの『門』がある。17番ゲートと表示されているやつだ。そいつを今からクラッカー小隊で塞ぐ! いいな!? 」

 「了解ッ――! 」

 大きく返事をする。重要な任務だ。そしてかなり危険な役割だ。

 BETAのハイヴ周辺にはいくつもの『門』がある。BETAはそこから地表に次々と湧き出てくるのだ。
 ボクらはいま、戦線を確保はしているがBETAの攻撃は激しい。
 その『門』からのBETAの増援は途切れることがなく、このままではジリ貧の展開が予想できた。
 『門』を塞いでしまうことができればいいのだが、半径が20m程の『門』はBETA特有の分泌液で固められていて、遠距離砲撃だけでは破壊は不可能なのだ。

 そこで採られる作戦が、戦術機で接近しその『門』を直接、抑えるというものだ。
 それが上手くいけば地表に這いでてくるBETAをそれこそ、その出入り口で虱潰しにできる。――連中が拡散する前に叩こうというのだ。
 非常に有利に戦闘を進めることができるようになる。
 そして『門』からの増援を抑えている間に、戦線をここまで押し上げることができれば作戦は成功である。 

 だが当然ながら『門』に近づくのは至難の業だ――。本来であれば撃震よりも機動力のある陽炎が負うべき仕事である。
 その仕事がボクらクラッカー小隊に回ってきたのだ。
 
 ――遊撃任務の陽炎の数が足りていないのか!?

 援護射撃があるとはいえ、一小隊でBETAの群れを抜け『門』の確保に務める。――ボクにも初めての経験だ。
 緊張がボクの身体を包み込む――。
 
 「我々が取り付き次第、B小隊がセントリーガン(自動攻撃設置型機銃)を持ち込むっ! 遠慮はいらん! 『門』にいる連中には36mmをたらふく奢ってやれ! 」

 斉藤中尉が言い終わるのと同時に後藤少尉が奇声をあげた。そのテンションの高さに佳奈とボクは苦笑した。
 おかげで強張った身体が少しだけ緩む――。

 面制圧の支援砲撃が17番ゲート近くに加えられる。大量の土砂が空中に巻き上げられる――。着弾が途切れると斉藤中尉が叫んだ。

 「――いいかっ! 02をトップに菱形壱型で接近する! 現着後は02、03で『門』の制圧っ! 04と私が周辺警戒だっ! 」

 付近にいる他小隊が援護射撃をする中、ボクらクラッカー小隊が匍匐飛行で一気にBETAの群れに飛び込んだ。
 行きがけの駄賃とばかりに何体かのBETAを始末し『門』に近づく。
 支援砲撃で処分しきれなかったBETAの小集団が、予想以上に生き残っている。
 左右から近づく連中は援護射撃にまかせ、正面の敵にだけ集中し突破を図る――。

 ――後戻りはもうできないっ!

 もし『門』からの増援を抑えることができず、後続が戦線を押し上げることができない事態に陥ったのならば敵中深くに孤立したボクらは包囲される。
 そうなってしまったら――間違いなく死ぬ。
 自らの想像力に怯え、身が竦む。
 
 「――派手に行こうぜっ! 」

 後藤少尉が吼えた。
 続いて音程のズレた怒声交じりの歌が聞こえる。
 曲はワルキューレの騎行だ――。
 01も04も笑っていた。
 その下手糞な歌声は魔法のようにボクに勇気をくれた。

 ボクの左右でBETAが破裂する。むろんボクが撃ったものではない。援護射撃が露払いをしてくれているのだ――。
 ペダルを全開で床まで踏み込む。
 
 ――進めッ! 他はかまうな! 正面だけを見るんだッ! 

 BETAの返り血を浴びながら『門』の正面に取り付く――。おぞましい巣の内部が見て取れた――。
 中からは次々とBETAが湧き出てきていた。

 36mmをセレクターフルに切り替え、トリガーを力一杯握り締める。

 これを――。
 これを抑えきらねば――。
 これを抑えきらねばボクらは死ぬ――。

 雄たけびとともに『門』の中に向けて36mmを叩き込んだ――。
 
 「――入れ食いだぞっ!03、撃ちまくれっ! 」

 「――了解ッ!! 」

 
















 作戦開始より164分――。






 モニュメントが聳え立つ場所は金北山――佐渡島で一番高い山――があった場所に程近い。
 もともとは佐渡島で最も険しい山岳地帯だった場所なのだ。

 BETAの支配地域はBETAの手によって平坦に均されていくのが常だが、それでも多少の凹凸は残る。
 河川の後は枯れた道筋が残って見えるし、30m程のなだらかな丘や谷も点在する。

 ――そしてそれが、時にはとてつもなく厄介なこととなる。

 「――畜生ッ! これじゃ前に進めないぞッ! 」

 後藤少尉の叫び声にノイズが混ざる。重金属雲の弊害だ――。
 
 「――マズいな……」

 斉藤中尉の声もブツ切り状態だった。
 二人の焦燥が無線を通して伝わってくる。
 この場所に貼り付けられてもう、5分以上経っていた。

 ボクらは地形を利用し、戦術機を斜面に寝かしBETAのレーザー攻撃を避けていた。
 ボクらだけではない。
 二個小隊分ほどの陽炎も近くに伏せていた。
 その頭上をレーザーの輝きが幾度となく通過していく――。
 こちらからは姿を確認することはできないが、400m先に奴らはいるのだ。


 戦術機の全高が要撃級や突撃級とほぼ変わらないのには意味がある。
 それがなぜかといえば、BETAは味方を絶対に誤射しないというキマリがあるからだ。

 つまり平地であればそれらBETAの群れ自体が、肉の壁となって光線属の遠距離攻撃を防いでくれるのだ。
 だから第二世代機や第三世代機は隊列を組み、あえてBETAの群れの中に飛び込み、戦うのを好む――。

 そのほうが安全だからだ。
 
 この10分間の戦場は地獄だった。
 飽和攻撃が途切れた間に、光線属の集団が40m程の小高い丘に陣取ってしまったのだ。
 高台に登られてしまってはBETAの肉の壁は通用しない――。

 たちまち、三十機ほどの戦術機がレーザーで狙撃され、その機体を蒸発させていった。
 すぐさま支援砲撃が要請されるも、そのほとんどが迎撃され効果の程は見込めなかった。

 遊撃の任を受ける陽炎の強襲部隊も、ここまで接近するまでにその数を半数近くまで減らされていた。

 ボクらの部隊はたまたま位置関係がよく、稜線沿いに身を隠しながら近づいてきたのだが、攻撃が激しく同じくここで足止めを喰らっていた。

 「――確認できただけで、重光線級が9、光線級が37! 」
 
 震える声でそう報告をいれる。

 その他のBETA群は支援砲撃で、あらかた処分できたものの、本命の光線属の集団が生き残って今も狙撃を続けている。
 奴らは小型種と大型種で見事に連携を組んでいて、そのレーザーが途切れることがほとんどない――。
 きわめて不利な局面に陥っていた。

 「――ブラーマブル1より周辺、各機へ――。45秒後にもう一度、支援砲撃がくるッ! 各員はそれに合わせて光線級を攻撃せよ――! 」

 肩に雄牛のシンボルマークの入った陽炎からの無線だった。

 45秒後に一斉攻撃――。
 光線属は飛翔体への攻撃を最優先する。
 それに紛れて攻撃しろ――、ということなのであろう。

 だが何機かは――。今ここで伏せている何機かは間違いなく光線属の逆襲を喰らうことになるだろう。

 「――クラッカー1了解。――聞いたな? 全力攻撃だ。足を止めるなよ、動いて攻撃しろッ! 」

 斉藤中尉の声にも緊張の色が隠せない。
 
 「――あきら、アイツらをぶっ殺すよ! 」

 珍しく佳奈がコールサインではなく、ボクの名前を言った。 
 ボクの表情を見ていたのかもしれない。
 感謝の意味をこめて頷き、意識して笑みの表情を作る――。

 無理押しなのは皆、承知している。
 だが、間もなく国連の軌道降下部隊が攻撃を仕掛ける時間になるのだ。
 それまでに光線属は、できるだけ減らしておく必要があった。



 轟音。
 爆音。
 そして震動。

 支援砲撃はかなりの量だった。
 しかしその大半は空中で狙撃され光線級たちには、ほとんど損害はでていないように見えた。
 雄たけびをあげることで自分に活をいれ、機体をランダムに移動させながら120mmを重光線級に撃ちこむ――。

 白い光が水平線状に伸びてきて、ボクの左前方に展開していた陽炎が蒸発するのが見えた。
 
 おそらく生死を分けたのは機体性能の差であろう――。
 陽炎は撃震よりトルクがあり、その分、立ち上がりがいい。
 ボクの機体より速く動きだしたのだ。

 ――だから、光線級もそちらに反応した。

 ボクは陽炎を喰った光線級が再照射する前に、そいつに36mmをくれてやった。
 
 撃ちまくる。
 鈍い撃震の性能を全力で扱いながら、ボクらはBETAに劣化ウラン弾を撃ちこんでいった――。

 誰かが照射されている間は、自分にレーザーは照射されない。
 当たり前の現実が怖ろしい。

 自分が狙われなかったことを、蒸発する味方の横で喜ぶ自分の気持ちがあさましい――。
 
 ボクをこんな気持ちにさせるBETAが憎かった。

 






 
 

 



 



 

 

 作戦開始より298分――。






 ボクらの小隊は補給を受けるべく、戦場を大きく迂回し後方へと下がってきていた。
 弾丸には多少の余裕があったが、長時間戦闘していたため推進剤などの補給をする必要があったのだ。
 ボクの撃震は要撃級の一撃を喰らっていて、左腕の調子が悪くなっていた。
 左腕はもう精密射撃はできまい――。盾を保持するので精一杯だ。
 機体チェックをしてそう判断した。

 後方の簡易補給所にはすでに別の小隊が補給作業に入っており、順番待ちの状態であった。
 その小隊も、かなりくたびれた様子でダメージの程が窺い知れた。
 円形壱型をとり周辺警戒をする。3キロ先の戦場ではまだ激しく戦闘が続いている。
 支援砲撃がその先に不自然なほど集中していた――。
 ハイヴ突入組みが侵入して、かなりの時間が経過していた。

 ――ハイヴ内の戦況はどうなっているのだろう。
 
 データリンクの調子が悪く、ハイヴ突入組みの情報は皆無だった。
 厳しい状況であるのは間違いない。でもかなりの数のBETAを地上にひっぱりだしたハズだ――。
 いつもよりは多少は楽なはずだ。
 そんなことを考えていると、ふいに斉藤中尉の笑い声が聞こえてきた。無線から優しい声が聞こえる。

 「――お前ら――、よく生き残ったな」

 そうだ――。ボクらは生き残っている。一人の欠員をだすこともなく――。
 おまけに重光線級を4匹も喰っている。大金星だ。一小隊でそれだけ喰ったなんて素晴らしいことだ――。

 同じ戦術機母艦で上陸したA、B小隊はすでに連絡が取れなくなっていた。
 BETAの死骸に混じって幾多もの戦術機が横たわっているのが見える。
 損耗率も全体ではおそらく40%は余裕で超えているだろう。
 戦線を縮小しながら防衛し、なんとか敵を引き付けている――。
 傍目から見れば今回もまた大損害に違いないのだ。

 それでも――。

 それでも今、このメンバーが生き残っていることが嬉しくて――。
 
 「――隊長の指揮のおかげですよ」

 ボクは笑いながらそう言った。
 
 「――なんだ? 隊長だけか? 俺も褒めてくれよぉ」

 後藤少尉のおバカな発言に皆が笑う。

 「――少尉は駄目ですよ! 無茶な突っ込みをかけまくってるんですからっ! 危なっかしくて見てられませんっ! 」

 そう言った佳奈の声は明るく弾んでいる。なにおっ! と叫ぶ後藤少尉の声もどこか楽しげだ。

 「――いや、皆、本当によくやってくれている……。今日は全員で生き残れそうだ」

 斉藤中尉にそう言われて、大切な人たちのことを思い出した――。

 ――生き残れる……。正樹ちゃんにまた会える……。お姉ちゃんたちにも。

 それは本当に幸せな未来だ――。
 生きて帰るんだ、必ず――。

 そう思った瞬間だった。

 足元が突然、グラついた。戦術機の震度を表す表示が最高値を示す。
 支援砲撃はかなり遠くに集中されている今、この数字は明らかにおかし過ぎる。
 佳奈の金切り声が響いた。

 「震動ソナーに感ありっ! 音紋! 地下からですっ! 」

 大量の土砂が空中に巻き上げられる。1時の方向。距離は200m未満。ほぼ零距離だ。
 そこに新たな『門』が突然に発生し、まるで爆発したかのように大量のBETAが一気に湧き出てきた――。

 あまりのことに我が目を疑う。付近のBETAは掃討したハズなのだ。まさか地下茎がここまで伸びてたとでもいうのか? あり得ない。あり得ない。あり得ない……。
 この装備で勝てるワケがない。これはおかしい――。あり得ない。あり得ない。あり得ない……。

 「――支援砲撃を要請するッ! こちらクラッカー1! 大至急だッ!! ポイントSW-47-52だッ! BETA群が確認されたッ!! 」

 斉藤中尉の怒声で自分を取り戻す――。

 ――そうだ! BETAを潰さないとッ!!

 新たに出現した『門』に火線を集中させる。『門』はかなり大型で出現するBETAの量も多い――。

 ――早く抑えないと被害が拡大するッ!

 ボクらが抜かれれば、戦車部隊はその横腹にBETAの襲撃を受けることになる。
 その時、HQからの無線が入ってきた。

 「――支援砲撃は不可能――。繰り返す、現在、支援砲撃の要請には応じられない……」

 
 








 

 「――死ねェバケモノ!! 」

 佳奈が叫んでいる。36mmが乱射される。

 「――クソッ! きりがねぇっ! 国連の連中は何グズグズしてやがるんだッ! 」

 後藤少尉のそれは、ほとんど悲鳴だ――。

 「――クラッカー1よりHQ!! 支援砲撃の再開はまだか!? このままじゃ持ち堪えられない! 早くしてくれ! 」

 ――ボクたちは撤退できなかった。
 ボクたちがここを離脱してしまえば簡易補給所と、その周辺に展開している砲架部隊を守るものがなくなってしまうのだ。
 全力を持って踏みとどまり、敵を撃退せよ――。
 それがHQからの指示だった。
 だから無理を承知で踏みとどまっていた――。引き下がれる場合ではない。
 敵の数は多く、一小隊で防ぎきれる数字ではなかった。
 ――それでもボクらは戦っていた。

 「――HQよりクラッカー1。 支援砲撃の再開は未定。繰り返す――支援砲撃の再開は未定」

 それはボクらへの死刑宣告だった。

 「――ちくしょうッ! なんでこっちには支援砲撃はこないんだ! ふざけやがって! 」

 支援砲撃は国連軍が展開していると思われる地域に集中されていた。

 ――ボクらは見捨てられているっ!?

 冷たいものが背中を下る――。胃液が口中に戻ってくる。
 撃震は近距離戦闘は得意でないのだ。
 鈍い機体が恨めしい――。
 何故、見捨てられねばならないのだ。ここは重要拠点のハズだ。
 納得できなかった。理解できなかった。承服できなかった――。
 後藤少尉の悲鳴があがった。見れば後藤少尉の撃震は要撃級の一撃を受け盾がひしゃげていた。

 「――02ッ!? 」

 慌てて機体を寄せる。

 「――構うな! 俺は大丈夫だッ!! 」

 「――04! 回りこまれるぞ! 03ッ! カバーしろッ! 」

 「――了解ッ!! 」

 後藤少尉の機体が心配だったが斉藤中尉からの指示に従う。そうだ、考えている時間はない――。
 全周囲を囲まれてしまっている現在、できるだけ多くを一人でカバーしなければならないのだ。

 見渡しただけでも突撃級が30匹に要撃級が100匹はいる。戦車級など勘定ができないくらいだ――。
 『死』という言葉を身近に感じる――。

 佳奈が絶叫しながら36mmをばら撒く。だがそれ以上にBETAの侵攻が速く10時の方向の突撃級を抑えきれない――。

 「危ないッ! 」

 ボクが叫んだのと突撃級が04に激突したのは同時だった。
 佳奈の悲鳴とボクの絶叫が重なる――。

 佳奈の機体は40m程も跳ね飛ばされていた。ボクは佳奈を轢いた突撃級を後方から始末すると04を振り返った。
 機体がひどくひしゃげている――。
 腰部は完全に潰れていて、それは胸部コクピットブロックまで続いていた。膝関節も反対側に反れてしまっている。

 ――駄目だ……! アレはもう動くまい――。佳奈の撃震は完全にイカレている。

 「――くっそッ! 調子に乗りやがっ――ッ!? ――うっ……動かないッ!! 動かない!? 」

 佳奈が自分の機体の惨状に気づいた。やはり駄目だ。アレは動かない。BETAに囲まれたここで動けない――。
 恐怖で何も言えなくなってしまった。
 佳奈が死ぬ。きっと佳奈はここで死ぬ――。

 「――04、どうしたッ!! 」

 斉藤中尉が叫んだ――。

 ――……隊長、早く支援砲撃を再開させて下さい。お願いします。このままだと皆、死んでしまいます……。

 「――駆動系がッ!! 駆動系がいかれましたッ!! 」

 佳奈が泣いている――。やっぱり彼女はここで死ぬんだ。
 ほんの数分前の語らいが夢のように思えた――。

 「――バカ野郎! 早く緊急射出しろッ! 」

 後藤少尉のその怒鳴り声でボクは自分を取り戻した。

 ――ベイルアウトだッ! そうだ、まだ手はある……!

 強化外骨格ひとつで、巨人とバケモノの争う戦場を抜けなければならないが、動けない戦術機の中にいるよりは数倍マシだ――。
 助かる! 佳奈はまだ助かる――。

 「――早くッ! 急いでッ! 」

 悲鳴混じりの声で佳奈に懇願する。佳奈を助けねばならない。友人なのだ。訓練校からの同期なのだ――。

 「――きッ機体が……!! 激突の衝撃で機体がゆがんで……ッ!!」

 佳奈の声が引きつった――。
 火薬式の緊急射出装置が作動したのは外部からでも確認できたが、コクピットブロックは微動だにしなかった。
 佳奈は完全に閉じ込められていた。

 背後で後藤少尉の悲鳴が聞こえた。
 動けない04をカバーするために突撃級の前に立ちはだかっていたのだ――。
 機体が潰される金属音と後藤少尉の断末魔の声が耳に響く。

 ――死んだ。後藤少尉が死んだ……!

