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Muv-Luv SS脇役 月詠真那の場合

2001年12月28日 横浜基地


 ――もはや思い残すことは何もない。

 
 冥夜様たちはこれから最大の戦いに臨むことになる。
 支援もなく撤退も許されることのない究極の孤立戦だ。

 同行し、ともに戦いたいという想いが湧き上がってくるのは隠しようのない事実だ。

 だが、彼女と私の立っている場所は今はもう遠く離れてしまっている。
 もはや私が彼女に協力できることは、ほとんどないのだ。

 それでも――。
 この身をもってできることの全てを彼女のためにしてやりたい。
 我が身命尽き果てるまで御身に捧げる――、私はそう誓ったのだから。




 ――人は皆、何かに寄って立っている。
 
 ある者にとってはそれが、聖書であり、仏典であり、聖典であるのであろう。
 ある者にとってはそれが、家族であり、友人であり、恋人であるのであろう。

 多分、人は自分のために生きているのではない。
 自分を支えてくれる――、何か貴重なもののために、自分の身を賭けることで人は生存しているのだ。
 
 人は皆、そんな何かを手にいれるために苦しみながら生きているのかもしれない。

 幸いにも私は貴重な何かを見つけることができた。
 





 ――私は彼女の剣になりたかった。







 











 私の祖母は昔語りをするのが上手だった。
日当たりのよい祖母の部屋で膝の上に抱かれながら聞かされた数々の物語は、私という人間の根に確実に存在し、その土壌から私という樹木は枝葉を伸ばしているのは紛れもない事実であろう。

 私の祖先は末席ではあるが、戦国の世に描かれたという『煌武院二十四将図』にも記載されている武将であった。
 少し詳しい資料であれば我が家の系図も掲載されている。五摂家には遠く及ばないが――、いわゆる名家だ。

 祖母はそうした先祖の活躍を誇っていて、それを私に語るのを好んだ。
 私のほうも斯衛の仕事に従事する父や、社交界を忙しく飛び回る母といるより祖母といることを望んだ。

 祖母の寝所を訪れ、祖母の寝床に潜り込み、祖母の話を子守唄にして眠る。
 まるで庶民の子のような、はしたない振る舞いではあるが私はそれが大好きだった。

 祖母は何百年も昔の話であるのにもかかわらず、まるで祖母自身の目で見、その耳で聞いてきたかのように私に語るのだ。

 名槍『熊貫』を振るい狭瀬川の戦いで獅子奮迅の活躍をした月詠 次郎三郎。
 妹川の戦いで殿軍を務め、主を守り散っていった月詠 雪乃介。

 私は祖母の語る武家物語に、幼い心を燃え高ぶらせながら育っていった。主に忠節を尽くし民を労わる英雄たちの活躍に、己の理想を見ていたのかもしれない。

 自分もいつか先祖に負けることのない、立派な武人になることを夢見て――。








 先の敗戦により我が国の華族制度は崩壊していたが、その残滓はいたるところに存在した。
 
 現に私の通った幼年学校は一般人の入学は認めず、武家の子弟のみが通えるところであり、またその制服も厳格に色分けされていた。
 大多数の人間が黄色や白い制服を着用するなか、私に与えられた制服は赤であった。
 また校内では時折、青い制服を纏っている者の姿も見かけることが出来た。

 その色がそのまま絶対的な身分の差であったことを知るのは後々の話にはなるのだが、如何せん当時は私も子供だったゆえ、色の違いなどは、さして気にもせず日々を送っていた。

 武家出身者専用の幼年学校はそのカリキュラムが一般人の通うそれとは著しく違う。
 基本的に寄宿生活であり早朝から武道の稽古などを行い、生徒を一人前の武人とすべく教育するのだ。

 いずれ先頭に立ち戦場へ向かわねばならぬ血筋の子として、我々に甘い教育が施されることはなかった。
 まだ幼い子供たちばかりだというのに授業は厳しく、何年かに何人かは授業中に命を落とす者すらいた――。
 その中で私は教育を受け、そして鍛え上げられていった。

 客観的に見て――、私の能力は他の者に勝っていたと思う。
 
 剣技は他者に遅れることは一度もなく、学問においても幼年学校で私に並ぶ者は滅多にいなかった。
 唯一、ついてこれた者といえば同じ赤い制服を纏う従姉妹の真耶だけだったが、彼女にも私は剣で後塵を拝したことは一度もなかった。

 私は努力していたのだ。いつかは祖母の語ってくれた昔語りの武人のようになるのだ、と――。

 だが残念なことに、私は年次代表生徒には一度もなれなかった。

 同い年に五摂家の縁者――、青を纏う者がいたためだった。

 高貴なる者の血統の務めとして彼も努力はしていて、その能力は私に肉迫するものであったが、それでも私は彼に譲ることは一度もなかった。
 本来であれば私が年次代表となるはずであったが――、慣例というものに私は勝てなかった。

 私が教師たちに抗議したことは言うまでもない。
 だが結果としてそれが聞き入られることはなく、かえって身分を解せぬ愚か者の誹りを受けることとなった。
 私にとって満足のいく結果ではなかったが、これ以上は無駄と悟り、私は自説を引込めることにした。