 ――ボクの先任で……いい加減な人に見えたが、本当はそうでなかったかもしれない人――。

 その人が間違いなく死んだ――。 

 斉藤中尉の後藤少尉を呼ぶ声――。ボクの悲鳴。そして何かの悲鳴。
 ふと見ると佳奈の機体も押し潰されていた――。
 屠殺される家畜のような悲鳴はおそらく佳奈のものだったのだろう――。
 同期の友はボクが目を離している間に死んだ。

 斉藤中尉が長刀でBETAに切りかかる――。ボクは36mmを乱射する。
 完全に包囲されている。支援砲撃はない。味方の援護もない。脱出経路もない。
 この世界に生きているのはボクと隊長だけだ――。

 斉藤中尉の悲鳴があがる。
 斉藤中尉の撃震のカケラがボクの機体にぶつかった――。
 この世界にはとうとう誰もいなくなり、ボクは一人でBETAの群れに取り残されていた。
 
 股間から足に熱い液体の流れを感じた。多分、悲鳴をあげていると思う。口元から涎がこぼれた。
 連射を続けた36mmの残弾はすでに100発をきっていて、間もなく完全に弾切れになる――。
 何が何だか理解できない――。
 恐怖で何も考えられない――。
 目の前に要撃級がいる――。奴がその腕を大きく振りかぶって……。
 
 目を瞑っていたと思う。次の瞬間にくる痛みが怖かった。

 ――でも痛みはやって来なかった。


 目を明けると其処には青い機体が立っていた――。

 撃震ではない――。陽炎でも不知火でもない。
 
 見たことはなかった。でも知っている気がする――。
 その機体がボクに襲いかかってきた要撃級を真っ二つにしていた。
 
 続いて赤い機体、白い機体が戦場に舞い降りる。

 赤い機体が長刀一本でBETAの群れに飛び込んだ。
 その動きはまるで一陣の風のようで、その風が通り抜けた後には両断されたBETAの死骸が幾つも転がっていた。
 ボクが今まで見たこともない機動だ。
 白い機体はその動きを完璧にフォローし、ボクの仲間を殺したBETAの群れをいとも簡単に処理していった。

 ――あれは……武御雷だ。帝国斯衛軍の最新戦術機だ――。

 青い武御雷が何か言った。
 多分、撤退しろ――、と言ったに違いない。

 「で……ですが、ここは……」
  
 ボクの仲間が命を賭けて守った場所です――。
 譲れない場所なのだ。でも――。

 ――言えなかった。
 斯衛の力を見せ付けられた今、そんなことは言えなかった。
 女性の声がした。

 「ここは我等斯衛が引き受ける。貴様は別部隊の指揮下に入れ。良いな? 」

 その言葉は、役立たずは後方に下がっていろ――、という意味だ。
 言い返したかった――。
 バカにするな、と言いたかった。
 でも先ほどの赤い武御雷の動きを見てわかってしまった。

 ――ボクらの小隊は彼女一機に劣る――。

 だからボクには頷くことしかできなかった。

 隊長が……、後藤少尉と佳奈が……。
 命を捨てたとて、何の役にも立っていないのだ――。











 
 

 2001年12月25日  1730時 秋田沖


 夕日が海に沈んでいった。かつて佐渡島のあった場所のほうに沈んでいくのが見えた――。
 戦術機母艦の上は傷病兵や壊れた機体などで雑然としていた。
 撃沈された艦船が多く、船の数が足りていないのだ。

 甲板の上で潮風に吹かれていた。

 ボクと同じように黙って海を見つめている者。
 勝ったぞ――、そう叫んで歩き回る者。
 傷を治療する者。
 仲間の行方を捜す者。
 様々な人々が様々な思いを抱えソコにいた。

 あの後、ボクはどう戦ったのだろう――?

 よく憶えていない。
 憶えているのは――。

 巨大な光が大地を走り、モニュメントが崩壊した時、ボクは皆の死にこれで意味ができた、と思った。
 嬉しかった。涙がでた。

 でもそれは誤りだった。

 その後もBETAは地に溢れかえり、ボクたちは撤退を余儀なくされた――。

 そして最後に国連軍がG弾を使い、佐渡島ごとハイヴを処分した。

 横浜と同じだ。

 最初からそうするつもりならそうすればいい。 
 それなら皆も死なずに済んだ。

 そうさせたくなかったから――。
 皆、命を賭けたのだ。
 それなのに――。

 その気持ちだけがグルグルと頭の中を駆け巡っていた。

 正樹ちゃんに会いたかった。お姉ちゃんたちに会いたかった。両親に会いたかった。
 会って話しを聞いて欲しかった。

 正樹ちゃんに会いたくなかった。お姉ちゃんたちに会いたくなかった。両親に会いたくなかった。
 会ったら何を言ってしまうかわからなかった。

 暗くなっていく海を見ながら――。

 ボクは独りで膝を抱えていた。









 
 

 2002年 1月26日  横浜基地



 地下へ続く道を案内されていた。

 ほんの四週間ほど前にBETAによる襲撃を受けたこの基地は、至る所にその傷跡を残していた。
 廊下にはいくつもの銃痕が走り、天井にはひび割れがところどころに見てとれる。
 補修作業はまだ終わってはいないようだった。

 ボクを先導する女性士官はピアティフと名乗った。
 彼女は崩壊している通路を避け、迂回を繰り返しながら目的地へと進んでいった。

 軍服の襟元がやけにきつく感じる――。

 正直に言えばここに来たいという気持ちは、まるでなかった。
 姉が――みちるちゃん――が最後に過ごした場所だという理解はしていたが、基地というのはどこも同じで、姉の匂いを感じさせてくれるものは何もなかった。

 ましてボクの所属する帝国の基地と違い、この横浜基地は国連軍のものだ。
 ボクは国連軍に好意は持っていない。――持てる訳がない。







 甲21号作戦でボクの部隊は全滅した。

 ボク自身も斯衛軍の救出が遅れていれば、間違いなく死んでいたと思う。
 支援砲撃もなく仲間が次々と倒れていくなか、ボクは何度も死を身近に感じた。

 何もできない。何も考えられない。あるのは恐怖だけ。

 仲間が無残にも引き裂かれ蹂躙され、食い殺される姿だけが記憶に残っていた。

 結局は――国連軍の持ち込んだG弾によって、甲21号ハイヴは破壊された。
 何のことはない――ボク達はただの囮だったのだ。

 G弾をハイヴまで安全に運ぶためのただの捨石だった。

 損耗率70%強。佐渡島は消滅。
 だが日本からBETAを追い出した。これは勝利である……。
 
 世間ではそう騒がれていたが、あの場所にいたもので素直にその言葉に頷ける者はいるのであろうか?








 甲21号作戦から二日後、戦勝祝賀を兼ねた合同慰霊祭でボクは姉たちと再会した。
 そしてその時に姉の一人とは永遠に会えなくなったことを知らされた。

 やよいちゃんが言った。

 ――みちるちゃんは来れないのよ……。

 まりかちゃんが震えながらで手紙を読んでいた。
 ボクはその手紙を奪って読んだ。
 そこに書かれていたのは、みちるちゃんの事故死を知らせる――、それ以外は何も書かれていない事務的な書面だった。

 誰も納得するものはいなかった。

 ――うちで一番しっかりしてるみちるちゃんが死ぬはずないよ。
 ――訓練中の事故死なんてありえないよ。こんなの嘘だよ。

 しかしボクがどう思おうとそれは正式な書面に間違いないなのだ。

 無力感がボクを支配した。





 基地に帰っても眠れない夜が続いていた。目蓋を閉じると佐渡島のあの光景が浮かんでくるのだ。

 重金属雲の輝き。
 BETAに周囲を取り囲まれて、散っていく仲間たち――。
 金属の軋む音。
 もはや人間のものと思えぬ悲鳴。
 爆音と震動。
 絶望と恐怖。
 朝が訪れるまで独り、ベットの中で震えていた。

 極東国連軍横浜基地がBETAに襲撃され、ボクらの基地にも待機命令がでた。
 結局、先の作戦で多くの戦術機を失っていたボクらの基地に出動命令は降りなかったが、待機中の戦術機の中でボクはパニックを起こしてしまった。

 呼吸が勝手に速くなり、それなのにいくら息を吸っても、まるで肺に酸素が届かない状態になってしまった。
 冷たい汗が背筋を走り、喉が渇いて息苦しくて仕方がなかった。
 部隊長の呼びかけに返事もできず、ボクはコクピットの中で嘔吐していた。

 外部から強制排除され戦術機から引きずり出されたボクは、すぐに救護室に連れて行かれ催眠処置を受けさせられた。

 軍医は言った。――よくあることだ。ただの戦争神経症だ。催眠暗示と薬でどうとでもなる――。

 処方された薬を飲み三日ぶりに眠った。

 翌日――。再度、戦術機に乗った時。
 ――ボクは失禁して失神した。

 軍医はボクに自宅で静養することを勧めた。
 ボクはその指示に素直に従った。

 ――自分が役立たずである、と思われているところにいたくなかったのだ。




 ボクに与えられた時間は一ヶ月だった。
 軍医に指定された心療医師のもとに通い、その間までに回復の予兆が見られなければ衛士資格を失い配置転換となる――。

 家族に心配をかけたくなかったボクは、両親にはまとまった休暇を貰えたと伝えた。

 実家に帰ったボクは何もしなかった。
 何もする気がおきなかった。

 両親は姉の死に打ちひしがれていた。
 特に母の状態は酷く、一日中、みちるちゃんの部屋に引き篭もり、ひたすら泣き続けていた。
 音楽家の母は、もとより他人に比べて繊細だったのだ。
 悲嘆にくれるその姿を見ても、ボクには母を元気付けてやることもできかった。

 ボクも、気持ちが乱れていて何も手につかず、一日中部屋の中で写真を眺めていた。

 それは正樹ちゃんが入隊する際にボクに預けたもので、皆に渡してくれと言われていたが、どうせなら全員が揃った時に公開しようと思いしまい込んでいたものだった。
 
 やよいちゃんが料理を作っている写真。
 みちるちゃんがソファーに寝転がって本を読んでいる写真。
 まりかちゃんが居間のテーブルで学校の宿題を片付けている写真。
 帰宅したボクが家の扉を開けた時の写真。
 
 正樹ちゃんの切り取った時間は日常の何でもない光景だ。
 でも、その中には意味がある。

 料理を作っているやよいちゃんは幸せそうだ。
 上手くできているのであろう。寄せられる賛辞などを想像しているかのような表情をしている。

 みちるちゃんは伊達メガネを外してソファーにだらしなく寝転がっている。
 多分、あのメガネに度がはいっていないことを知っているのはボクと正樹ちゃんだけだと思う。
 みちるちゃんがこんな隙を見せることは滅多にない。

 まりかちゃんは正樹ちゃんと一緒に宿題をしていたのであろう。
 妙に誇らしげな顔をしているところを見ると正樹ちゃんに正解を教えてあげた後かもしれない。

 ボクのといえば、まるでご主人さまを見つけた飼い犬みたいな顔をしている。
 きっとボクに尻尾があれば、猛烈な勢いで振っているのが写っていたはずだ。

 ――誰も死ぬことなんか想像すらしていない幸せな時間。

 それを正樹ちゃんは切り取って、大切に保管しておいてくれたのだ。

 ――……でもボクはこれを渡しておく約束を破ってしまった。

 いくら後悔しても、みちるちゃんにこの写真は渡すことができない。
 それは重大な罪だ――。

 ――きっと正樹ちゃんはこの写真をみちるちゃんが見た時のことを想像していたに違いない。
 これを見たみちるちゃんは慌てふためいて言うハズだ――、こんなモノいつ撮ったのよ!? って。
 正樹ちゃんは多分、笑いながらこう答える――、肩の力を抜けよ、そのほうがいいよ。
 みちるちゃんが頬を染める姿が目蓋に映る――。

 ボクは許されない罪を犯してしまった。
 どんなに悔やんでもこの写真は、見るべき人の手にはもう届くことはない。
 ボクの短慮を咎める、紛れもない証拠――。

 それでもこの写真を見続けていたのは……。

 こんな時だからこそ昔に戻って、姉に甘えてみたかったからなのかもしれない。




 目を閉じると、まるでスイッチがはいるかのように記憶が甦ってしまう。
 佳奈の悲鳴。後藤少尉の断末魔。斉藤中尉が必死に支援砲撃を要請する声――。
 仲間の死があまりにも鮮明に脳裏にあって、ボクはそれに縛られていた。

 クラッカー小隊の皆の遺品の整理はボクがした――。

 斉藤中尉の荷物は、ご両親宛に送った。
 遺品の中の写真で、ボクは初めて中尉が未亡人であったことと、ご主人がすでに戦死していたことを知った。
 そして、まだ小さい子供が写っている写真が一枚だけあって、それがボクに中尉の毎晩の電話の相手を悟らせた。

 後藤少尉の遺品の中には表紙が破られた障害者手帳があった。
 彼は下半身のほとんどを取り替えるという、とてつもない難手術を受けていて、記録によると衛士資格を一度失っていた。
 そこからリハビリを繰り返し、二年という時間をかけて衛士として復帰したらしい。
 彼が失効した障害者手帳を持ち続けた理由がボクには何となく想像できた。

 佳奈はボクに遺書を残してくれていた――。
 九州出身の佳奈に残された家族はいなかったので、好きなモノは持っていってかまわないと記してあった。
 ほとんどが支給品の粗末なものであったが、ボクは佳奈の使っていた香水を譲り受けた。
 それくらいしか私物らしい私物はなかったのだ。
 それと――後藤少尉宛の遺書があった。
 ボクはそれを開封せずに後藤少尉の手帳と一緒に焼いてあげた。

 皆がいなくなってしまったことが悲しかった。
 自分が生き残ってしまったことが恥ずかしく、同時に生き延びたことを喜んでいる自分がいるのがイヤだった。
 生きることに執着し、戦術機に乗ることを怯える自分がいることもイヤだった。

 ――どうしようもないほどに怖いのだ。

 ボクはもう自分が、BETAと戦えないことを自覚していた。
 ボクの前にBETAがあらわれたら……。
 ボクは恐怖に縛られて引き金を引くことはできないだろう。
 後藤少尉は重傷を負った後、リハビリを重ね復活し戦ったが、ボクにそれが出来るかどうかはわからなかった。

 ボクは自分が弱い人間であったことを――、初めて自覚した。











 ボクが実家にいる間に、国連軍は桜花作戦を電撃的に決行しオリジナルハイヴの『あ号標的』を破壊した。

 新年の幕開けとともに知らされた突然の吉報に世間は沸きあがり、街は活気に満ち溢れかえった。
 連日のニュースで桜花作戦のことがトップで取り上げられ、オリジナルハイヴに突入した米軍と国連軍がおおいに称えられていた。

 これは人類の勝利である――。
 我々はBETAをこの星から追い出せる――。
 人類に再び希望が戻った――。

 ニュースのコメンテーターは楽しげにそう語っていた。

 ボクも驚いた。
 そんなことができるとは思っていなかったのだ。
 まさにそれは奇跡なのだ。

 だからボクは嬉しいと思うはずだった。
 そうじゃなければおかしい。
 このために戦ってきたのだから――。
 誰だって喜ぶはずだ。


 それなのに――ボクは一層の鬱に落ち込んでいた。

 ――……なぜ、みちるちゃんは死んじゃったんだろう……?
 ――あと一週間、生きていてくれれば死ぬこともなかったのに……。

 ひたすら運命の不条理さを嘆き、神を呪っていた。




 ボクの症状に改善の予兆は見られなかった。
 睡眠薬で眠りに落ち、悪夢で目覚める。
 それを繰り返すだけだった。。
 軍医に紹介された心療内科に通ってはいたがほとんど意味はなく、ただ無為に日々を重ねていた。









 一月も月半ばになり、世間の雰囲気もようやく落ち着きを見せた頃、我が家に一通の手紙が届いた。
 父親宛のその手紙は国連軍からのものだった。
 父はその手紙を一読すると、何も言わずにそれをボクに手渡した。

 ――甲21号作戦における軍功により 伊隅みちる大尉を二階級特進させ中佐とする――。

 別に便箋が添付されていた。
 そこには女性の字でこう書かれていた。

 ――機密事項に抵触するため詳細を語ることはできませんが、横浜基地までお越しいただけるのならば、ある程度のことはお伝えすることができると思います。

 ――みちるちゃんの死に機密事項がある?

 驚いたことに手紙の文面はそれを示唆するものだった。
 そう易々と信じられる話ではない――。

 気になる点が一つあった。
 文末にそれを記した人物の名前が記載されていて、それがボクの目を引いたのだ。
 連日のニュースで最近よく聞く名前だった。

 極東最大の国連基地の副司令として――。
 桜花作戦の立案者として――。
 最近の報道で、彼女の名前は聞かぬ日はないのだ。

 父は自ら横浜基地へ赴くつもりでいたらしいが、母の容態が悪化したのと、間近に控えたコンサートの準備のために身動きが取れなくなってしまった。
 ボクが二人の姉に相談したところ、二人は口を揃えてボクに横浜基地に出向くよう言った。

 姉の死に虚偽の報告をしていたことは許せなかったし、真相は是非とも知りたかったが、国連の基地に赴くことにボクは強い抵抗を感じていた。
 二人の姉のどちらかに代わって欲しかったが、珍しいことにやよいちゃんが強い口調でボクに赴くように切願してきた。

 「……絶対にあなたが行くべきなのよ、あきらちゃん」

 やよいちゃんにあの位、厳しい口調で言われたのは久しぶりのことだった――。
 そう、本当に子供の頃以来だった。














 ――ずいぶんと地下に降りるものだな。

 ハイヴを改修し基地にしたことは知っていたが、これほどまで地下深く建てられた建築物だとは思っていなかった。
 案内されたのは副司令の執務室とのことだったが、かなり乱雑な部屋で大量の書類が床に散乱し、ホワイトボードには謎の書き込みがいくつもあった。
 あれは機密情報なのではないか、と余計な心配をしていると、それを察したピアティフ中尉が笑みを浮かべながらこう言った。

 「ご安心下さい――。ここにあるものは余人の見て、理解できるものは何一つありませんから」

 彼女はボクに応接セットで座って待つように言い、二人分のコーヒーを淹れてくると、そのままボクの前に居座った。
 何故だか妙に居心地が悪い――。

 やがて内線がかかってきて彼女はそれに応対すると、ボクに向かってこう言った。

 「伊隅少尉、申し訳ありませんが香月の会議が延びておりまして、時間が読めないようです――。そこでその間の代わりに、伊隅大尉……、失礼しました、
 伊隅中佐の部下だった者がおりますので、香月が戻るまでその者と話をされるというのはいかがでしょうか? 」

 異存はなかった。どのみち相手の言うとおりにするしかないのだから――。










 しばらくして部屋に入ってきたのは小柄な女性だった。左腕を包帯で吊っていて右目に眼帯をつけていた。
 年齢はボクと同じか、ややもすると若干、年下のようにも見えた。
 彼女は涼宮 茜と名乗った。
 階級はボクと同じ――。少尉だった。

 「――やっぱり雰囲気が似ていらっしゃいますね」
 
 着席した彼女はボクに向かって楽しそうな笑顔でそう言った。
 そんなことを言われたのは初めてだった。

 「みちるちゃ……、姉にですか? 」

 「はい。……伊隅大尉……っと、すみません、伊隅中佐によく似ていらっしゃいます」

 上気した表情で彼女はそう続けた。まるで久しぶりに友人にでも会ったような顔をしている。
 その言葉を聞いても自分がそれを喜んでいるのか、それともその言葉をお追従として不快に捉えているのか、ボクには判断できなかった。

 「あの……今日は、ここに来れば姉の死の真相を教えて貰えると聞いてきたのですが……? 」

 だから、そう問いかけるのが精一杯だった。

 涼宮少尉はボクをじっと見つめていた。
 それから一度だけ、ピアティフ中尉の方を向いたと思う。
 思う、というのは、ボクが彼女の顔を見ていなかったからだ。

 ボクは目の前にあるコーヒーカップから視線を外すことができなかった。
 返事をしてくれたのはピアティフ中尉だった。

 「伊隅大尉、失礼……、中佐は甲21号作戦に参加され名誉の戦死を遂げました」

 ――……甲21号作戦……。やっぱり事故じゃない……。みちるちゃんもあの地獄にいた……。

 わからなかった。国連軍も参加していた作戦だ。わざわざ作戦に参加していたことを隠蔽する必要はないはずだ。

 「伊隅中佐は国連特務部隊A-01部隊の中隊長として作戦に参加されておりました――」

 ――……え? ……なに? 何て言ったの……?

 「……す、すみません、あの……話がよく見えないのですが……? 」

 ボクはもう一度、聞きなおした。

 「……伊隅中佐は中隊長として国連軍の特務部隊を指揮されておりました」

 「……みちるちゃんが――……、特務部隊の隊長を……? 」

 信じられなかった。信じられるはずがなかった。

 ――……だって楽だから……、そう言ってたんだよ……? 横浜は後方で安全だから――。

 「……ご家族には伏せられていらっしゃったと思います――。伊隅中佐は特務部隊――通称、伊隅ヴァルキリーズの隊長をなされておりました」

 ――……伊隅……ヴァルキリーズ……?

 「少尉もモニュメントが崩壊したのをご覧になられたと思いますが、それを実行したのが伊隅中佐率いる、伊隅ヴァルキリーズです――」

 ――モニュメントが崩れた瞬間……。ボクも見ていた。

 ――巨大な光が地を這って……。
 
 あの時、ボクは初めて人類がBETAに勝てるかもしれない、と思った。

 ――……でも。

 ピアティフ中尉は話を続けた。

 「残念ながら新型兵器は事故のため、放棄せざるを得ない状況に陥り――、伊隅中佐はそれを自爆させるために一人、現地に残りました」

 ――!?

 「全部隊の撤収を確認した後、伊隅中佐は新型兵器を自爆させ――、BETAを……佐渡島ハイヴごと消滅させたのです」

 ――……嘘だ……。そんなハズはない。ボクらは国連軍に騙されて……。国連軍が勝手にG弾で……。

 信じられない。国連軍の言うことなんか信じられない。そんな詭弁でボクは誤魔化されたりはしない――。

 ――……みちるちゃんがG弾を使った?

 怒りがこみ上げてきた。国連軍はいつも汚い。横浜を消した時もそう――。
 あろうことか今度は、みちるちゃんの死までも汚そうとするのか――?

 ――G弾を勝手に使ったことを隠そうとするためだ。そのためにこんな用意周到な嘘をついて――。

 「……冗談はやめてください」

 みちるちゃんがG弾を使うことをよしとするワケがない。
 怒りで自分を抑えきれない。

 「そんなことを言ったって国連が帝国に秘密で、またG弾を持ち込んでいた事実は隠せませんよ。いい加減にしてください」

 話しながらさらに怒りがこみ上げてきて、最後には絶叫に近くなってしまった。
 それでも勢いは止まらない――。

 「G弾で佐渡島を消失しておいて、それを日本人が実行したと言うのですか!? あまつさえ姉がその片棒を担いだと? 冗談じゃない! 」

 だからオマエラ日本人は納得しろ――、そうとでも言うつもりか!?
 目の前にいるこの涼宮とかいう奴もそう。馬鹿にしている。

 「……姉が売国奴だと……! 」

 同じ日本人がいれば信憑性が増す、とでも思っているのか!?
 ボクら日本人を虚仮にしている――。
 許せない――。
 こんな欺瞞はけして許してはならない――。

 「日本人を無礼るなッ! 」

 拳をテーブルに打ちつけ立ち上がる。
 
 部屋の中はしんと静まり返っていた。

 
 
 

 コーヒーカップがソーサーに置かれる音がした。

 涼宮少尉がコーヒーに口を付けていたらしい。
 彼女はカップを置くとボクを見つめた――。いや、睨み付けていた。

 ――誤魔化されない……! 誤魔化されてたまるか!
 
 彼女とボクのにらみ合いがしばらく続いた。
 それから彼女が小さく口を開いた。

 「……あなたのお姉さんはそんな人なんですか? だったら私の知っている伊隅大尉とは別人のようですね――。お引取りください」

 冷たい言い方だった。そしてその言葉には怒りを孕んでいた。

 姉のために怒っているのが直感でわかった。
 でもボクの勢いは止められなかった――。
 行き着くところまで行かなければ、この思いはもうどうにも止められないのだ。

 「貴様……! 」

 「あなたは伊隅大尉の妹じゃない! 大尉の家族にそんなバカがいるなんて信じられないッ!」

 「お前たちが……! お前たちが姉を騙して殺したんだ。違いないッ! 絶対にそうに違いない! 」

 言わずにはいられなかった。みちるちゃんの死に――。その不条理な死に様に。
 ――言わずにはいられなかった。


 乾いた音がした。


 ボクの頬が叩かれていた。

 涼宮少尉は目に涙をためていた。
 本当に怒っていた。
 口唇を噛み締めて震えていた。

 彼女は何か言おうとして――、何も言わずに部屋を出て行った。


 部屋の中を再び沈黙が支配した。


 ピアティフ中尉が倒れたカップを回収し、テーブルを拭いていた。
 ボクはその様子をただ眺めていた。

 それを終えるとピアティフ中尉は、ボクにもう一度、席に着くよう促した――。

 「……涼宮少尉も姉を亡くしたばかりなのです――」

 「……」

 「彼女の姉は伊隅ヴァルキリーズでCPをしていて……。どうしても彼女でなければできない仕事が発生して――、それを実行中にBETAに殺されました」

 ――同じ部隊に姉妹でいた――? あり得ない。普通はそんなことは人事が避ける。
 
 勘が鋭いのだろう――。ピアティフ中尉はボクの疑問を逃さなかった。

 「A-01の人選は香月副司令が直接されます。そこには一切の情はありません。能力のみが求められます――。伊隅中佐はその能力のある方でした」

 みちるちゃんは――。
 ウチで一番、しっかりしていて――。
 頭も良くて運動もできて――。
 何でもできる人だった――。

 「涼宮少尉の姉……。涼宮中尉は先の横浜基地防衛戦の際に亡くなりました……」

 ピアティフ中尉はボクを正面から見据えて言った。

 「……伊隅少尉、私はね……、香月副司令付きの士官ですからCPの仕事もします。……でも、できるだけ彼女らとは接触しないようにしていました」
 
 己の所業を恥じる懺悔のような語り口だった。

 「怖かったのです……。知り合いになったばかりの隊員が次々と死んでいくのが……。彼女らはまるで暖炉にくべられる薪のように次々とその命を燃やしていきました――。
 それなのに彼女たちはいつも笑っているのです。笑いながら、死んだ仲間のことを語っているのです――。それこそまるで当人がまだ生きているかのように……」

 ――……この人は嘘をついていない……。

 認めたくはないが、そう理解してしまった。

 「最初は、これが日本人の考え方なのか? 私には理解できない。そう思っていました。……でも違うんですよね。彼女たちだって怖いんですよね」

 「……」

 「怖いから……。怖いからこそ勇気を持って戦った仲間をいつまでも賞賛していた――。私はそれに気づくのが遅れたことを恥じています」

 ――それは衛士の生き方の手本とされる行動だ。そして現在のボクがしようとしても――どうしてもできないことだ。

 「彼女たちはどんなに仲間を失っても、けっして諦めることはしなかった。連隊が中隊になり、最後は二個小隊に満たない人数にまで減っても――」

 「……」

 「A-01……伊隅ヴァルキリーズはそういうところなのです……。重傷で入院中が四名、その他は全員死亡。生き残りは彼女だけ――」

 連隊規模が――今は一名のみ。

 「桜花作戦で『あ号標的』を破壊したのは伊隅ヴァルキリーズです。全員、あなたのお姉さんに率いられた人間です」

 ピアティフ中尉はもう一度、ボクの目を正面から見据えて言った。

 「私は中佐とは直接、親交を持ったわけではないですが……、あの人を尊敬しています。もちろん涼宮少尉もそうでしょう――。
 ですから、あなたのことを少尉が叩いたことはお詫びしようとは思いません」

 ピアティフ中尉の瞳に光るものがあった。でもそれを零すことは絶対にしないと決めた目であった。







 「……姉が亡くなった時のことを――もう一度、詳しく教えていただけませんか? 」

 そう聞けたのはしばらくしてからだった。






 ――姉がずっと以前から特務部隊の隊長をしていたこと。
 ――その超法規活動から存在すら伏せられるようになっていたこと。
 ――モニュメントを砕いた新型兵器の護衛が姉の佐渡島での任務だったこと。
 ――新型兵器はまだ実験段階だったこと。
 ――佐渡島ハイヴの地下茎が本土にまで伸びる可能性があったこと。
 ――新型兵器の使用にトラブルが発生し、爆破処理をしなければならなくなったこと。
 ――新型兵器の動力源にはG弾複数分の破壊力があったこと。
 ――あのまま戦闘を続けていれば、全ての将兵が戦死していたこと。
 ――姉がその役目を引き受け、佐渡島からの全員撤退完了の報告を聞いた後に自爆したこと。

 そして最後に――。『あ号標的』は実験データを基に、作り直された新型兵器で破壊されたこと。
 
 彼女は事務官らしい感情を交えぬ語り口で、淡々と話してくれた。
 そして目視限定の書類を取り出し、みちるちゃんの戦歴を見せてくれた。

 そこに記載されていた数字はとてつもないもので――、一読してもそれをすぐに信じることは難しかった。
 損耗率があまりにも高すぎるのだ――。

 幾多の戦いで何人もの仲間を失い、それに倍する任務を成功させる――。
 その数字はきっと、みちるちゃんの血と涙と……願いの記録だ――。
 どれだけ犠牲を払おうとも、任務だけはやり遂げる。
 それが自分を支えてくれた、そして自分が死なせてきた仲間たちへのみちるちゃんの返礼なのだ。

 そして――。
 その順番がきたからみちるちゃんは、するべきことをしたに過ぎない――。

 「――最後に……大尉はあなたのことを心配しておりました。あなたが生還したことを聞いて本当に喜んでいました」

 みちるちゃんはボクがあの場所にいたことを知っていた。ボクが生還したことも知っていた。

 「私たちの任務の多くは機密性の高いものであり公表することは許されておりません。今回、上層部の判断によりあなたに伝えることができるようになりました――。
 それを私たちがどんなに嬉しく思ったことか――。どうか察してやってください」

 そう言って彼女は目を伏せた。

 まるで何かに祈りを奉げているかの表情だった。














 ピアティフ中尉の予想したとおりの場所に彼女はいた。
 基地の正門前の桜並木に――。
 正直な話、樹木が植えてあること自体が驚きだった。
 永遠に草木の生えることのない場所と認識していたのだから。

 彼女はその桜の木のひとつをじっと見つめていた。

 冬の桜だ。黒い幹だけが寂しげに佇んでいる。
  
 その姿に声をかけることは躊躇われたが話しかけないわけにはいかなかった。

 「あの……」

 ――ごめんなさい。そう言おうとした。
 気づいていたのであろう――。その前に彼女のほうが先に口を開いた。

 「……いいよ。わかるから……」

 フランクなしゃべり方だった。

 「私だって、お姉ちゃんがそんな死に方したって突然、聞いたらそうなっちゃうかもしれないもん……」

 同い年の友人のような話し方になっていた。
 
 「……ここね、皆がいる場所なんだ。大尉も私のお姉ちゃんも皆も……」

 「……」

 「すごいんだよ。ここね、ここだけは桜の花が咲くの……」

 ――……この地に桜が……?

 「伊隅大尉もここが好きだった。……ううん、皆も好きだった。――だから、もし自分が死んだらここに帰ってくるって……。皆、そう言ってた」

 「……ごめんなさい」

 「いいって。わかってくれればいいよ。……こっちこそ叩いちゃってごめんなさい」

 そう言って彼女は舌をだして笑った。



 ――姉はどんな人でした?

 なんだかそんなことを聞くのはとても場違いなことだと思えた。
 でも聞いておきたかった。
 ボクの知らないみちるちゃんがどう生きていたのか、と。

 「……うーんとね」

 小さく笑いながら彼女は楽しげに言った。

 「厳しかった、本当に厳しかったよ! 大尉は完璧主義者で訓練とかは半端なかったよ。何回も何回も! 100%になるまで絶対にあげてくれなかったもん! 」

 なんとなく想像できる。――だってみちるちゃんだもん。

 「……でも皆、大尉のことが好きだった。私のお姉ちゃんも大尉に頼ってたよ! 恋愛相談とかもしてたみたいだし」

 意外だった。――あのお堅いみちるちゃんに?
 伊達メガネをかけて秘密主義で――正樹ちゃん以外には心を開かなかったのに?

 涼宮少尉がにんまりと笑った。

 「――だから、あたし知ってるんだよ。四姉妹で幼馴染の人を取り合ってるんでしょ? 」

 「――!? 」

 吃驚した。

 「そんなところまで!? 」

 「うん。笑って話してたよ。――鈍感な人で困る。誰かとくっついてくれればあきらめられるかもしれないのに――って。可愛かったなぁ、あの時の大尉」

 イタズラっぽいその表情は彼女の本来のもののように見えた。

 「――多分ね、私たちが大尉の部下だから話してくれたんだと思う。なんでもない日常を守るのが一番、大事だから――。
 地球の未来、なんて言っても漠然としちゃうけど……。好きな人といい人生を送るためって言われたら納得しちゃうもんね」

 「……少尉」

 「だから、ごめんね。さっきは本当に口惜しかったんだ。なんで大尉のことわかってくれないんだって……」

 それから彼女は目の前に懐かしい人がたっているかのような顔をした。

 「……ねぇ、聞きたいんだけど、いいかな? 」

 「……何ですか? 」

 「伊隅大尉とあなた……仲は良かった? 」

 ――……良かった……とは思う。みちるちゃんはボクが正樹ちゃんと悪ふざけをしているとよく妨害しにきた。

 ――くだらない、何を馬鹿なことをしているの? 

 そんなふうにして会話に入ってくるのだ。
 でもそれはボクらの戯れに混ざりたいみちるちゃんの意思が透けて見えて、ボクには楽しい出来事だった。
 それに家の外のことで困ったことがあると、ボクはみちるちゃんに相談していた。
 数多い思い出が一瞬のうちに頭をよぎった。
 そしてボクはこう言った。

 「なんかね……、こっちのピンチはよく察してくれて、色々手助けはしてくれるんだけど……自分のは見せてくれない……、みたいな? 」

 「あっ! それ、わかる! 本当そうだよねっ! ……何か妹に弱みを見られるのをイヤがるみたいなトコあるよね」

 お姉ちゃんってのはドコも変わらないものなのかな? そう言って彼女は懐かしそうに笑った。
 きっとボクと同じ――。
 姉の姿が心に浮かんできたのであろう。

 「――……ピアティフ中尉からあなたが基地に来てるって聞いて嬉しかった――。やっと語ることができる。あたしたちが……、
 伊隅ヴァルキリーズがどんな思いで――。どんなふうに戦ってきたのかをやっと知ってもらえる――。一番、知って欲しかった人に……」

 そう話す彼女の顔は笑っていたが、その頬を一筋の涙がつたっていた。

 「……あぁ、まずいなぁ……。また200回プラスだよ」

 ――何のことだろう……?

 「あ、ごめん。実はね、ウチの掟なんだけど――。仲間のことは笑って語れ、けして涙をみせるなって……。泣いたら腕立て200回しなきゃいけないんだ」

 そう言ってから彼女は片手を振った。その腕には包帯が巻かれていた。

 「まだ腕が本調子じゃないから、溜め込んじゃってるんだ」

 「……何回くらい? 」

 「えーと……。4800回」

 ふたりで顔を見合わせて――噴きだしてしまった。

 ――……みちるちゃんは本当に、ここで生きていた。

 その回数分だけ姉は信頼され愛されていたのだろう。だからボクにはこういうことが言えた――。

 「半分でいいよ」

 彼女は小首を傾げた。

 「半分はボクが引き受けるから……。ボクもいろいろあって少しナマってたから、ちょうどいいし……」

 「……でも2400回だよ。大変だよ」

 「一人で4800回やるよりはマシだよ」

 もう一度、二人で顔を見合わせて笑った。

 ――あぁ、ここに来て良かった。みちるちゃんに会いに来て良かった。そうだ、みちるちゃんが呼んでくれたに違いない。情けなく落ち込んでいる妹を見て――。

 そんなふうに思えることはとても素敵なことだと感じた。




 「――話は終わったの? 」

 女性の声がした。振り返るとそこには二人の女性がいた。
 一人は香月副司令だ。紹介されなくとも最近のニュースで何度か顔を見ているのでわかる。
 理知的な顔つきで、軍服の上に白衣を引っ掛けている。
 そのいい加減な様子は軍人というより、学校の先生を連想させる。
 もう一人は――。なんだろうか、不思議な感じのする外国人の子供で、軍事基地にいるのが不似合いな娘だった。
 なんだか小動物を連想させるような雰囲気を持っている。

 涼宮少尉が敬礼した。慌ててボクもそれに倣う。

 「ハイハイ、堅苦しいのは結構よ。伊隅少尉、はじめまして。あたしが香月よ」

 右手が差し出された。その手は想像していたよりも、さらりとした感触だった。

 「もう、大概のことは聞いた? 答えられることは全部答えるけど? 」

 「……もう充分です。……充分に聞きました」

 涼宮少尉を振り返る。彼女も笑っていた。――そうだ、もう充分に聞いた。
 だから後はボクが家族に伝えよう。両親に、ふたりの姉に。そして正樹ちゃんに――。
 やよいちゃんがボクにこさせた理由がようやく理解できた。

 
 「……そ。じゃあ悪いけどこっちの頼みを聞いてくれる? 」

 「頼み……ですか? 」

 ――何のことだろう?

 想像もつかなかった。

 「今回、機密を開示できたのはね、国連上層部の考え方の変更があったからなの。『あ号標的』のない現在、秘匿するより公開して戦意の向上を図ろうってね」

 「……」

 「……伊隅の名前は使えるのよ。帝国軍と国連軍の絆の象徴としてね……」

 ――そうか。みちるちゃんは日本人でありながら国連軍人であって……。みちるちゃんの挺身で沢山の兵士が助かった――。

 そしてみちるちゃんの育てた日本人の国連軍衛士が『あ号標的』を破壊した。
 それが公表されれば日本人の国連軍に対する悪感情は払拭されるに違いない。

 「国連内部にもいろいろあってね……。いま帝国との協力体制を強化しておくのは今後の世界のために有効な手段なのよ――」

 「……それでどうなるのですか? 」

 ボクがそう聞くと彼女は忌々しげにこう返事をした。

 「大々的に公表して――、伊隅は多分――軍神扱いされることになるわね」

  ――軍神!? みちるちゃんが!?

 「両親は帝国屈指の音楽家――。帝国内務省に勤める姉と帝国軍衛士の妹が二人――。マスコミが好みそうな条件にぴったりなのよ」

 「……」

 「だから親御さんの了承が欲しかったの――。帰ったら伝えてくれる? 」

 確かに騒ぎにはなるだろう。マスコミは美談を欲しがるものだ。
 そして余計な詮索や、ゴシップなども。
 ひょっとしたら正樹ちゃんにも迷惑がかかるかもしれない。
 でも――。

 「……いいと思います」

 ボクは即答した。
 香月副司令は訝しげにボクを見ていた。

 「両親に聞く必要はありません。香月副司令の望むようにしてやってください」

 「……それでいいのね? 」

 意志の最終確認を採られる。

 「かまいません」

 ボクには言い切ることができた。

 「姉が……、姉が生きていたら、必ず――。そうしてくれ、と言ったはずですから」

 みちるちゃんは絶対に諦めない。だから絶対にこう言うはずだ。

 それを聞いた香月副司令は小さく笑って頷いた。

 「ありがと。そうさせてもらうわ。それにしても――」

 「……? 」

 「あなた、伊隅にそっくりね」

 彼女がそう言うと、そこにいた皆が笑った。――ボクも笑った。





 
 「戦いはまだ終わったわけじゃない。それなのに早くも勘違いした馬鹿が動きだしている――。これからはそんな馬鹿を相手にしながらBETAと戦っていかねばならない」

 呟くように香月副司令は続けた。

 「……だから、あたしは使えるものは何でも使うわ。伊隅の名前も……。場合によってはコーブインメイヤもね」

 最後のほうは上手く聞き取れなかった。

 それからしばらく桜の木を眺めていた彼女は、お礼がまだだったわね――とボクに言った。

 お礼なんか必要ないです――、そう返答したが彼女は強引にボクの腕をとり桜の木の前にボクを引きずって行った。

 香月副司令と一緒に来た子がボクに手を差し伸べる――。

 「目を……瞑ってください……」

 その小さな声に従う。
 ボクの手が小さな手に握られた。

 その瞬間だった。

 桜の花が満開に咲いていた――。

 春の暖かな日差しだった。

 そして桜の木の下に姉が立っているのが見えた。

 ――みちるちゃん……。

 姉は笑っていた。

 声がでなかった――。

 かわりに涙がでてきた。

 時間にして数秒の後……。

 姉の姿は霞のように消えていった。

 「――今のは……? 」

 お礼よ――お礼。香月副司令はそう言うと、まるでイタズラを成功させたかのように楽しげに笑った。

 桜の木をもう一度見た。

 もちろん、姉の姿はそこにはない。

 桜の木が寂しげに立っているだけだ。

 みちるちゃんの姿はあろうはずもない。

 でもその姿を忘れてはいけない。

 ボクはそう思った。

 なぜなら姉は間違いなくそこに存在していたのだから――。

 姉だけじゃない。

 皆のことを忘れるわけにはいかない。

 斉藤中尉が子供を両親に預けてまでも前線にいたのは何故か――?
 後藤少尉があれほどの怪我にもかかわらず、衛士として復帰したのは何故か――?
 家族を全て失くした佳奈が、あんなに明るい子だったのは何故か――?