 だからといって釈然としない思いを振り切れるほど、私は大人だったわけではない。――その捌け口として私は、より一層、剣の修行に打ち込んだ。

 
 剣は嘘をつかない。
 強い者が勝ち、弱い者が負ける。
 そこには贔屓もなければ慣例もないのだから。

 増長慢心と言われる覚悟で告白しよう。
 私には間違いなく剣術の才能があった。
 余人には自暴自棄にも見えかねない荒行を繰り返し、私は次々とその極意を身に付けていった。
 厳しい修行の結果、私はいくつかの剣術の大会で優秀な成績を収め、私の名は麒麟児として全国に轟いた。









 帝都城へ登城せよ、との案内があったのはこの頃だった。
 それまでにも帝都城へ覗う機会はあったのだが、私が何かと理由をつけ断ってきていたのだった。
 
 父はその理由を何度も私に聞いたが、私は答えをはぐらかしていた。
 言えるはずもあるまい――。
 将来、剣を捧げるべき相手が、万が一にでも、つまらない人間であったらと思うと怖ろしくて会いにいけない――、などと思っていたことは。

 そんな話を斯衛である父にはできようはずもなかった。

 我ながら傲岸不遜の考えを持ってしまったものだ。
 もっともその思いを抱いたことを、後に私は非常に恥じることとなるのだが――。








 帝都城からの誘いを断れなくなってしまった理由は簡単だった。
 陛下からの招きであれば若輩なことを理由に学校にでも籠もっていれば、いくらでも誤魔化しようがあったのだが、ある日、私に届けられた招待状は送り手がいつもと違っていた。

 丁寧ではあるが、まだ幼さを感じさせる文字で書かれたその手紙は――、なんと将軍の継嗣であられる煌武院悠陽殿下直筆の招待状だったのだ。

 内容はごく簡単なもので――、私の噂をよく耳にしていること。会って話がしてみたいということ。できれば友達になってくれれば嬉しい――。

 そこにはそう書かれていた。

 これには辟易した。

 陛下からの誘いとは違い、己の未熟を盾に断るわけにもいかないように思えたのだ。
 慌てて父に相談すると、父はこう語ってくれた。

 ――以前から殿下に友人を作ってやりたいとの意向が将軍陛下にあったこと。
 ――武家の子弟が何人か紹介されたが、殿下にはご満足頂けなかったということ。
 ――私の噂を殿下が聞きつけたこと。
 ――紹介してくれるようにと殿下が父に頼んだということ。
 ――父親の説得を聞く娘ではない、と殿下に申し上げたところ、それならばと殿下が自ら書をしたためたこと。

 ここまでお膳立てされてしまっては、もはやマナ板の上の鯉だ――。
 私は大人しく帝都城へ拝趨することにした。










 「そなたが月詠か――? 」

 鈴の音のような声。自然と耳に転がり込み、人の心を浮き立たせるような響き。
 顔を上げ正面におわす殿下のご尊顔を拝す。

 夜の闇を静かに閉じ込めたかのような黒髪。
 一点の穢れすらない白い肌。
 そして覗き込んでしまった人々の心を掴んで離すことのない瞳。
 私は一瞬にして殿下に心を奪われていた。

 神の子の降臨に立ち会ってしまった三賢者たちもかくや――、との思い。

 なぜもっと早くに拝謁に伺わなかったのだろう。

 この方ならば――。
 
 私が剣を捧げるべき存在になりえる方なのかもしれない。
 ほとんど会話すらしていないのに、私は本能的にそう予感した。

 ――だが、年少の人間に圧倒されることを良しとしなかった、私の浅ましい心のなせる業なのだろう。
 その頃までには、すっかり捻くれてしまった私の理性がそれを素直に認めるのをどこかで拒んでいた。
 
 一言の会話を交わすだけでも魅かれていく自分の心をなんとか押し止め、私は自分のプライドを守るため、密かに殿下に反攻することを考えていた。

 殿下の私室に案内され殿下との謁見中に、私は手刀で殿下に打ち込むタイミングを計ってみる。
 もちろん本気で撃ちこむつもりは毛頭ない。あくまでも空想だ。殿下の隙を見出す暗い戯れだ。

 ただ――、剣術で他人より秀でたることは、私の自尊心を支えてくれたものなのだ。
 周りがいくら、青を盛り立てようとも私の心の中では彼は私に劣る存在だったのだ。
 私は殿下の前で圧倒され卑屈になっていく自分の心をそれで支えようとした。


 不思議なことが起きた――。
 私がその内圧を高め、いまなら打ち込めると判断しようとすると、その瞬間に限って殿下は間を外されるのだ。

 最初は偶然かと思った。

 だが、二度、三度とそれを繰り返すうちに、私はこれがけっして偶然ではないということに気付いた。
 あげくの果て――。

 「月詠は――、どうやら頼りにできる剣士のようですね」

 殿下にそう言われてしまってはもはや、なす術はなくなってしまった。
 私のやましい考えなど、殿下はとっくの昔にお気づきだったのだ――。気付いた上で、何も言わずに私と会話をしていたのだ。