 全部、ボクが受け継がなくてはならない。

 皆の肉体はこの世から消えた。

 でもその想いは消えることがない。

 ボクがいる限り。

 ボクが戦い続ける限り。

 いずれどこかでボクも命を落とす時がくるかもしれない。

 でもその時は笑って逝こう。

 そして誰かに託そう。

 この想いを。

 この生を。

 誰かに受け継いでもらうのだ。

 そうして想いは連なっていき――。

 継承された願いはいつか必ず……。

 必ず――。

 


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Muv-Luv SS脇役 整備班の場合3

 ――アイツらの名前を覚える必要はないぞ。

 忙しく作業を続けながら、あの男はそう言った。

 俺はその言葉にひどく不満をもった。
 身体を張って戦う者たちに失礼だと思ったのだ。

 まだ若かったのだろう。あの男が上官であるのにも拘らず、勢いよく噛み付いてしまったことを今でも憶えている。

 でも、あの男は動じなかった。

 ――そう思うのは貴様の勝手だ。アイツらをいちいち相手にしてやりたいのだったら、勝手にすればいい。
 ――補充兵が来たと思うと、まだ名前を覚えないうちに勝手に死んでいく。
 ――クソ袋のタグを覚える趣味は、俺にはないね。

 そう言ってあの男は笑った。
 機械のように冷たい笑い方だった。









 2001年12月27日  横浜基地










 甲21号作戦に参加したA-01部隊は12機。――そして2機が未帰還となった。

 佐渡島ハイヴの完全消滅という結果は、BETA戦争勃発以来の快挙と言えるものではあるが、その代償として失ったものはけっして小さくはなかった。
 発表されている数字をざっと見ただけでも、帝国はその全戦力の四分の一強を失っている計算になる。

 ウチの連中も例外ではない――。

 A-01部隊は伊隅大尉、柏木少尉の二名を失った。

 長期に渡って部隊を指揮してきた伊隅大尉の死は、俺にとっても慣れ親しんだ顔が減ることである。
 何か大切なものを、もう二度と取りにいけない場所に置いてきてしまったような気持ちになる。

 柏木少尉も同様だ。
 若い女性というのは群れてるだけでやかましい。
 明るい彼女の声はハンガーによく木霊していた――。
 だからこそ、それが欠けた時の反動も大きくなるのであろう。

 俺は事務室の窓越しにハンガーの中の作業を眺めながら、タバコを一本だけ吸っていた。

 ウチの連中も――、やはり思い入れのある衛士と機体を喪失したのが応えたのであろう。
 どいつもこいつも景気の悪い顔をしながら作業をしているのが見える。

 「班長、サインお願いします」

 開けっ放しのドアを、やはり不景気な顔をして入ってきた藤岡が俺に報告書を提出してきた。
 手渡された報告書を目を通しもせずにサインする。

 藤岡は――、ウチの班では最も若い人材である。

 年齢のわりには腕が良く、本人の向上心も旺盛だったので、それなりの役職に抜擢して仕事を任せてきた。
 ――簡単にいえば、ウチの班の副班長である。

 俺は当初、この整備班での俺の補佐役には、同世代の清水か今野に任せるつもりであった。
 若手を抜擢しようという考えはまったくなかった。

 清水は長身の痩せ型の男でOSの類やセンサーなどに詳しく、今野のほうはがっちりとした体格の男で、俺と同じく駆動系が得意分野であった。
 二人とも教え上手だし部下にも慕われている。
 双方とも基地内の技術屋連中には一目おかれる存在である。
 どちらに決めるにしろ、何の問題も起きようはずもない妥当な人事のはずだった。

 俺が強権で決めるよりは――、と思い三人で話し合いをしたところ、清水も今野もお互いを推薦しあうものだから、なかなか埒が明かず、話はいつまで経っても平行線だった。
 しまいにはジャンケンだ、くじ引きで決めるだの――、酒の力も手伝ってグダグダな話になってしまったのだ。
 すっかり酔っ払っていた俺は、――二人で決めて明日報告しろ、と言い残して自室へと帰っていった。

 翌朝、二人が雁首揃えて言ったのが、ウチの班の最も若手である藤岡を副班長にするという案である。

 藤岡はナリこそ小柄だが、勤勉で吸収も良く、将来は有望な若者だ。
 確かにその行く末には俺も期待はしている。

 ――だからと言っても、それより腕の立つものもいるし、第一アイツ自身がまだ先輩たちに技術的なコツというものを教わっている段階だ。

 「なんで藤岡なんだ? 」

 俺がそう聞いたのは当然のことであろう。

 「――若いからです」

 今野が言った。

 「副班長になったからといって、その後すぐに班長になるというものでもありませんでしょう」

 清水が続ける。

 「それに――、中堅の整備士は他所に引っ張られる可能性が高いです」

 それは事実だった。

 出撃回数がやたらと多いうえに、様々な条件下で戦うA-01部隊を担当するウチの班の連中の腕前は一級品だ。
 ウチの連中の腕が立つことは、色々と知れ渡っていて、人手が足りなくなるとウチから人材を引き抜こうとする動きも多い。
 人事は特務部隊を担当しているウチに優先権があるのだが、ウチの若手を新しい班の班長として迎えたい、などと言われると嬉しくなって送り出してしまうことがあったのも事実なのだ。

 「……他の人間が腐らないか? それに本人の意思は? 」

 班の雰囲気が乱れたとて、仕事の手を抜くような奴らではない。
 だが、できるだけ良い気分で仕事のできる環境を作ってやるというのは上司の仕事だ。

 「大丈夫です――」

 なぜか清水と今野が力強く言い切る。
 妙に自信ありげだ。

 「問題ないです」

 なんだかよくわからないが――、俺は二人の提案をのむことにした。



 副班長といっても、別に正式の役職ではない。
 あくまでも整備班の中での役割だ。
 給料が上がるわけでも、階級が上がるわけでもない。
 通常の整備や修理の他に事務作業と管理業務、それに伝達業務が増えるだけだ。
 藤岡に技術指導は出来まいし、ついでに言えばウチの連中にそれが必要だった段階は、もうすでに通過していた。
 藤岡に出来ることは基本的に雑用だけだろう。
 清水と今野に任せた場合とは違い、俺の代理をこなすのは難しいだろう――、そう思っていた。

 軍の書類作業というのは面倒だ。
 やたらと数が多いうえに、弾の一発までしっかりと勘定する。
 もちろん、武器を扱っているという観点で見れば、それはまぎれもなく正しいことなのだが、部品にしても弾薬にしてもこれだけの消費量である。
 そう簡単に数字を固められるわけではない――。
 清水と今野がお互いに押し付けあったのも、案外この辺に答えがあるのかもしれない。
 
 ところが意外にも藤岡はそれを平然とこなしていた。
 手際がいいのだ。
 几帳面な性格が功を奏したのだろう。

 驚くとともに、清水と今野があれほどにまで強く推薦した理由がわかった。










 藤岡をテストしてみようと思ったのはA-01部隊に関係がある。

 彼女たちは長期間、隊長を務めた伊隅大尉を失った。
 それでも速瀬中尉や涼宮中尉を中心にしてしっかりとまとまっている。

 それを見ていて思ったのだ。
 もし俺がいなくなったら――、ウチの班はしっかりできるのだろうか? と。

 今の藤岡はしっかりと業務をこなしている。
 書類も正確だし、作業工程作成も隙がない。
 その仕事には不満はない。

 でももし、俺という絶対の庇護がなくなってしまったらどうなるのであろう? 
 若い藤岡に、クセの強いウチの班の連中を抑えることができるのだろうか?
 それが不安に思えた。

 俺だっていつ死ぬかはわからない。
 死んだ後に、中途半端な作品は残していきたくはないのだ。

 だから試してみることにした。

 佐渡島から帰還したA-01部隊のオーバ-ホール作業を全て、藤岡に仕切らせてみる、と。
 当然ながら、俺は口をださない。清水と今野にも控えさせるようにした。
 その状況でウチの連中がどこまでできるのか――?

 佐渡島ハイヴがなくなり、当面の脅威は低い。試験してみるのには最高の場面だと思ったのだ。

 案の定、藤岡はウチの連中から色々な突き上げをくらっていた。
 ウチの連中は腕は確かだが、そのぶんクセのある奴が多い。

 俺であれば、睨みのひとつで黙らせることもできるし、仮に相手が臍を曲げたとて、清水と今野が影でフォローしてくれる。

 藤岡がどう切り抜けるのかが見ものだった。

 整備手順や作業の進行具合で、班の連中と藤岡が激しくやりあっているのが、ここ最近のよくある光景になっていた。
 











 





 デフコン1が発令されたのは2分前だった――。

 俺は素早く事務室に駆け込み、司令部と直結されているモニターを眺めた。
 この機材は簡単な状況説明と命令を伝えてくれる。

 A-01部隊にも出撃準備の指示がでていた。
 不知火のオーバーホールは済んではいるものの完璧とは言えない。
 俺が自分で仕切っておけば良かった、と臍を噛んだ。

 割り込みで速瀬中尉から出撃装備の指示が入る。

 要求装備は中近接戦闘装備。

 他の部隊に要請されているのもほぼ同じだ。

 BETAとは距離をとって戦うのが常だ。
 あえてそれをしないということは――。
 つまりここ横浜基地が戦場になる、ということを端的に表していた。

 藤岡が俺の肩越しに同じモニターを見ている。
 副班長なのでそれは当然の行為だ。

 振り返った俺と視線が合う。

 「……班長、自分の試験は、まだ継続するのですか? 」

 藤岡は不安げに言った。











 
 ――町田で交戦している。

 A-01部隊を送り出し、再び事務室のモニターで戦況を確認する。当然ながらたいした情報は入っていない。
 だが町田を抜かれたら、三十分以内に奴らは基地まで到達する。

 ――乱戦必死の状況、か……。

 大陸遠征と西日本撤退戦の記憶が蘇る。

 迫り来るBETAの群れ。
 次々と減っていく味方。
 何度、修理や補給をしても、まるで追いつかないのだ。
 名前を覚える間もなく衛士たちが死んでいった。
 後方にいたはずの俺のいた部隊も襲われた。

 ――あの男はあの時に死んだ……。

 今、思い返してみても腹の立つ奴だったが仕事を放り出して逃げるような奴ではなかった。
 最後まで残り壊滅的な戦線を保持し続けた。
 そんな状況のなか、応急処置を戦術機に施した経験が俺にはあるのだ。
 打てる手は全て打っておかねばなるまい――。

 ハンガーは地上にある施設と地下に埋没した部分の二階建てになっている。
 通常、戦術機は地下で修理保管されていて、エレベーターで地上施設に運搬され、そこから出撃する。

 しかしこの状況を鑑みると、弾薬や装備品の一部を地上に上げておいたほうがいいように思える。
 わざわざエレベーターを使って地下に降りて、補給や整備をする時間はないように思えるのだ。

 ――まずは即時対応をできるようにしておく。 

 部隊はすでに出撃させたので、もはや補給コンテナを各所に配備することぐらいしかやることがない。 
 それがより一層、不安を高まらせてゆく。班の連中の緊張も高まっているようだ。

 





 事務室のモニターの前に張り込む。
 冷め切っているはずのコーヒーカップに手を伸ばし、口をつけようとした瞬間だった。
 突如、激しい震動が基地を襲った。
 まさか――、と思った。

 次の瞬間、モニターに緊急事態発生のレッドアラートが表示された。

 ――横浜基地付近に大規模BETA群を確認。

 同時に機械化強化歩兵以外の職員の地下への退避命令が発動される。

 藤岡が慌てている。

 亀の甲より年の功――、とはよく言ったものだ。
 大陸遠征に同行した経験がこんなところで生きるとは思ってもみなかった。
 あの敗走の経験は確実に俺を支えてくれていた。

 「――全員を一階に集めろ、大至急だ」

 全員に地上施設に上がるように伝える。
 藤岡は館内マイクで皆にそう伝達した。



 集められた班員の顔には緊張が手に取るように見える。
 本拠地であるここを目指してBETAが侵攻してきているのだ。

 もはやここが戦場になるのは間違いない事実なのだ。

 だが誰も不安を口にしないのが流石だった。

 皆が俺の顔を注視している。

 混乱し戸惑っているのであろう。
 逃げるのか、留まるのか。
 逃げるならどこに行けばいいのか。
 留まるなら何をすればいいのか。
 それがわからずに連中はただ焦燥感を抱えている。

 誰かがコイツらに火を点けてやらなくてはならない――。

 そしてそれは間違いなく俺の役目なのだ。
 俺は全員の顔をぐるりと一巡して見ると腹の底から声を出して言った。

 「いいか!? 常々言ってきたが俺たちは整備兵じゃねぇ――、俺たちは整備士だッ! 『士』っていうのは衛士と同じだ! 『侍』ってことだ――。いいか!? 俺たちは侍だ! ここが戦場だ! ここが死に場所だ! 」

 ――全員が炎を腹に呑み込んだような表情をしている。

 「いいなッ!? 手前らッ! 衛士を生かすも殺すも俺たち次第だ……! どんな熟練の衛士だって弾がなければBETAを撃てねぇ! 刀がなければBETAを斬れねぇ! ……全員ここで死ぬぞ!! 」

 気合の入った返事が重なる。
 それはまるで合戦前の鬨の声のようだった。


 物量戦の準備に取り掛かる。
 予備の機体に灯をいれて、いつでも出撃できるように暖気しておく――。
 倉庫の在庫を全て解放し、最速で作業ができるように準備を整える。
 

 ハンガー内は騒然としていた。
 物資を載せたフォークリフトが走り回っている。
 歩いている奴は一人もいない。
 全員が、自分が何をしなければいけないのか理解している。
 俺の望んだ姿がここにはあった――。



 遠くで爆音が聞こえてくる。
 数秒遅れて、ハンガーの窓ガラスがビリビリと震える。
 その時間がだんだんと縮まっていく――。


 撃震が二機、ハンガーに駆け込んできた。
 一機はほぼ無傷だが、もう一機は左腕の整備が必要だと見えた。
 左肘関節部から火花があがっている――。
 おそらく長刀でBETAの硬い部分を切断する際の負荷で、関節のギアがいかれたのであろう。

 藤岡がマイクで二機の誘導をしている声が聞こえた。

 「60407にはALMランチャーの取り付けのみッ――、60301は左腕をパージする! 5分で付け替えるぞ! 衛士は戦術機の中で待機しろッ! 」

 左腕を根元から付け替える――、藤岡はそう指示した。
 それは左肘関節部をチェックしてから修理するより数段速い――。
 的確な判断だった。
 俺は一人でにやりと笑った。

 それが皮切りだった――。

 俺たちのハンガーには次々と戦術機が雪崩れ込んで来た。

 装備変更を望むもの――。応急処置で済むもの――。
 大きくダメージを受けているもの――。
 まさにここが前線基地になっていた。
 深刻なダメージを負った機体は放棄し、用意しておいた機体に乗り換えさせる。
 速度こそが命だった。

 それが上手く機能しているのは――。
 先日のBETA急襲で皆が一度、経験を積んでいたからかもしれない。
 
 不幸な出来事ではあったが、トライアルの際のBETA襲撃は、基地の雰囲気を変えるきっかけになっていた。

 時間とともに爆音がハンガーの周辺でも聞こえるようになっていき、先ほどは流れ弾がハンガーの壁を貫いた。
 それでも、うろたえる者は一人もいない。
 ウチの連中の手際は素晴らしく、間違いなくヨソのハンガーの倍以上速さで仕事をこなしていた。

 やはり俺たちはチームだ。
 何から何まで、全てのピースがぴったりと嵌っていた。

 ダメージチェックと同時に推進剤の補充。
 いかれっちまった跳躍ユニットをひっぺはがし、投棄されていたヨソのまともなパーツと換装。
 非常に珍しい作業だが上半身にダメージを負った撃震と、主脚のいかれた撃震のニコイチを10分で完了した――。
 撃震の衛士が驚嘆していた。

 俺は班の仕事に誇りを持っていた。
 ウチの連中はいま、最高の仕事をしている。











 A-01専用――オルタネイティブ計画の専用の整備チームを創る――。
 副司令はそう言った。
 そのチームは、新型兵器の開発や極秘任務を引き受ける精鋭部隊を手がける、と――。

 ――だから最高の整備士が必要なの。
 ――どこから引っ張ってきてもいいから、班長として最高のチームを創りなさい。

 俺に全ての人事権が与えられた。
 俺は横浜基地中の整備士の人事ファイルをひっくり返し、何十人もの整備士たちを面接した。

 俺が設けた基準はひとつだけ――。

 三度の飯よりも戦術機をいじくっているのが好きなクレイジーな奴ということだけだ。
 頭の良さも手先の器用さも関係ない。
 あの鋼鉄の巨人が動くことに官能を覚える、正真正銘の変態野郎だけを集めた。

 できる奴を集めたほうが早い。
 そう言ってくる連中もいた。
 ――俺はありがたくそのアドバイスを無視した。

 それから俺の集めた変態野郎どもに、俺の知る限りの技術と知識を伝えていった。

 それは――。

 間違いではなかった。

 だから今、これだけのBETAの群れが接近しているなか、この班だけは完璧に戦線を維持できている。
 瞬時に修繕をすませ、衛士を再び戦場に送り出す。

 「班長、アンタらも早く地下に潜ったほうがいいぞ! 」

 旗色が良くないのであろう。作業待ちの一人の衛士がそう言ってくれた。

 「……潜ってもいいがね。……作業を中断することになるがいいのか? 」

 俺がそう返すと、その衛士はあきれたように呟いた。

 「……そうだな。そいつは俺の機体の作業が終わってからにしてくれや」

 俺とソイツは顔を見合わせて笑った。
 名前などお互いに知らない。
 何回か見かけたことがある程度の間柄だ。

 それでも、俺とコイツの間には信頼関係があるのだと思う。

 幸運を祈る――。

 万感の思いを込めて、その一言で送ってやる。

 外に漏れるハンガーの照明は衛士の心を勇気づけるだろう――。

 ――俺たちは見捨てられていない。
 ――アイツらのためにもここは抜かせない。

 言葉を交わさなくともわかる。
 衛士と整備士はそんな関係だ。





 だがそれも限界に近づいていた――。




 ハンガーの中の売り物はすでに底をつく直前になっていた。
 


 ――……潮時だな。

 もうこれ以上は意味がない。
 人手が多すぎる。
 もはやこのハンガーで出来る作業は、せいぜい三人もの整備士が残っていれば、こなせるような仕事だけだ。
 爆音も徐々に近づいてきている。
 いつ誤爆があってもおかしくない――。

 だから俺はマイクを握り、全員に声をかけた。

 「整備班各員に告げる――。……三十歳以下のガキどもは藤岡を中心にして基地の地下施設へ避難しろ。――残りはジジィ組が引き受ける」

 三十歳以上は俺を含めても三人だけ。
 そいつらには悪いが付き合いが長い分、地獄まで一緒に行ってもらうつもりだった。

 藤岡が走って俺のところに向かってきた。
 その顔は怒りの色を通り越し、ほとんど紫色になっていた。
 肩と口唇が震えている。

 「何をッ、勝手に決めてんですかッ班長!! 俺らを『侍』って言ったのはアンタでしょうがッ!? 」

 純粋に怒ってくれていた。

 俺はそのことがたまらなく嬉しかった。

 藤岡だけじゃない。
 いつの間にか若手全員が俺のもとに集まってきていた。
 口々に不平を並べている。
 誰が教育したのかわからないが、普段からこいつらは口が悪い――。
 言葉使いがまるでなっちゃいない。

 でもその光景はあまりにもいつもと同じ、日常の光景なのだ。

 ――こいつは――、……こいつらは俺の宝だ――。

 戦術機をいじくること以外何の能力もない俺に、神様がくれた唯一の宝だ――。
 血縁こそないが、間違いなく俺の遺伝子を受け継いだ者たちだ――。
 そいつが無性に誇らしかった。



 だから――、俺はこいつらを一言で説得する自信があった。



 「……馬鹿野郎!! 何を勘違いしてやがるッ! ――整備士が一番忙しいのは作戦終了後なんだぞッ! 」

 連中を一喝してやる。
 連中は一瞬で静まる。
 
 「……そこまでは俺たちがやってやるから――、後は手前ぇらでやれ……! 」
















 「……三人だと結構広いもんですね――? 」

 人のいなくなったハンガーはやけに閑散としていた。
 いよいよ爆音が激しくなってくるなか、清水は妙に感心したかのように言った。

 「悪ぃな……」

 ――いい奴だ。死なせるのには本当に惜しい奴だった。

 「いや、いいですよ。あぁでも言わないと全員、残るって言って聞かないでしょうから」

 「……だなぁ」

 今野も楽しげに相鎚をうった。

 俺と清水と今野との付き合いは長い。
 お互いが駆け出しの頃から知っている戦友なのだ。

 すでに俺たちはハンガーの外に、使えそうな装備をすべて並べ終えていた。
 勝手に持っていけ――。
 取り易いように置いておくから。

 人間様相手の戦争ならとんでもない行為になるのだが、相手はBETA――。
 戦術機用の装備など見てもわかるまい。
 ハンガーにあるものは最後の一発まで、すべて渡してやりたかった。

 その作業にかかった時間は34分。
 
 その間に3機の戦術機にも補給と応急処置をした。

 やれることはすべてやった。
 店はもう完全に閉店の時間なのだ。
 地上施設の完全放棄命令も20分ほど前に発令された。

 だからと言って今更、地下に避難もできない。
 小型種の侵入を警戒して、地下へ続く道はとっくの昔に封鎖されている。
 逃げ場などというものは、最早どこにも存在しない。

 俺たちはハンガーの中から戦場を眺めていた。
 支援砲撃の音。120mmの発射音。36mmの連射音。
 爆発と爆煙。
 ハンガーの周りはいっそ賑々しいくらいになっていた。

 「……た~まや~」

 今野の呟きに俺と清水が笑った。それを聞いた今野本人も笑い始めた。

 一頻り笑った後、俺は二人に声をかけた。

 「――手前ら、ただで死ぬつもりじゃないだろうな? 武器を全部集めろ。バリケードを作るぞ」








 
 トライアルの事件以降、横浜基地の各所では緊急時用の武装が一部に設置されていた。
 このハンガーにもM-16が一丁だけだが事務室に保管されていた。
 清水がそいつに弾を込める。
 マガジンをはめ込む手つきがどうにも怪しい。
 戦術機を扱うようにはいかない様子だった。

 それ以外にもハンガーには色々と使えそうなオモチャが転がっていた。

 ハンガーにある電動ノコギリは戦術機の特殊装甲を解体するのに使われるため、ブレードを特注品に変更してある。
 こいつならBETAでも何でも切り裂けるはずだ。
 他にも釘打ち機や液体窒素なんかも使えそうだった。
 

 俺たちは事務室を最終防衛ラインと定め、その前にバリケードを築き始めた。
 こんな時にも係わらず、ハンガーのなかにBETAの侵入を許したくないという気持ちが働いたのだろう。
 どうしてもガントリーや整備道具を守りたかったのだ。

 隙間だらけの、頼りないバリケードである。
 壊れた戦術機の主脚を横倒しにして、それをフォークリフトやガラクタで補強しているのだ。

 正直な話、戦車級にでも襲われた場合には、何の役にも立つまい。
 一瞬のうちに蹂躙され、俺たちは死ぬことになるだろう。

 それでも――。

 この切羽詰った状況の中でも、何かを作っているというのは、技術屋としては気持ちを落ち着かせてくれる何かがあるのだ。

 ――急造にしてはなかなかの出来栄えなのではないだろうか?

 間の抜けた話だが、俺たち三人は出来あがったバリケードを少し離れた所で並んで見ていた。

 M-16を固定砲台に見立て、バリケードに侵入してくるものは電動ノコギリで応対する。
 ストーブ用の余った燃料を使い、火炎瓶もどきもつくってみた。

 こんなものがどれだけ役に立つかはわからない。

 だが――、いつだって秘密基地というものは、男の気持ちを熱くさせるものなのだ。
 妙に誇らしく、なんとなくやれそうな気がしていた。
 俺は後ろにいる二人に振り返り、――なかなかのもんじゃねえか? 
 そう言おうとした。



 二人の笑顔のずっと後ろに――、何かの影が立っているのが見えた。
 
 ハンガーの入り口だ。
 あきれたことに閉鎖することを忘れていた。

 爆光に浮かび上がるそのシルエットに俺は覚えがあった。

 ――……闘士級……。

 大陸遠征に同行したことのある俺には見慣れた奴だ。
 アイツのせいで何人もの人間が殺されるところも見たことがある。
 動きが素早く、やっかいな奴なのだ。

 戦術機の主な相手は、突撃級や要撃級といった比較的、大型のBETAだ。
 小型種である闘士級、兵士級は基本的に無視することも多い。

 それら小型種を相手にするということは戦術機を人間に例えるなら、機関銃を使って家の中のゴキブリを始末するようなものだからだ。
 費用対効果も悪ければ、駆除効率も良くはない。

 だから通常、小型種全般は機械化強化歩兵か強化外骨格を纏った衛士が相手をするのだ。

 間違っても、素手の素人がケンカを売っていい相手ではない――。

 そしていまソイツがこちらを見ていた。

 象の鼻のような腕が――。
 頭頂部にある複眼が――。
 ゆっくりと動き、こちらを発見したことを告げていた。

 背筋が凍った。

 うかつにもM-16はバリケードの上に置いてある。
 手元にあるのは俺がオモチャ代わりに握っていた電動ノコギリだけだ。

 二人はまだ気づいていない――。

 だから俺はできるだけ、呑気を装った声をだした。

 「……よぉ。お前ら――、俺が合図したら左右に別れて走れよ」

 二人が緊張したのがわかった。
 二人とも後ろにBETAがいることを理解したのだ。

 ハンガーの外で一際、大きな爆発があった。

 ――それを合図に奴がこちらに向かって走り出した。

 「いけッ――!! 」

 合図をだすと同時に電動ノコギリのスイッチをいれ腰溜めに構える。

 闘士級の大きさは2m強。
 ソイツが人間では出しえない凄まじい速度で接近してくる。
 まるで巨木が迫ってくるようだ――。

 俺の目の前で象の鼻のような一本腕が高く持ち上げられ、それが鞭のようにしなって俺に叩きつけられる――。

 ――電動ノコギリから手を離さなかったのは奇跡だろう。

 どんでもない馬鹿力で打ち下ろされた奴の腕を、俺は反射的に電動ノコギリで受けたらしい。
 そのまま撥ね飛ばされ、地面に転がった。

 奴の腕は大きく傷つき、その中ごろから大量に出血していた。

 もう少し奴の腕力が強ければ――奴の腕が両断されるか、逆に勢いに負けた俺の身体が、電動ノコギリで輪切りにされていたであろう。

 奴は二歩ほど後退していたものの、まだ闘志は衰えていないようだった。

 一本腕が大蛇のようにのたうっている。
 その傷口から溢れ出す体液がやけに臭う。

 俺はなんとか身を起こし、電動ノコギリを構えなおし、奴を牽制した。

 ――誰が言ったか知らないが、BETAは頭が悪いというのは嘘だ。
 奴は電動ノコギリのブレードには触れないように、その横腹を何度も叩き、何とかして俺から電動ノコギリを取上げようとしていた。

 怖い。
 足が震える。
 今、踏み込まれたら間違いなく死ぬ。
 衛士でない俺がBETAと睨み合いをするはめになるとは思ってもみなかった。
 恐怖で足元から力が抜けていきそうになるのを必死で堪える。

 「班長ッ! 下がって!! 」

 清水の声だった――。
 おそらくM-16にたどり着いたのであろう。

 ――馬鹿野郎! 下がれるかッ! 目を離したらその瞬間にやられっちまうんだよッ! 

 返事すらできなかった。
 奴はじっとこちらの様子を窺っているのだ。

 それを悟った清水が舌打ちして、狙撃できる位置まで移動しようとするのを背中で感じる。
 衛士でもない俺たちに精密射撃なんてのは不可能な話だ。
 できるだけ早く、狙撃可能位置についてくれることを祈るしかない。

 唯一、神様が味方してくれたと思ったのは――。
 こいつは俺が、先ほどの一撃を受けきれたのが、ただの偶然であることに気づいていない。
 それだけが救いだった――。

 早く――。
 気づかれる前に射殺してくれ。
 それだけしか考えられなかった。
 腕の力が抜けて電動ノコギリを落としてしまいそうなのだ。

 ――マズイ……。

 絶望が押し寄せてきたのはその時だった。

 ハンガーの外で何か動いているのがまた見えてしまった。
 大きな頭に間抜け面――。

 三匹の兵士級の姿が見えたのだ。




 野太い怒声が聞こえたのもその瞬間だった――。

 今野だ。

 今野がフォークリフトで俺の前に立つ闘士級に突っ込んだのだ――。
 1t以上もの重量を持ち上げることのできるフォークリフトは闘士級に激突し、そのまま奴をハンガーの内壁に押し付けた。

 「清水ッ! お前は兵士級を抑えろォ! 」

 走りながら怒鳴り闘士級へ向かう。
 壁面に衝突したくらいでBETAが死ぬわけはない。

 案の定、奴は全身をのたうたせながら、今野の乗ったフォークリフトを押し返そうとしていた。

 駆け寄って電動ノコギリを闘士級の頭部に叩き込む――。
 奴はそれを一本腕でガードしようとした。
 
 抵抗を受けモーター音が高く響き、奴の体液がそこらじゅうにまき散らからされる。

 清水が叫びながら兵士級に発砲している。

 奴の腕で一度に三匹の兵士級を始末するのはまず不可能だろう――。
 嫌な認識をしてしまう。
 だが手助けはできない。

 体重をかけて押し切ろうとする。闘士級の体液を全身に浴びる。

 電動ノコギリは奴の腕をすでに半分ほどにまで切り込んでいたが、それでも奴がそれを動かす度に身体ごと持っていかれそうになる。
 今野が必死になってフォークリフトのバランスをとる――。
 まさに人間とは違う生き物の力だ。

 兵士級は――。驚いたことに、二匹は清水が倒すことに成功したらしい。
 だが一匹が生き残っていて、ソイツがこちらに向かってくるのが視界に入った。

 清水の位置からではもう撃てない。
 撃ったら俺と今野に当たる――。

 闘士級はいまだに大きくもがいていて、電動ノコギリを抜くわけにもいかなかった。

 兵士級は3mの距離まで近づいてきている。
 神宮司軍曹を喰らったという、醜い前歯がよく見える。

 ――……せめて――、せめてコイツ一匹だけでも道連れにしてやりてぇ……!

 俺は力の限り、電動ノコギリを闘士級の頭に押し付けた。――あと少しで殺せるはずなのだ。
 派手に体液は飛び散るが、その動きはまだ止まる気配がなかった。

 迫ってきた兵士級がフォークリフトにその手をかける。
 
 今野はそれに気付いているのだが、闘士級に押し返されそうになっているフォークリフトのバランスをとることを優先していた。
 俺のためにも闘士級を固定しておく必要があるのだ。

 兵士級の大きな口がゆっくりと開かれ、唾液が垂れるのが見える――。

 「頭ァ、下げろォォ!!!!! 」

 誰かの叫び声。

 反射的に首を竦める。
 次の瞬間――。

 近づいてきていた兵士級の頭が破裂した。
 
 その後ろに何か立っている。

 強化外骨格だ。
 衛士の脱出用の装備だ――。

 それを纏った男が、兵士級の頭を撃ち抜いていた。

 「……間に合ったみたいだな、班長」

 闘士級も始末しながらそいつは言った。
 見たことのある顔だった。

 「お前さんは……」

 数十分前に会話を交わした男だ。
 俺に逃げろと勧めた衛士だった――。

 「班長が残ってるんじゃないかと見に来て正解だったぜ――」

 














 佐渡島攻略後――、この基地に所属していた戦術機は約250機。
 その大半が今回の戦闘で失われた。
 
 ウチのハンガーからはなかったが、場所によっては整備士が戦術機で出撃したところもあるらしい。
 無茶な話だ。
 そして口惜しい話だ。
 多くの人員と貴重な装備が失われた。

 おそらく俺が生き残ったのも、奇跡の部類に入る事柄だろう――。

 結局、餅は餅屋に――。
 戦闘は兵士に――、というのが正解なのだろう。
 あの後、俺たちは逃げ落ちてきた二人の機械化強化歩兵と合流した。
 ハンガーの大扉を閉め、照明を消してハンガー内の俺たちのバリケードに立て篭もった。
 BETAの群れの通過していく足音を何度も耳にした。

 A-01専用のハンガーであるため、他の部署から離れた所にあった――、というのが幸運だったのかもしれない。
 俺たちの前に姿を現したBETAは拍子抜けするほど少なかった。

 衛士たちはBETAの侵攻の流れが変わったことを見抜き、しばらくすれば助かるかもしれない、と言った。
 俺には見当もつかなかったが、あきらかにBETAが違うところに向かっている流れだ、と言っていた。

 それから数時間後――。

 俺たちは仲間の手によって全員、救出された。

 ありがたいことに地下に逃げた連中も全員無事だった。

 連中に再会した時、俺たち三人は顔を見合わせて噴き出してしまった。

 あの一癖も二癖もあるウチの班の連中が涙ぐんでいるのである。
 普段は――、このクソ爺ィ――と可聴域すれすれの音量で文句を言うことを楽しむような連中である。
 それが情けなくも鼻水を垂らして泣いている。

 実に爽快な光景である。
 
 なかでも藤岡が一番、取り乱していた。
 普段は冷静なアイツの――、らしくない態度に俺は少し驚いていた。

 化粧っけのない顔に色気のないツナギ姿である。

 それでも。

 それでも若い女に胸に飛び込まれ泣かれるというのは――、なかなかオツな経験だった。









 現時点でまともに稼働する戦術機は10機ほどで、しかもその半数が帝国軍戦術機の武御雷だ。
 つまり横浜基地は事実上、壊滅したと言っても良い。 

 俺は藤岡から提出されたA-01部隊戦術機のチェックシートを見ながら、いくばくかの寂寥の思いを抱えていた。

 A-01部隊も大きなダメージを受けていた。
 戦闘稼働可能な、まともな不知火は存在していない。

 特に小僧の乗っていた機体はダメージが酷く、超音波診断をしたところ、金属疲労で全身がいつ崩壊してもおかしくないところまで使用されていた。

 他の隊員の不知火もそうだ。
 彼女らは、その限界まで不知火の能力を使いきってくれた。
 戦術機が壊れるのは悲しいことだが、機体が限界まで彼女たちの信頼に応えられたとしたならば、それは誇ってもいいことであろう。

 ただ残念なのは戦術機の損傷ではなく――、部隊の人員にまたも死傷者がでたということだった。

 先日、新隊長になったばかりの速瀬は死亡。CPの涼宮中尉も亡くなったという――。
 その他にも重傷者が続出し、部隊の生き残りは先日まで訓練兵をしていた連中だけになっていた。

 俺はいなくなった連中の顔を思い浮かべながら、一本だけタバコを吸った。





 「藤岡、作業手順――」

 狭い事務室の中で、藤岡に報告を命じる。

 藤岡の態度はどことなく、つっけんどんだ。

 「はい。即応部隊は現在、使用可能なF-15とF-4に任せます――。まず状況を司令本部に伝達しそれからA-01を最優先に作業にかかります。
 ――私見では全ての不知火をバラして再構築するなら今から48時間で、3機の不知火を再生できます。作業の後の確認が必要ですから時間はこれ以上はまかりません」

 3機の不知火を修理するため残りの不知火は解体し、全て部品取りに使う――。
 かなり大胆な意見だ。
 時間が潤沢に与えられるなら、メーカーから部品を取り寄せ、全ての不知火を元通りに修復するという手段もあるのだから。

 藤岡はこれで正解のはずです――、という表情で俺を見ていた。

 奴にはもう少し自信を持たせるようにしたほうが良いのかもしれない。

 「もしBETAの残党が再びこの基地に襲撃をかけたら……? 」

 ――バラした不知火は機動できない。基地防衛はどうするんだ? そう問いかける。

 「……色々考えましたが……」

 「……」

 「その時はお手上げです――。逃げるしかないですね」

 俺は笑って、その作業計画書にサインをした。







 藤岡が全員を集合させ計画の説明をしているのが、事務室の窓から見える。
 手を挙げて発言するもの、強い口調で何かを言っているもの。
 相変わらずその様子は混沌としている。

 だが藤岡はなかなか上手にそれを裁いているようだった。
 キツイ状況であるのにも係わらず、皆の顔に笑顔が浮かび始めていた。

 「なかなかやるもんですね――? 」
 
 俺の隣にいた清水が笑っていた。

 「整備班というよりは……、文化祭実行委員会って感じですね」

 今野も笑っていた。

 「まあ……。人それぞれやり方はあるだろうからな――」

 俺がそう言うと二人とも大きな声で笑った。

 あそこにいる連中は皆、藤岡のことが好きなのであろう。
 好きな子にはイジワルをしてやりたい。
 まったくもってガキ臭い気性の連中である。




 内線電話が鳴った。
 小型ディスプレイに表示されているのは司令部からだった。
 受話器をあげ名乗りをいれる前に向こうから声をかけられた。
 
 酷いノイズ混じりの回線の向こうから副司令の声が聞こえてきた。

 ふと昔のことを思い出す。

 ――XM3の時もそうだったな。

 そう滅多にあることでもないのだが副司令から直接、俺に内線がくることはある。
 妙なところで義理堅いところのある彼女は、無茶な要求をする時には他人の手を介さない。
 必ず自らの口頭で要請してくるのだ。

 「悪いけど大至急、動かせる戦術機を回して欲しいのよ。この際、陽炎でも撃震でも何でもいいから、一番状態の良いものを接収して。……できる? 」

 ――できる? 珍しいこと言いやがる……。

 あの魔女もさすがに疲れているのだろう。普段はしない口の利き方にそれを感じた。
 ――だから俺はこう言ってやった。

 「……できるに決まってるだろう。ウチの若いのは元気が有り余っているからな。48時間くれれば不知火でも3機は完璧にして揃えられるぞ! 」

 一瞬の沈黙の後、そうだったわね――、と彼女は小さく笑いながら返事をした。

 副司令も俺と同じだ――。
 仕事狂いの変質狂だ。
 そういう奴にしかわからない呼吸というものが、この世には確かにある。

 「……悪いけど、そんなに時間はあげられないのよ。……班長の最善を尽くして頂戴。S11を搭載した戦術機を5機、24時間以内に揃えなさい」

 いつものような無茶苦茶な要求――。

 そして、その要請に完璧に答え続けたのが俺のチームだ。

 ――いっそのこと、帝国軍の戦術機を接収してしまうってのはどうだい?

 頭の中でそう呟く。
 しかしそれは無理な話だ。
 何しろただの帝国軍じゃない。
 正確に言えば帝国斯衛軍だ。
 政威大将軍殿下直属の部隊に手をつけろ、とは俺の身分で言えた話ではない。

 「……了解しました。――しかし穏やかじゃないな? 」

 ――不知火の作業は中止。
 受話器を顎で挟み、両手でサインを作る。
 それを見た清水が事務室を出て藤岡のほうへ向かっていく。

 ようやく戦闘が終わったばかりだ。いったい何をしようとしているのだろう。
 内線電話の向こうで魔女が苦笑したのを感じる。

 「――……最終決戦よ。それじゃ、頼むわね。靴屋の小人さん」

 そう言って彼女は受話器を置いた。

 「そいつは重大だ……」
 
 とっくに切れている内線電話にため息混じりにそう呟く。

 最終決戦――。

 あの魔女の言う言葉なのだから嘘のハズがない。

 このボロボロの状態で、更にもう一戦しようというのだからため息がでるのも仕方がない。
 満足のいく戦術機をだしてやれるかの自信はなかった。
 それでも全力は尽くさざるを得ない。
 
 なぜならそれがウチの連中のポリシーだからだ。
 衛士のためなら何だってやってやる。
 あらゆる準備は完璧にしてやる。

 だがら、ため息をついたのは自分のためではない。

 A-01の連中のためだ――。

 この苦しい状況のなかで彼女たちは休む間もなく新たな戦いに向かわなければならない。
 それがどれだけ肉体や精神に負担をかけるか――。

 せめて戦術機だけは完璧にしてやってアイツらを楽にしてやりたい。
 小僧の顔が頭に浮かぶ。
 いや、もう小僧と言われるような男ではない――。
 速瀬中尉亡きいま、アイツこそがA-01部隊の中心なのだろう。
 A-01部隊に所属した人間の顔が次々に浮かんでは消えていく。
 
 もう何人――、いや何十人の人間が消えていったのだろう。
 彼女たちの生き方はあまりにも苛烈で美しく――。
 それを直視してしまった者の心を深く傷付けるのだ。

 だから本能的に目を背ける人間もいる。
 見てしまったことをすぐに忘却しようとする者もいる。

 あの生を記憶することはひどく辛いことなのだから。

 だからこそ俺は――。

 「俺は忘れねえぞ――、絶対に忘れない」

 独り言だ。
 話しかけている相手はいつも同じだ。
 あのクソ上官の顔も俺は忘れてはいない。

 ――アンタ、怖かったんだろう? 
 ――怖いなら怖いと言え。悲しいなら悲しいと言え。

 もう二度と、俺と会話のできない世界にいるあの男に向かって毒づいてやる。

 ――そいつは別に羞じる行為じゃねえんだから……。

 それから俺はでかい声で藤岡を呼ぶと、こう告げた。

 「――24時間以内に5機の戦術機を最高の状態でA-01に引き渡すぞ! 寝ぼけた作業してんじゃねぇぞ! 」




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Muv-Luv SS脇役 月詠真那の場合

2001年12月28日 横浜基地


 ――もはや思い残すことは何もない。

 
 冥夜様たちはこれから最大の戦いに臨むことになる。
 支援もなく撤退も許されることのない究極の孤立戦だ。

 同行し、ともに戦いたいという想いが湧き上がってくるのは隠しようのない事実だ。

 だが、彼女と私の立っている場所は今はもう遠く離れてしまっている。
 もはや私が彼女に協力できることは、ほとんどないのだ。

 それでも――。
 この身をもってできることの全てを彼女のためにしてやりたい。
 我が身命尽き果てるまで御身に捧げる――、私はそう誓ったのだから。




 ――人は皆、何かに寄って立っている。
 
 ある者にとってはそれが、聖書であり、仏典であり、聖典であるのであろう。
 ある者にとってはそれが、家族であり、友人であり、恋人であるのであろう。

 多分、人は自分のために生きているのではない。
 自分を支えてくれる――、何か貴重なもののために、自分の身を賭けることで人は生存しているのだ。
 
 人は皆、そんな何かを手にいれるために苦しみながら生きているのかもしれない。

 幸いにも私は貴重な何かを見つけることができた。
 





 ――私は彼女の剣になりたかった。







 











 私の祖母は昔語りをするのが上手だった。
日当たりのよい祖母の部屋で膝の上に抱かれながら聞かされた数々の物語は、私という人間の根に確実に存在し、その土壌から私という樹木は枝葉を伸ばしているのは紛れもない事実であろう。

 私の祖先は末席ではあるが、戦国の世に描かれたという『煌武院二十四将図』にも記載されている武将であった。
 少し詳しい資料であれば我が家の系図も掲載されている。五摂家には遠く及ばないが――、いわゆる名家だ。

 祖母はそうした先祖の活躍を誇っていて、それを私に語るのを好んだ。
 私のほうも斯衛の仕事に従事する父や、社交界を忙しく飛び回る母といるより祖母といることを望んだ。

 祖母の寝所を訪れ、祖母の寝床に潜り込み、祖母の話を子守唄にして眠る。
 まるで庶民の子のような、はしたない振る舞いではあるが私はそれが大好きだった。

 祖母は何百年も昔の話であるのにもかかわらず、まるで祖母自身の目で見、その耳で聞いてきたかのように私に語るのだ。

 名槍『熊貫』を振るい狭瀬川の戦いで獅子奮迅の活躍をした月詠 次郎三郎。
 妹川の戦いで殿軍を務め、主を守り散っていった月詠 雪乃介。

 私は祖母の語る武家物語に、幼い心を燃え高ぶらせながら育っていった。主に忠節を尽くし民を労わる英雄たちの活躍に、己の理想を見ていたのかもしれない。

 自分もいつか先祖に負けることのない、立派な武人になることを夢見て――。








 先の敗戦により我が国の華族制度は崩壊していたが、その残滓はいたるところに存在した。
 
 現に私の通った幼年学校は一般人の入学は認めず、武家の子弟のみが通えるところであり、またその制服も厳格に色分けされていた。
 大多数の人間が黄色や白い制服を着用するなか、私に与えられた制服は赤であった。
 また校内では時折、青い制服を纏っている者の姿も見かけることが出来た。

 その色がそのまま絶対的な身分の差であったことを知るのは後々の話にはなるのだが、如何せん当時は私も子供だったゆえ、色の違いなどは、さして気にもせず日々を送っていた。

 武家出身者専用の幼年学校はそのカリキュラムが一般人の通うそれとは著しく違う。
 基本的に寄宿生活であり早朝から武道の稽古などを行い、生徒を一人前の武人とすべく教育するのだ。

 いずれ先頭に立ち戦場へ向かわねばならぬ血筋の子として、我々に甘い教育が施されることはなかった。
 まだ幼い子供たちばかりだというのに授業は厳しく、何年かに何人かは授業中に命を落とす者すらいた――。
 その中で私は教育を受け、そして鍛え上げられていった。

 客観的に見て――、私の能力は他の者に勝っていたと思う。
 
 剣技は他者に遅れることは一度もなく、学問においても幼年学校で私に並ぶ者は滅多にいなかった。
 唯一、ついてこれた者といえば同じ赤い制服を纏う従姉妹の真耶だけだったが、彼女にも私は剣で後塵を拝したことは一度もなかった。

 私は努力していたのだ。いつかは祖母の語ってくれた昔語りの武人のようになるのだ、と――。

 だが残念なことに、私は年次代表生徒には一度もなれなかった。

 同い年に五摂家の縁者――、青を纏う者がいたためだった。

 高貴なる者の血統の務めとして彼も努力はしていて、その能力は私に肉迫するものであったが、それでも私は彼に譲ることは一度もなかった。
 本来であれば私が年次代表となるはずであったが――、慣例というものに私は勝てなかった。

 私が教師たちに抗議したことは言うまでもない。
 だが結果としてそれが聞き入られることはなく、かえって身分を解せぬ愚か者の誹りを受けることとなった。
 私にとって満足のいく結果ではなかったが、これ以上は無駄と悟り、私は自説を引込めることにした。

 だからといって釈然としない思いを振り切れるほど、私は大人だったわけではない。――その捌け口として私は、より一層、剣の修行に打ち込んだ。

 
 剣は嘘をつかない。
 強い者が勝ち、弱い者が負ける。
 そこには贔屓もなければ慣例もないのだから。

 増長慢心と言われる覚悟で告白しよう。
 私には間違いなく剣術の才能があった。
 余人には自暴自棄にも見えかねない荒行を繰り返し、私は次々とその極意を身に付けていった。
 厳しい修行の結果、私はいくつかの剣術の大会で優秀な成績を収め、私の名は麒麟児として全国に轟いた。









 帝都城へ登城せよ、との案内があったのはこの頃だった。
 それまでにも帝都城へ覗う機会はあったのだが、私が何かと理由をつけ断ってきていたのだった。
 
 父はその理由を何度も私に聞いたが、私は答えをはぐらかしていた。
 言えるはずもあるまい――。
 将来、剣を捧げるべき相手が、万が一にでも、つまらない人間であったらと思うと怖ろしくて会いにいけない――、などと思っていたことは。

 そんな話を斯衛である父にはできようはずもなかった。

 我ながら傲岸不遜の考えを持ってしまったものだ。
 もっともその思いを抱いたことを、後に私は非常に恥じることとなるのだが――。








 帝都城からの誘いを断れなくなってしまった理由は簡単だった。
 陛下からの招きであれば若輩なことを理由に学校にでも籠もっていれば、いくらでも誤魔化しようがあったのだが、ある日、私に届けられた招待状は送り手がいつもと違っていた。

 丁寧ではあるが、まだ幼さを感じさせる文字で書かれたその手紙は――、なんと将軍の継嗣であられる煌武院悠陽殿下直筆の招待状だったのだ。

 内容はごく簡単なもので――、私の噂をよく耳にしていること。会って話がしてみたいということ。できれば友達になってくれれば嬉しい――。

 そこにはそう書かれていた。

 これには辟易した。

 陛下からの誘いとは違い、己の未熟を盾に断るわけにもいかないように思えたのだ。
 慌てて父に相談すると、父はこう語ってくれた。

 ――以前から殿下に友人を作ってやりたいとの意向が将軍陛下にあったこと。
 ――武家の子弟が何人か紹介されたが、殿下にはご満足頂けなかったということ。
 ――私の噂を殿下が聞きつけたこと。
 ――紹介してくれるようにと殿下が父に頼んだということ。
 ――父親の説得を聞く娘ではない、と殿下に申し上げたところ、それならばと殿下が自ら書をしたためたこと。

 ここまでお膳立てされてしまっては、もはやマナ板の上の鯉だ――。
 私は大人しく帝都城へ拝趨することにした。










 「そなたが月詠か――? 」

 鈴の音のような声。自然と耳に転がり込み、人の心を浮き立たせるような響き。
 顔を上げ正面におわす殿下のご尊顔を拝す。

 夜の闇を静かに閉じ込めたかのような黒髪。
 一点の穢れすらない白い肌。
 そして覗き込んでしまった人々の心を掴んで離すことのない瞳。
 私は一瞬にして殿下に心を奪われていた。

 神の子の降臨に立ち会ってしまった三賢者たちもかくや――、との思い。

 なぜもっと早くに拝謁に伺わなかったのだろう。

 この方ならば――。
 
 私が剣を捧げるべき存在になりえる方なのかもしれない。
 ほとんど会話すらしていないのに、私は本能的にそう予感した。

 ――だが、年少の人間に圧倒されることを良しとしなかった、私の浅ましい心のなせる業なのだろう。
 その頃までには、すっかり捻くれてしまった私の理性がそれを素直に認めるのをどこかで拒んでいた。
 
 一言の会話を交わすだけでも魅かれていく自分の心をなんとか押し止め、私は自分のプライドを守るため、密かに殿下に反攻することを考えていた。

 殿下の私室に案内され殿下との謁見中に、私は手刀で殿下に打ち込むタイミングを計ってみる。
 もちろん本気で撃ちこむつもりは毛頭ない。あくまでも空想だ。殿下の隙を見出す暗い戯れだ。

 ただ――、剣術で他人より秀でたることは、私の自尊心を支えてくれたものなのだ。
 周りがいくら、青を盛り立てようとも私の心の中では彼は私に劣る存在だったのだ。
 私は殿下の前で圧倒され卑屈になっていく自分の心をそれで支えようとした。


 不思議なことが起きた――。
 私がその内圧を高め、いまなら打ち込めると判断しようとすると、その瞬間に限って殿下は間を外されるのだ。

 最初は偶然かと思った。

 だが、二度、三度とそれを繰り返すうちに、私はこれがけっして偶然ではないということに気付いた。
 あげくの果て――。

 「月詠は――、どうやら頼りにできる剣士のようですね」

 殿下にそう言われてしまってはもはや、なす術はなくなってしまった。
 私のやましい考えなど、殿下はとっくの昔にお気づきだったのだ――。気付いた上で、何も言わずに私と会話をしていたのだ。

 殿下は私を咎めようとはしなかった。ただ微笑んでいるだけだった。

 ――私は負けたのだ。

 私よりも一回りも年下の少女に全てを見抜かれていたのだ。

 だがそれはいっそ清々しい出来事だった。


 私は自分が何を求めていたのかを改めて自覚した。
 私は相手が欲しかったのだ。
 
 私の全てを捧げるにたる絶対的な君主。
 私という名の暴力を繋ぎ止める者。
 理想の王。

 予感が確信へと変わっていくのに、それほど時間はかからなかった。
 
 





 私は学校に通いながら、殿下のお傍付きとして帝都城へ拝趨する日々が続いた。

 殿下はいずれ武家の総領たる身になられる御方。あらゆる学問や武術をその身に極めなくてはならない。
 その相手役として私が選ばれたのだ。

 大任である。当然ながら、私独りでお受けできるような仕事ではない。
 何人かの人間が交替で、私と同じ仕事をしていたが、殿下は私のことをいたくお気に召して頂いたようで、自然と私がお相手をさせて頂く機会が多くなっていった。
 殿下の剣術の練習相手となり、殿下とともに講義に耳を傾ける。

 その講義の内容は、いわゆる帝王学というものだった。恐悦ではあるが私は殿下の学友となってしまったのだ。
 
 それは私にとっても充実した日々だった。
 

 斯衛の候補生として人心掌握術や部下の管理方法などは授業に取り組まれていたが、殿下の学ぶそれは私の教わったものとは違っていた。

 講師役の将官はなかなか洒脱な人物で、戦史や戦術論を説く合間に脱線と称して、虚実を交えた交渉術などを語るのだった。

 言葉を言い換えれば、嘘やハッタリを使い、いかにして自分の望みを通しきるか、などということを講義の中に挟んでくるのだ。
 その講義は私にとっても興味を引くものではあったが、冷静に考えれば軍の将官が説いてよい話ではないだろう――。

 殿下は――、講義の内容を正確に把握し、またその実践もお上手であったが、その講義の内容自体はあまりお気に召していない様子であった。
 おそらく殿下の生来の善良さが、嘘を使ってまでも交渉を有利に進めようとすることを許さぬのだろう。
 しかし殿下は理性をもって、御自身の感情をお鎮めされ素直な態度で講義に耳を傾けていらっしゃった。

 ある日、その将官は言った。

 「嘘を付いたり駆け引きをすることが悪いことではないのです。嘘もつけず駆け引きもできないことこそ悪なのです」

 解りにくい独特のユーモアを持つ男であったが、講義は楽しかった。
 様々な状況、様々な立場での役を演じながら、己の要求を相手にどれだけ飲ませることができるか交渉する、などというゲームじみたことまで講義では行われた。
 殿下が時折、近侍たちに対して黒い冗談を言うようになった原因は、案外ここにあるのかもしれない。



 ――後年、彼は己の真情に乗っ取り重大な軍規違反をした。

 彼のことをよく知る私にはさもありなん、と思えた出来事だったが、この事件は殿下の御心を大層苦しめた。
 言うまでもなく殿下の心は彼と同じ民衆側にあったのだが、一軍を率いる将としての立場では、たとえ恩師といえども命令違反を看過することはできない。
 殿下はその御心とは裏腹に、厳しい処分を下すことになったのだ。

 彼の銃殺が執行された夜、殿下は私室に誰もいれなかった。
 





 私は殿下とともに様々なことを経験していった。ある時、殿下の外遊に私が供を務めさせて頂いたことがあった。

 将軍の代行ということで各国を廻る殿下に、面会を求める要人が余りにも多くスケジュールは過密していた。
 私の同行はもちろん護衛という意味合いが強く安全対策上、面会を求める者たちの名前と顔を一致させる必要があったのだが、これには一苦労があった。

 当然ながら各国の首脳や、財界の有力者と会談される殿下の苦労は私の比ではないだろう。
 だが殿下は愚痴のひとつも溢さずに、全ての責務をしっかりと果たされていた。 

 その日の予定を全て終えたのは、零時を少し越えていた。
 朝の七時から客人応対をしていた殿下には、その時間までに十分間の休みが二度あっただけだった。
 あきらかに外務省の調整ミスである。
 国に帰ったら、私は担当者を怒鳴り散らしてやるつもりだった。

 殿下をお部屋までお送りし、その別れ際に流石の殿下もため息をつかれてしまったのを私は耳にしてしまった。

 「――お疲れでございますね」

 何の気なしにそう尋ねた。

 「疲れてなどおりませぬ――」

 苛立ちの混じった強い声――。
 殿下が声を荒げられることは滅多にない。殿下もご自身で驚かれている様子であった。
 
 「……許すがよい」

 それから殿下は、少し話につきあうように――、と仰り私を部屋に呼び入れた。

 部屋の中で殿下はソファーに腰掛け、しばしの間、沈黙していた。それから何かを思い出すように、ゆっくりと話を始めた。

 「……今日、お会いしたマレル大佐の言葉が頭から離れなかったのです」

 その人物は中央アジアの小国の亡命政府の代表だった。中国にほど近いその国はBETA大戦の初期のうちに国が滅んでいる。
 そういった国は無数にあって、それぞれの国の亡命政府が国連や有力国を頼り、難民の受け入れや国土の回復のための派兵要請をするのは、今ではそう珍しい話ではない。
 今回の会談の大半がそれだった。
 私は殿下とマレル大佐の会談は傍聴していなかったが、そこで何かあったのだろうか――?

 「……彼の国は、大戦初期に中国との兼ね合いから議会が混乱し、それで軍の対応が後手に回ってしまったとのことでした――」

 それは私も知っていた。当時の複雑な政治情勢と絡んで、多くの国が米国軍や国連軍の介入を拒み、その結果、戦線を支えられずに崩壊していった。

 「……大佐は何度も軍本部と議会に要請したらしいのです。くだらないプライドを捨てて国連軍と米国軍に援助を求めろ、と……」

 前線の指揮官と後方の政治家の見解がまるで違う――。よく耳にする話だ。

 「……ですが議会は動きませんでした……。その結果、多くの住民が犠牲になり……大佐の国は……」

 殿下は感受性が強くいらっしゃる。きっと民衆の苦労を思いやって、その胸を痛めていらっしゃるのであろう――。
 殿下は目を瞑られていた。それからゆっくりと瞳を開けると窓の外の月を見ながら話を続けられた。

 「大佐は言いました――。民のためにクーデターを起こし、政権を乗っ取れば良かった。そうすれば何かできたはずだ。……その勇気が自分になかったことを恥じている――」

 その言葉は見過ごせなかった。
 現在、我が帝国は戦前とは違い将軍親政ではない。
 政治はあくまでも議会が中心であり、将軍の権限は大幅に縮小されている。
 マレル大佐の言葉はある意味で不穏なことをけしかけているニュアンスがある。
 私が傍聴していれば、非礼を承知で口を挟んだかもしれない。

 「……私はとっさに返事をすることができませんでした」

 「恐れながら申し上げます――。殿下、それは無理もないことかと……」

 「違うのです、月詠――」

 再び殿下は声を荒げた。

 「……マレル大佐はその言葉を言った時、私を観察していました。――どうだ? できるのか? お前にその覚悟が本当にあるのか、と――」

 ――!?

 「民のためにならば議会を無視し、強権を発動してでも何かをする気概があるのか――? ……あの目は私という人間を測ろうとしておりました」

 「……」

 「……私は彼の言葉に呑まれてしまった。為政者は時に辛い選択をしなければいけないことを私は理解していたつもりでした――」

 「殿下……」

 「ですが、その覚悟がまだ足りていなかった――。私は即答できなかった。しかもそれを他人に見抜かれてしまった。……これでは将軍代行としては失格です」

 「しかし……、殿下、それは……」

 「……月詠。私には他人に弱みを見せることは許されておりませぬ。悪鬼羅刹、暴君、外道と呼ばれ百世に渡って悪名を轟かそうとも、自分がやらねばならないと本当に思ったことは必ず実行せねばならないのです」

 「……殿下」

 「そこに躊躇いがあってはいけないのです。私が弱みを見せるということは、ひいては日本という国が見縊られることにつながります。ですから……それは決して見せてはいけないのです」

 余りにも悲しい言葉だった。
 殿下の才の輝きに目が眩み気付けなかったが、彼女とて一人の人間なのである。
 まだ十代の娘なのだ。その娘がその身の全てを日本という国に捧げている。

 自分の名誉や喜びを捨ててでも、国のためになることは何でもすると私に告白しているのだ。
 そして自分が即答できなかったことを心の底から羞じている。

 それは帝王の覚悟だ。

 近い将来、彼女に与えられる権限というものは、以前に比べ制限されているとはいえ巨大なものだ。
 そしてそれに伴う責任も――。
 殿下のお言葉の一つで、何万人、いや何十万人もの生死が決まることもあるだろう。
 それを全て背負った上で超然としていなければならないのだ。個人の幸せを全て捨ててまでも――。

 まさに余人にこなせる責務ではない。全てを国に捧げた高貴なる奴隷だ。

 人の能力は血統のみで決まるものではない。自分をどう育てていくかによって変わるのだ。
 それが真実であることを、私はよく理解しているつもりだ。

 だが――、この世の中にはそれを超越した人間がいるということも事実だ。
 殿下が受けられてきた教育や、負わされてきた責任というものを、仮に私という容器に注いだとしたら、私という器はそれに耐え切れず自壊してしまうであろう。

 およそ一人の人間が耐えられるはずもない重圧を受けてなお折れ曲がることなく、殿下はまっすぐに天に向かって成長していった。
 これが帝王たる者の資質である。
 だからこそ私は殿下に仕えたいのだ。

 私は彼女を守ってやりたかった。
 あらゆる重圧や身の危険――。彼女を傷付けようとする全てから彼女を守りたかった。

 そう――。
 私は彼女の盾になりたかった。











 殿下からその話を聞いたのはいつ頃だったであろうか?
 ――よく憶えていない。多分、殿下にお仕えするようになってから一年は過ぎていたとは思う。
 憶えているのは従姉妹の真耶が同席していたことだけだ。
 何かのきっかけで話題が家族のことになったのだ。
 殿下が何か思いつめられた表情をされていたので、私が話すように促したのだ。
 その時に殿下が突然仰られた言葉は忘れられない。

 私には妹がいる――。

 殿下の表情さえ見ていなければ、悪い冗談としか受け取らなかったであろう。

 殿下は将軍家の一子とされている。

 もとより煌武院家の相続は厳格に定められていて、兄弟がいるからといって均等には分配されない。
 そして朱子学の影響を受けた長子相続でもなければ、騎馬民族のような末子相続でもない。
 当主が子供の能力を計り、後継者を指名するという法則を代々貫いてきている。

 ――だから仮に殿下に妹がいたところでさほど問題にはされないはずなのだ。

 殿下の英明たること百代に一人と称されるほどで、仮に妹君が実在したとしても殿下の敵になるほどの者とは思えない。
 むしろ殿下の血縁として忠実な部下になる。その存在を隠す意味などまるでないはずだ。
 私にはそうとしか思えなかった。

 「真那、真耶。そなた達、二人には憶えていて欲しいのです……。私には双子の妹がいます」

 双子――。

 なんということだろう。
 継嗣の誕生という慶事も、その一言が上乗せされただけで呪われた出来事になってしまう。
 権力者にとって双子というのは不吉の象徴ほかならないのだ。

 古来より、この国は畜生腹といって双子の誕生を敬遠してきた。
 もちろんそこには科学的根拠などまるでなく、庶民の生活においては、もはや何の問題にもされていない。

 だが権力者の血統においてはそれは禁忌なのだ。
 兄弟であれ姉妹であれ、子供たちの中に能力差があれば――、当主は冷酷に判断し後継たる者を選別できる。
 だが、双子はそれが極端に難しいのだ。

 私の知るところでは煌武院家の長い歴史の中で双子が誕生したことは二度あった。
 一度目は、兄弟相争う戦乱となり、あやうく家が絶える寸前までいったらしい。

 これはまだ煌武院家が地方の小豪族であった頃の話になるので、一線級の歴史学者か相当詳しく研究したことのある者でなければ知られていない事実だ。
 私がたまたま知っているのは在野の歴史家であった祖母のおかげだ。

 そして二度目の双子が誕生した時、煌武院家は同じ過ちを繰り返さなかったという。
 ――赤子のうちに片割れを封印したのだ。
 








 対BETA戦線は後退を続け、我が国でも徴兵年齢の引き下げが決まり、大人たちは忙しく動いていた。
 すでに中国が陥落するのは時間の問題という風潮は強くあって、それに異議を挟む者は少なかった。
 中国が落ちれば戦場は日本本土になる――。その思いは帝国臣民なら誰もが抱いていて、国全体が臨戦態勢に入り世間には緊張感が漂い始めていた。
 
 私は優秀な成績で学校を卒業し、晴れて帝国斯衛軍に入隊した。
 卒業の日、卒業生代表になったのは、やはり青を纏った例の男だったが私は特に気にしなくなっていた。
 
 ただ彼の方は気にしていたようで、式典の後、私は彼に呼び出され、彼から謝罪と礼の言葉を頂戴することになった。

 ――ありがとう。君のおかげで私は敗北を学べた。

 彼もやはり武人なのであろう。
 彼のその態度には見習うべきところがあると私は感じた。

 斯衛といっても私の立場は特殊で、殿下専属の護衛の一人というものだった。
 私は一層、精進した。殿下の付き人として他者に劣るわけにはいかなかったのだ。

 斯衛のなかでも黒を纏う者は、一般兵から優秀な腕前を持つ者だけが選抜され登用されるもので、豊富な実戦経験を持ち有能な者が多かった。
 彼等から見れば、新人でありながら殿下のお傍付きという名誉ある役職についた私が目障りだったのであろう。
 私は合同訓練などの度に、何かと当てこすられた。
 
 当然ながら、私は反撃をした。
 彼等から見れば名家のお嬢さまが、その出自によって不当に高い役職を手に入れたと見えたのかもしれないが、私自身にその意識はまるでない。
 いわれのない中傷には、拳を持って反撃する義務が私にはある。
 私の強烈な反撃は彼等を驚かせ――、結果として私は彼等から認められた。
 
 悠陽殿下の紅い剣――。

 いつの間にか彼等は私をそう呼ぶようになっていた。











 その日、私は珍しく自宅へと帰っていた。

 その頃にはすでに帝都城内に私は私室を与えられていて、斯衛の仕事もあいまってほとんど帝都城内で生活しているような有様であった。
 実戦のほうも何度か経験していて、周りの人間を納得させるだけの戦績を上げていた。

 私は自宅の道場で一人で剣の型稽古をしていた。

 戦術機を駆り、戦場に出て行く中で色々と疑問に思ってしまったのだ。
 戦術機の武装は大別すると二種類に分けることができる。遠距離用の銃器と近接戦闘用の刀剣だ。
 私はこの刀剣の扱いに疑問を抱いていたのだ。

 生身で剣を扱う時――、素人は腕力だけでそれを振るってしまう。それでは剣の持つ破壊力は十全には発揮されない。
 真剣を扱う時にはその姿勢、踏み込み、体幹の動き、上体の使い方――、その全てを連動させることが大事になるからだ。

 現在の戦術機による長刀攻撃は素人の斬り方と同じように思えるのだ。
 事前にプログラムされた動作を機械的に行っている。言うなれば戦術機の腕の出力でしか長刀を振っていない。
 戦術機を己の身体を扱うように動かすことができれば、私の機体の斬撃の威力は間違いなく向上するはずなのだ。
 戦術機の全身の出力を長刀に上手く乗せることの研究をすることを私は決めていた。

 そのためには自分の身体の動きを再確認する必要があった。そのために型稽古に集中していたのである。
 
 帝都城から使者が来たのは昼過ぎであった。
 
 殿下からの伝言で、私に正装をして帝都城に大至急来るように、との指示であった。
 普段であれば使者など遣されることはなかった。
 殿下が私を呼び出す時は、電話の一本が近侍から入るのが常だったのだ。
 どことなく不安を感じながら、私は帝国斯衛軍の赤の軍服を纏い、使者の乗ってきた車に同乗し帝都城へ向かった。

 
 その日は殿下の私室ではなく、御前会議の時のみに使われる会議室に案内された。

 部屋の中には、私の父や斯衛の将校。私と同じ斯衛になった真耶。そして高級官僚などが待ちかまえていた。
 物々しい様子で、誰もなにもしゃべらない。
 ふいに、私はその面子が機密情報に触れられる者だけで構成されていることに気付いた。

 やがて殿下がお見えになられた。殿下も正装を御召しになられていた。

 殿下は冴えない表情をされていた。
 沈鬱で――、それでいて何かを決意した表情。私の顔をしばらく眺めてから殿下はゆっくりと口を開いた。

 「月詠少尉、貴官の私の護衛の任を解き――、御剣 冥夜の補佐役の任を与えます。精勤するように――」

 何を言われたのか理解できなかった。
 言葉が耳に入ってから脳に到達するまで多少の時間が必要だった。

 私はきっと呆けていたのであろう――、事務官に促されて、意味もわからず復命した。
 殿下は足早に退席され、残った私は部屋のなかで斯衛の将校から任務についての説明を受けた。
 同席していた父が辛そうな顔をしていた。真耶は感情を顔にだしていなかった。斯衛の将校の声がやけに遠くに聞こえる――。

 かろうじて、耳に入ってきたのはひとつだけ――。

 存在を封じられていた妹君を殿下の影武者に仕立て上げること。

 それが私に下された新しい任務であった。






 ――煌武院家は同じ過ちを繰り返さない。
 
 それが戦国の世を勝ち抜いてきた煌武院家の強さの一端だ。

 煌武院家に再び双子が誕生した時――、生まれた瞬間に弟は封じられた。
 名を変え神職に預けられ煌武院家とは関係のない者として育てられたという。
 成人してからも結婚を認められず、ましてや子供を設けることも許されず、神域より外にでることなく一生を終えたという。
 それは今回も同じだ――。
 妹君はその誕生を臣民に知られることなく、存在を封じられた。

 与えられた名前からそうだ。

 いずれ日本を導く存在になられる殿下には『悠陽』という目出度い名を与えその行く末に幸あれ、と祝福するとともに、殿下にかかる災いを一身に受けさせるべく妹には忌名を与える。

 冥い夜――、という名である。

 およそ人間に与えられるべき名ではないだろう。
 そして御剣家という煌武院家からみれば分家のそのまた分家というところに存在を押し込め封じた。

 歴史的にいなかった存在とされているのだ。
 その者の補佐をしろ、と殿下は私に命じられたのである。

 見限られた――、そう思った。
 私の力が及ばず、殿下に捨てられたと感じた。

 私は殿下のお傍に侍りたかったが――。
 そのお役目は真耶が授かり、私は帝都城を追われることとなった。

 あの日、私は精神に衝撃を受けると全身の力が抜ける、ということを身をもって体験した。
 将官に話しかけられ、それを作法どおりに受け答えできたのは徹底的な儀礼教育のおかげであろう。

 ――何を話されたのか、私は何一つ憶えていないのだから。













 別荘地――、というよりは辺境の地といったほうが適切なのかもしれない。
 冥夜様の住まわれる館はそんな場所にあった。

 御剣家は煌武院家の分家といえども、すでに御前会議には招かれない家柄である。

 当主も老齢で楽隠居という風情であった。 
 たまたま後継者のいなかった御剣家に妹君はあてがわれたと聞いていたが、人の良い老公の顔を見ていると、さもありなんと納得できた。
 
 老公は愛想のいい男で、久しぶりの来客を喜んでいるような節もあった。婦人には、娘の教育をお願いします――、と丁寧に挨拶をされた。

 私はどう返事をしたのだろう――?
 それもよく憶えていない。










 「そ、そなたが月詠か? 」

 あきらかに使い慣れていない言葉使い。
 私はそれに気付かぬ振りをしながら、あくまでも儀礼的に膝を折り臣下の礼をとった。
 堅苦しい定番の挨拶を、何も考えずに演じた。

 殿下と同じ顔――。

 それがたまらなく嫌だった。
 彼女は殿下と同じ顔でありながら、殿下より幼く見えそして気弱に見えるのだ。

 ――帝王の器ではない。

 まるで殿下の存在をこの娘に貶められているような気持ちになるのだ。
 一度は振り切ったはずの思いが甦ってしまう。

 ――私は真耶に破れ……。
 ――殿下に見限られ……。
 ――偽物の世話を命じられた。

 目の前にいる偽物は不安げな様子を必死に隠そうとしながら、私に声をかけた。
 多分、よろしく頼む――、とかそのようなセリフであったと思う。
 おそらく事前に何度も繰り返して練習していたのであろう――。
 その言葉には私の心を打つものは何もなかった。


 私は彼女の侍従長という立場になった。
 今までは老公自らが剣や学問を教えていたらしいが、それではまだ殿下の影武者として使うまでには足りていなかった。

 今更ながら彼女には帝王学や剣術が教え込まれることになり、様々な講師陣が招かれることとなった。
 私はそれに伴い、彼女の相手役を務めることとなった。

 剣術から始まり学問、礼儀作法、帝王学……。
 時には練習相手になり、またある時には私自身が教師となって彼女に師事した。
 
 やはり煌武院の血統なのであろう――。彼女のスジは悪くはない。
 同い年の人間なら、それが男であれ女であれ、彼女が武で劣るとは思えない――。
 頭の切れも同様だ。
 
 だが比べるべき対象が偉大すぎるのだ。

 私はすでに太陽を直視してしまっている。
 あの才に見惚れてしまった者には、たとえそれが金剛石の原石でさえ、紛い物の二級品にしか見えないのだ。






 隔離された状況で、とりわけ親しい友人もいなかったというのが大きいのであろう。
 冥夜様は私といることを好んだ。

 稽古や講義が終わった後、必ず私の部屋へ顔をだしにくる。
 なかば面倒に感じながらも、彼女のまだ幼い少女らしい柔らかな感性は私の心の琴線をくすぐった。
 私には妹はいなかったが、もしいたとすればきっと彼女のような存在になったであろう。

 不思議なことに、殿下に対しては抱くことのなかった感情が、私の中に確かにあった。
 憐憫から始まった彼女に対する感情も、時間とともに少しづつ変化していくのを私は感じていた。

 彼女は素直だった。
 何事も素直に受け止め吸収することができた。
 教育を任された者として、その可能性にはどうしても魅かれるものを感じざるをえなかった。

 ――だが、あえて私は冥夜様と距離をとり続けた。

 まだ自分の感情が上手く整理できていなかったのだ。






 冥夜様の剣術の師は日の本無双と呼ばれた男で、豪快な男だった。
 同時に彼は私の剣の師でもあり、また殿下の数多い講師陣の一員でもあった。
 このことはつまり、師と私だけが殿下と冥夜様の剣を比較しうる立場にある、ということを示しているにほかならない。

 殿下の剣は帝王の剣だ。

 自ら撃ちこむを良しとせず、あくまでその身を守り抜くことを主眼においた剣術だ。
 殿下のお傍付きとなって以来、何度も剣を交えさせて頂く機会はあったが、とにかく守りが堅いのだ。
 女性剣士として国内最高とまで呼ばれた私だが、殿下から一本とるまではいつも一苦労だった。

 そのうえ得意としている薙刀など持たせようものなら、一本とるまでの時間は倍ぐらいまで延びてしまう。
 鉄壁の守りというのは殿下のためにある言葉のように思えた。

 それに比べると冥夜様の剣は――。

 無理押しだった。

 自分の身を守ることはまるで考慮にいれず、常に攻撃を仕掛ける。
 確かに同世代の人間から見れば充分に抜きん出た太刀捌きではあるが、まだ筋力も足りず技も未熟であることから、冥夜様から一本をとることは私には容易だった。



 あれは師を交えた剣術の稽古が終了し、少し休息をとっていた時だったと思う。
 稽古で上気した身体の火照りが収まるまで待っていると、冥夜様が先ほど私に見事に避けられた突き技のおさらいをしていた。

 彼女の突き技は思い切りがいいのだが、一端、すかされてしまうと体勢が崩れていて大きな隙ができてしまうのだった。
 しかし、その欠点を修正するより彼女は突きの威力や精度を上げたいのであろう。
 繰り返し繰り返しその型の復習をしていた。

 「冥夜様はもう少し守りを考えて、剣をとられたほうがよろしいかと存じます……」

 冥夜様にむかって私はそう声をかけた。

 「そ、そうか……」

 この子はいつもオドオドしている。

 はい――、と返事をしようと思った時だった。

 「いや――。あれで良い」

 意外な言葉だった。師はまるで自分自身を納得させるかのように言葉を繰り返した。あれでよい――。

 「……むしろ、まだまだ攻め気が足りておらぬ」

 師の考えることは私にはよくわからない。
 だが何かの意味はあるのであろう。
 私は師の教えの通りに冥夜様を導いていこうと思った。
 私は師にそれだけの信頼を置いている。

 私自身も修行と称して山籠もりに連れていかれたことがあった。
 突然の提案で訳もわからぬまま、なかば拉致同然に山へ連れていかれた。
 山籠もりの間、師から私に与えられた課題は一つだけ。

 ――剣のみで食料となる獲物を確保せよ、とのことだった。

 狩りといえば、猟銃や弓、そして罠などであろう。剣が狩りに使われることはまずない。
 何故、剣ではなくそれらを使うかといえば理由は簡単だ。
 野生動物の勘は鋭い。
 わずかな草ズレの音。空気の流れ、臭い。そして殺気――。
 それでこちらの存在に気付いてしまう。
 こちらの気配を察する能力は人間の比ではない。
 近接しなければ攻撃できない剣は、あくまでも人を殺す道具であって、狩りをするためのものではないのだ。

 私はこの訓練に散々苦しんだ。

 私の剣は人間相手には無類の強さを発揮することができたが、あまりにも殺気が強く野生動物には簡単に察知され逃げられてしまうのだ。
 そして飢え死に寸前まで追い詰められたとき――。
 私は完璧に気配を殺す術を身につけていた。

 そこで初めて、師の真意に気付くことができた。

 だから今回も同じなのであろう――。
 師の考えはまだ掴めないが、何か考えがあってのことだと思えるのだ。










 修行は順調に続いていた。冥夜様の剣捌きは鋭くなっていき、その成長には私も目を見張るものがあった。
 学問のほうも飲み込みが早く、講師陣を喜ばせていた。

 だが、私の気持ちはいまだに割り切れてはいなかった。

 自分でも意外に思ったのだが、私は人に何かを教えるということが性にあっていたらしい。
 いや、むしろ生徒の力に引っ張られた、というべきだろうか?
 冥夜様に教えることが嫌いなわけではない――。

 帝都城で殿下に仕えることができず、斯衛として戦場に赴くことも許されないこの状況が恨めしいのだ。
 自分の能力を生かすべき場所で生かすことができないのが辛いのだ。
 その苦い思いを日々噛み締めながら私はただ生きていくだけだった。

 そして意外なことに――。
 その想いは、この幼い妹弟子も同じように抱えていたのであった。
 
 冥夜様が私に漏らしたことがあった。
 
 剣を磨き、学問を修めたとて誰の役にもたてない――。
 我が身にできることは将軍家の邪魔にならぬよう、息を潜めていることだけなのであろうか――。

 私は何も言えなかった。それが事実だったから――。

 彼女に望まれているのは、まさにそれだった。
 暗闇に息を潜め、いざという時に殿下の影武者としてその身に危険を引き受ける。
 それだけの存在なのだ。

 決して殿下の代替品では決してない――。その役割は殿下の弾除けなのだ。

 だから彼女には、己の望みを持つことは許されないのだ。
 弾除けが己の意識を持つことは決して許されてはいけないのだ。
 もしも、そのことに関して彼女が不満を持てば……。

 私は話題を逸らそうとした。
 彼女に危険な言葉を吐かせてはいけない。そう思ったのだ。
 ところが、彼女が続けた言葉は私の予想とは違っていた。

 「――すまぬ。私のために月詠ほどの者を、このような場所で錆びさせることとなるとは……」





 神代 巽、巴 雪乃、戎 美凪の三人組が護衛として合流したのはこの頃だった。

 彼女たちも武家の出身で白を纏う者ではあったが、通常の武士を祖にもつ者たちとは違い、彼女たちの祖はいわゆる乱波、草などとも呼ばれる忍びの者だった。
 三人とも幼少の頃から特殊な訓練を受けており、三人がかりでかかってこられると流石の私も手を焼かずにはいられない程の腕前であった。

 そして護衛が強化された理由というのは、外界から隔絶されたここではなく、他の場所に原因があった。

 殿下と冥夜様のお父上が――、将軍が倒れられたのだ。
 死病という噂であった。将軍重篤の報は帝国を揺るがしていた。
 その妻である御台所様はもともと身体の強い御方ではないし、後継者たる殿下はまだ若い。

 BETA大戦の悪化という流れもあり、国体を混乱させ、自らの利益を図ろうとする輩がでてくる可能性は否定できないのだ。
 もしそんな連中に冥夜様の存在を知られてしまったら――、冥夜様の存在はこの国の爆弾になりかねないのだ。
 万が一、冥夜様の存在をそのような者たちに利用されそうになったのならば――。
 冥夜様の存在自体を処分せよ――。

 私はそう言い含められていた。
 
 
 

 屋敷の周辺の警戒もより厳重になっていた。
 もちろん私たちの視界に入らないところで警護しているのだが、その気配は感じられる。
 ややもすると息苦しいくらいだ。
 出入りの業者なども厳しくチェックされていた。
 外敵の侵入を防ぐためには仕方のないことなのであろう。
 そして中の者を外に出さないためにも――。

 冥夜様は――。
 会ったこともない本当の父親の容態を大層、心配していた。
 その姿は哀れに思えた。
 捨てられてさえ親を思う。
 私には不憫でいたたまれないのだ。





 敵はそのタイミングを計っていたに違いなかった。
 その日、私は帝都城への定期報告のために御剣邸を離れていた。

 御剣の老公は婦人の体調が思わしくなく、病院に見舞いに行くことになっており、その護衛に神代がついていた。
 神代たち三人組は名目上、御剣の老公の護衛ということでここに配置されているので、この仕儀は無理もなかった。

 内通者は冥夜様の語学の講師だった。
 その男は二年ほど、冥夜様の教鞭をとっていたため、我々はすっかり油断していたのだ。
 彼は巧みな言葉で巴と戎を冥夜様から遠ざけ、その隙に何者かの侵入を手引きしたらしい。
 室内は争った後もなく、また犯行は驚くほど短時間で行われたようだった。
 複数の人間が関与していたのであろう――。よほどの手馴れの人間でなければ、冥夜様をここまで簡単に拉致できるとは思えなかった。

 私が御剣邸に帰り着いた時には、冥夜様が誘拐されてすでに八時間が経過していた。

 冥夜様誘拐の報告は帝都城へされてはいなかった。
 当然ながら報告しなければいけない義務があるのだが、病院より戻られていた老公がそれを止めていたのだ。
 それで正解だったのだと思う。
 もしもこの一件が帝都城へ伝わってしまったら、冥夜様の救出をすることは許されず、発見次第、犯人もろとも冥夜様を処分することになるのだろうから――。

 追跡は三人組の実家のツテを使い行われた。
 将軍家にほぼ直結している私の実家を動かすわけにはいかなかったのだ。
 皮肉にも彼女らの身分がさほど高くないことがこの場合は有利に働いた。

 もとより諜報活動を手がけてきた一族である。
 彼等は手際良く捜索を行ってくれた。


 私は老公と共に屋敷で待機し、三人組からの連絡を待っていた。
 連絡がつき次第、それがどんなところであろうとも急襲し、冥夜様を救出するつもりであった。

 
 嫌な予想が次々と浮かんでくる。

 帝の外戚の邑上公――。
 彼が冥夜様を捕らえ、傀儡として使ったとしたらどうなる――?

 議会の反将軍派の南條議員――。
 将軍家の非道を訴えるには冥夜様の存在は絶好の材料になる――。

 いずれにせよ、冥夜様の存在を知ることのできる高位の人間が黒幕にいるのは間違いなかった。
 焦燥感に苛まれる。敵の姿が見えないことが疎ましい。

 ――大丈夫だ。冥夜様が殺されることはない。その存在が邪魔なのはむしろ私たち将軍家側なのだから……。

 そう自分に言い聞かせているうちに気が付いてしまった。
 思い出してしまった、というほうが正しいだろう。

 私が恐れているのは別の可能性だ――。

 もしも冥夜様が御自分の意思で外に出ることを望み、犯人たちと同行していたのならば……。

 私は彼女を斬らねばなるまい――。

 争った形跡がない、ということがその想像に拍車をかけた。
 もちろん、これが真実かどうかはわからない。
 だが同様にその可能性を否定することもできないのだ。

 冥夜様には能力がありすぎるのだ。鷹は鳥篭で飼うことはできない――。
 その翼は飛ぶことを求める――。

 自分の失態にこれほど腹がたったことはない。
 今すぐにでも容疑者の所に殴りこみをかけたい気持ちで一杯だった。
 一刻でも早く、冥夜様のお姿を確認したかった。

 はやる気持ちが表情にでてしまっていたのであろう。
 御剣の老公が私に諭すように話かけてきた。

 「大丈夫……。あの子は強運の子だ。何も心配することはない」

 暖炉の火を眺めながら老公はゆっくりと語っていた。

 「……老公」

 この一件が漏れれば、当然、御剣家も取り潰しの危機を迎えることになる。
 そうなれば祖先の功績を全て潰してしまうことになるのだから、およそ武門の人間にとってこれほど恥じるべきことはない。
 
 私には老人の余裕の意味がわからなかった。
 本当に運の強い子なのだよ――。老人はそう繰り返した。

 「あの子を引き取った時の話は月詠殿にはまだしていなかったな……? 」

 老人の視点は暖炉の火から離れることはなかった。
 まるでその炎に、その日の光景が映し出されているかのように老人は話し始めた。

 「……もう十五年以上も昔になる。あの頃の私は煌武院家の血族として中央で働いていた」

 「……」

 「……それと同時に、いくつもの事業を経営し、政治的な発言力もかなりのものがあった……。子供がいないのが残念ではあったがの……」

 噂でしか聞いたことはなかった。私が政治に興味を持ち始めた頃には、老人はすでに中央から身を引いていた。事業にも失敗したと聞いていた。

 「御台所様ご出産の時、私は帝都城にいた――。双子を出産されると知っていたのはわずかな人間だけだった。私もその一人――」

 老人はなんだか少しばかり嬉しそうだった。

 「私は将軍閣下がまだお若い頃、守り役をしていてな――。アイツが御台所様と知り合ったのは私のおかげなのだよ」

 初めて耳にした話だった。
 老人は含み笑いしながら、アイツも今じゃ、偉そうにしてるがね――と言った。
 老人は暖炉の火にむかって話し続けた。優しい眼をしていた。

 「珠のように美しい子だった――。本当に綺麗な子でな、誰もが祝福をせざるを得ないような子だった。二人とも元気に泣いていた……。だが、その横で御台所様の表情は優れなかった……」

 ――そうだろう。御台所様からしてみれば、来るべき時が来てしまったという気持ちなのだろう。

 御台所様の心中をお察しすると堪らないものがある。
 老人も難しい表情を浮かべていた。
 だが何故、老人は今、この話を私に聞かせるのだろうか?

 「もちろん、煌武院家の仕来りは私も知っていた……。その赤子のどちらかが封じられねばならない、ということはな……」

 「……老公」

 「……そうすべきではないと思ったのだ。この素晴らしい可能性を封じていいはずがない……。私はそう思った」

 「……」

 「……だから私は願い出た――。御子様を引き取らせて欲しいとな……」

 「――!? 」

 聞いていた話とは違っている。たまたま後継者のいない没落していた家に放り込んだと聞いていたのだ。

 「――もちろん、側近たちは皆、反対した。将来の将軍と同格の者を一武家に預けては、必ず将来の禍根になる、と――」

 「……」

 「……彼等の言い分は解る――。外戚どころの騒ぎではない。将軍になる資格を持つ者を他家に取り込まれると思ったのであろう……」

 それは戦乱の火種にしかならない。五摂家や譜代の混乱の様が目に浮かぶようだった。

 「――言ってやったのだよ。……事業は全て処分する。御前会議にも二度と出席しない。隠棲し閣下の前にも参上することは永久にしないとね――」

 老人は笑った。まるでそのことが本当に誇らしい出来事だったかのような顔をしていた。

 「皆、驚いていたな……。妻にも相談せずにその場で事業を全て売り払い、公職の辞表を全部まとめて書いてやった――」

 老人はもう一度、瞳を閉じた。

 「妻は石女だったゆえ――、一族からは色々と言われていたらしい。……だがそのお蔭であの子を持ち帰る機会を得た」

 老公の細君は物静かな方だった。慎み深くお優しい方なのは私もよく知っていた。 
 
 「……楽しかった。孫と言っても差し支えないほどの子ではあるが、私たちは彼女を自分たちの娘として扱った。自分が武人としてではなく、初めて人間として生きた気がした」

 ――冥夜様に人間にして頂いた……?

 「……時々、あの子がここにくることは、ずっと前から決まっていたのではないかと思うことがある――。あの子のために我が家は席を空けて待っていたのだとね」

 運の強い子だよ――。老公はそう呟いて再び目を瞑った。
 それから何かを思い出したかのように微笑むと私にむかってこう言った。

 「――おまけに帝国最高の女剣士が鍛え上げてくれた娘だよ。これくらいのことで、どうにかなるとは私には思えんね」




 神代から連絡があったのは、それから約二十分後であった。

 冥夜様の無事と――、冥夜様が犯人たちを捕らえたということだった。












 港湾地区の廃工場に彼女はいた。

 七人の人間が縛られ床に転がされている。
 三人組とその一門に連なる者が二十名ほどいて、その中には神代たちの父親の姿も見えた。

 挨拶を交わし礼を言う。
 表だって恩賞を与えることはできぬが、礼は必ずする――。
 私がそう告げると彼等は逆に、娘たちの失態を見逃して頂けるだけでもありがたい――、と言った。

 冥夜様は――、落ち着いていた。その様子を見て、私は思わず安堵のため息をついてしまった。

 「冥夜様。ご無事でございますか? 」

 「月詠、心配をかけたな――」

 冥夜様は怪我一つなく、その様子は私を喜ばせた。気が抜けたと言ってもいいだろう。
 だが同時に、無傷で制圧できたということは違う可能性があることも示唆していた。

 敵の背景は冥夜様から聞くことができた。某国の犬と呼ばれる小国のスパイの企みだったらしい。
 彼等に冥夜様の存在を伝えた黒幕は掴めなかったが、とりあえず犯人一味が日本人でなかったことに私は休心していた。

 だが私にはこれから重大な確認作業が待っているのだ。

 私は冥夜様の行動を問わなければならない。

 強引に拉致されたのか――?
 騙されてついていってしまったのか――?
 それとも、相手の言葉に賛同してしまったのか――?

 緊張が背中を登ってくる。

 「冥夜様は、これが何者かの企みであるとお気づきになられなかったのでしょうか――? それとも気付いた上で連れ出されてしまったのでしょうか? 」

 「……気付いていた……、のだと思う……」

 「……では、何故――? 勝手に屋敷を離れることは厳禁されていたはずです……。その場で取り押さえることもできたのではないでしょうか? 」

 「――母上が会いたがっていると言われたのだ……」

 ――……これでは彼女を許すことはできない。この方は自分の望みを持ってはいけない方なのだ。

 彼女には同情できるが理由は関係ないのだ。自らの意思で動いたということが問題なのだ。
 自らの望みを持ち、それを叶えようとして行動したのならば――。

 私は取り決めに従い――。

 彼女を処分しなければならない。

 「……お会いしたかったのですか……? 」

 呟くようにしか声がでない。

 彼女はしばらく黙っていた。

 私にはそれが彼女の肯定の意を表しているように見えて――、その時が来てしまった場合の覚悟を決めなければならなかった。

 「会いたい気持ちはある……」

 「では――……」

 ――ご不満なのでしょうか?

 もし、わずかでもそう思う気配があるのならば――。

 私はこの方を誅殺せねばならない。
 私は刀の鯉口にそっと手を伸ばした。私は自分が震えていることに気付いた。

 「辛いと思うのだ……」

 「……」

 「子に会えぬ親と言うのは――」

 「……!? 」

 私の心に大太刀が打ち込まれた。

 「腹を痛めて産んだ我が子に会いたいのは当たり前であろう。……しかし、それをしてしまっては、この国のために良くない――。そう理性で考え感情を押し殺すのは、どれほど辛いことであろうか……」

 「……」

 「叶う事ならば冥夜は元気に育ちましたと伝えたいものだが……。だが、それは許される事ではないであろう……」

 「……」

 「連中は御台所様の言葉を騙ったのだ――。絶対に御台所様が語らないであろう言葉を語ったのだ。……だから騙されたフリをしてやったのだ。御台所様の心を騙り、殿下の行く道を邪魔するものを成敗してやろうと――。……心配をかけた。許すが良い――」

 ――あぁ……。

 ――この方は私とは違う。

 この方はやはりあの御方の妹君だ――。

 自分のことではない。相手のためを思い行動したのだ。自分の望みではなく、将軍家とこの国の民のために――。

 真実――。

 ――その魂まで双子なのであろう。 

 自然と膝が折れ、私は頭を垂れていた。

 「どうした? ……月詠? 」

 冥夜様は何があったのかわからない様子で私に問いかけてきた。

 「――心服つかまつりました」

 「……? 」

 「これより我が身命尽き果てるまで御身に捧げまするゆえ、これまでの無礼の次第、何卒お許し頂きたく……」

 「待て、月詠。……何の事だ? そなたの忠誠には常に満足している――」

 もったいないお言葉だ。
 自らの不明を晴らすわけでもなく、ただ状況に流されるだけであった者に対し掛けて頂ける言葉ではない。

 「冥夜様こそ、我が主として相応しい方として改めて心服いたしました次第であります――」

 「そ、そうか――? 」

 まだ理解できてないのであろう。少し恥ずかしげに冥夜様は返事をされた。






 その日から冥夜様と私の関係は変わった。私は心から冥夜様にお使えし共に汗を流し研鑽を重ねた。

 例え、その輝きが発せられる機会が、この先一度も与えられることがなかったとしても――、この掌中の珠を極限まで磨きあげることを許されたのは、無上の喜びであるのだから。

 私は夢を見ていたのだ――。
 いつの日か、全てのしがらみから解き放たれた冥夜様と、ともに剣を振るい戦場を駆け抜けることを――。
 彼女の剣となって戦うことのできる日々を――。


 
 その後の一年にも満たない時間が、私たちにとって最良の時間であったことは言うまでもない。

 三人組は、まるでその祖が忍であるというよりは道化であったかのように振る舞い、私たちをおおいに笑わせ楽しませてくれた。

 冥夜様は三本に一本は私から確実に取れるようになっていて、その成長は私を狂喜させた。
 同時に師から免許を皆伝され、それを祝して一振りの剣が師より冥夜様に与えられた。

 私はその剣の真の送り主を知っていたが、冥夜様にはあえて何も告げなかった。
 送り主もそれを望むであろうことは明白だったからだ。

 いずれにせよ、私が剣で冥夜様の上にいられるのも、あと二~三年が限界であろう。

 それは決して悪い気分ではない。

 御剣の老夫妻に見守られながら、厳しいながらも楽しい――、夢のような時間を私たちは過ごしていた。
 











 国連軍の衛士訓練校に入校することになったのは、日本政府の意向であったが、その要請は彼女の意に沿っていた。
 なによりも彼女はその武をもって、臣民に奉仕することを望んでいたのだ。

 もとより冥夜様は帝国軍に入隊が許されるような存在ではない。
 
 事実上の人質とはいえ、臣民のために戦うことが許されたのが嬉しいのであろう。
 冥夜様は入校の要請を二つ返事で引き受けた。
 
 私は冥夜様についていくことを決めていた。
 特別扱いを望まぬ冥夜様からは、やんわりと断りの言葉を頂戴したが、私はあえてそれを無視した。

 真耶を通し殿下に上奏する。
 冥夜様が気付いた時には、すでに我が第19独立警護小隊は極東国連軍横浜基地にて新しい任務に従事することが決定していた。

 すなわち――、御剣 冥夜訓練兵の身辺警護である。

 冥夜様は最後まで抵抗していたが、御剣の老夫妻の言葉もあって結局はシブシブとそれを認めてくれた。






 これも何かの縁であろう――。横浜基地で冥夜様と同じ隊に配属された彼女たちの父親の全てと、私には面識があった。

 帝都城でもよく見かけた首相。
 殿下の講師の一人であった将官。
 国連事務次官。
 帝国情報省一の切れ者。

 その娘たちが冥夜様の良き友として傍にいてくれている。いずれの者も誠実で素晴らしい若者だった。
 冥夜様にこれほどの友人ができたことを心から祝福したい。

 ただ、中でも特筆すべきなのは彼の存在であろう。

 白銀 武。

 XM3を開発し、私でも舌をまくほどの腕前の衛士。
 
 彼の背景はいまだに掴めてはいない。
 香月博士に隠蔽されてしまった現在、判明することもないだろう。そして探る意味も――、もはやない。

 冥夜様の存在を脅かす者として見ていたのも昔の話だ。
 今では彼が冥夜様の近くにいてくれることをありがたく思う。

 一流の衛士として、信頼のおける仲間として、そして――、冥夜様の想い人として。

 残念ながら冥夜様が誰かと結ばれるということは、現実的には許されることはないであろう。 

 だがどんな仕来りがあるにせよ、心の中は自由だ。
 冥夜様が誰にどんな想いを寄せようとも、私には報告の義務はない。

 そして愛する者の傍にいられるという喜び。
 これを邪魔するつもりは毛頭ない。






 すでに私の望みは叶った。

 一時のこととはいえども、私は彼女の剣として戦うことができた。
 鍛え上げたこの剣を、剣友とともに思う存分、振るうことができたのだ。
 三人組も同様であろう。
 横浜の地獄のなかで私たちだけは歓喜に打ち震えていた。
 
 私たちは報われた。

 ――もはや思い残すことは何もない。

 
 冥夜様たちはこれから最大の戦いに臨むことになる。
 支援もなく撤退も許されることのない究極の孤立戦だ。

 同行し、ともに戦いたいという想いが湧き上がってくるのは隠しようのない事実だ。

 だが、彼女と私の立っている場所は今はもう遠く離れてしまっている。
 もはや私が彼女に協力できることは、ほとんどないのだ。

 それでも――。
 この身をもってできることの全てを彼女のためにしてやりたい。
 我が身命尽き果てるまで御身に捧げる――、私はそう誓ったのだから。





 ――それを行うことは帝国臣民に対する裏切り以外のなにものでもない。

 だが、この機体を提供することで、彼女の任務の成功率と生還の確率がわずかにでも上がるのならば私はそうするつもりだった。

 帝国の臣民の血税で作られた貴重な機体である。
 家を失い、家族を失った臣民が納めてくれた税金で建造された大切な機体だ。

 一介の士官が自らの判断で他者に貸与してよいものではない。

 その戒めを破るものには、死をもって罪を贖うことを求められるだろう。

 死刑――、もしくは軍籍剥奪の上の禁固刑。自害は許されず、家名が断絶される恐れすらある。

 祖先と両親に頭を下げたとて、到底、許して頂ける話ではない。

 今、私はそれを行おうとしている。

 ――三人組のことも止めようとは思わない。

 彼女たちも私と同じ気持ちであろうし、一緒に死んでくれ、と言われることがどれほど嬉しいことか私にはわかるのだ。

 だからこそ武御雷を受け取ることが私たちの死刑執行許可証にサインすることだとは、冥夜様に気取られてはいけない。

 幸いなことに私は嘘やハッタリが得意だ。
 殿下と共に受けさせて頂いた教育の賜物だ。
 露見せずに嘘を吐き通す自信はある。

 ――……いや、違うな。

 私はまたも冥夜様を見縊っていたことを反省した。

 嘘をつく必要はないかもしれない。

 今の冥夜様ならその全てを理解したうえで、何も言わずに武御雷を受け取るであろう。
 私や三人組の生死、そして帝国臣民の財産を侵害することを全て承知したうえでもなお、黙って受け取るに違いない。

 なぜならそれは――。

 帝王の覚悟だからだ。

 私は二人の帝王にお仕えすることができたことを心底、誇りに思う。


 

 振り返って考えれば、殿下は本当に大切なものを冥夜様に下賜され続けていた。

 煌武院家に代々継がれてきた神剣 皆琉神威。
 将軍専用の紫の武御雷。

 そこに私自身を加えても良いと思ってしまったのは、私の思い上がりだろうか――?

 いずれにせよ、これは運命だったのだ。

 悠陽様を明るい日のもとで歩ませるために、冥夜様が暗い夜の道を行くことを言霊によって定めたというのならば、私が冥夜様と共に歩むことは最初から決まっていたのであろう。

 なぜなら――。







 我が名は月詠――。

 月は冥い夜にありて道を照らすもの――。


 

 
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