 殿下は私を咎めようとはしなかった。ただ微笑んでいるだけだった。

 ――私は負けたのだ。

 私よりも一回りも年下の少女に全てを見抜かれていたのだ。

 だがそれはいっそ清々しい出来事だった。


 私は自分が何を求めていたのかを改めて自覚した。
 私は相手が欲しかったのだ。
 
 私の全てを捧げるにたる絶対的な君主。
 私という名の暴力を繋ぎ止める者。
 理想の王。

 予感が確信へと変わっていくのに、それほど時間はかからなかった。
 
 





 私は学校に通いながら、殿下のお傍付きとして帝都城へ拝趨する日々が続いた。

 殿下はいずれ武家の総領たる身になられる御方。あらゆる学問や武術をその身に極めなくてはならない。
 その相手役として私が選ばれたのだ。

 大任である。当然ながら、私独りでお受けできるような仕事ではない。
 何人かの人間が交替で、私と同じ仕事をしていたが、殿下は私のことをいたくお気に召して頂いたようで、自然と私がお相手をさせて頂く機会が多くなっていった。
 殿下の剣術の練習相手となり、殿下とともに講義に耳を傾ける。

 その講義の内容は、いわゆる帝王学というものだった。恐悦ではあるが私は殿下の学友となってしまったのだ。
 
 それは私にとっても充実した日々だった。
 

 斯衛の候補生として人心掌握術や部下の管理方法などは授業に取り組まれていたが、殿下の学ぶそれは私の教わったものとは違っていた。

 講師役の将官はなかなか洒脱な人物で、戦史や戦術論を説く合間に脱線と称して、虚実を交えた交渉術などを語るのだった。

 言葉を言い換えれば、嘘やハッタリを使い、いかにして自分の望みを通しきるか、などということを講義の中に挟んでくるのだ。
 その講義は私にとっても興味を引くものではあったが、冷静に考えれば軍の将官が説いてよい話ではないだろう――。

 殿下は――、講義の内容を正確に把握し、またその実践もお上手であったが、その講義の内容自体はあまりお気に召していない様子であった。
 おそらく殿下の生来の善良さが、嘘を使ってまでも交渉を有利に進めようとすることを許さぬのだろう。
 しかし殿下は理性をもって、御自身の感情をお鎮めされ素直な態度で講義に耳を傾けていらっしゃった。

 ある日、その将官は言った。

 「嘘を付いたり駆け引きをすることが悪いことではないのです。嘘もつけず駆け引きもできないことこそ悪なのです」

 解りにくい独特のユーモアを持つ男であったが、講義は楽しかった。
 様々な状況、様々な立場での役を演じながら、己の要求を相手にどれだけ飲ませることができるか交渉する、などというゲームじみたことまで講義では行われた。
 殿下が時折、近侍たちに対して黒い冗談を言うようになった原因は、案外ここにあるのかもしれない。



 ――後年、彼は己の真情に乗っ取り重大な軍規違反をした。

 彼のことをよく知る私にはさもありなん、と思えた出来事だったが、この事件は殿下の御心を大層苦しめた。
 言うまでもなく殿下の心は彼と同じ民衆側にあったのだが、一軍を率いる将としての立場では、たとえ恩師といえども命令違反を看過することはできない。
 殿下はその御心とは裏腹に、厳しい処分を下すことになったのだ。

 彼の銃殺が執行された夜、殿下は私室に誰もいれなかった。
 





 私は殿下とともに様々なことを経験していった。ある時、殿下の外遊に私が供を務めさせて頂いたことがあった。

 将軍の代行ということで各国を廻る殿下に、面会を求める要人が余りにも多くスケジュールは過密していた。
 私の同行はもちろん護衛という意味合いが強く安全対策上、面会を求める者たちの名前と顔を一致させる必要があったのだが、これには一苦労があった。

 当然ながら各国の首脳や、財界の有力者と会談される殿下の苦労は私の比ではないだろう。
 だが殿下は愚痴のひとつも溢さずに、全ての責務をしっかりと果たされていた。 

 その日の予定を全て終えたのは、零時を少し越えていた。
 朝の七時から客人応対をしていた殿下には、その時間までに十分間の休みが二度あっただけだった。
 あきらかに外務省の調整ミスである。
 国に帰ったら、私は担当者を怒鳴り散らしてやるつもりだった。

 殿下をお部屋までお送りし、その別れ際に流石の殿下もため息をつかれてしまったのを私は耳にしてしまった。

 「――お疲れでございますね」

 何の気なしにそう尋ねた。

 「疲れてなどおりませぬ――」

 苛立ちの混じった強い声――。
 殿下が声を荒げられることは滅多にない。殿下もご自身で驚かれている様子であった。
 
 「……許すがよい」

 それから殿下は、少し話につきあうように――、と仰り私を部屋に呼び入れた。

 部屋の中で殿下はソファーに腰掛け、しばしの間、沈黙していた。それから何かを思い出すように、ゆっくりと話を始めた。

 「……今日、お会いしたマレル大佐の言葉が頭から離れなかったのです」

 その人物は中央アジアの小国の亡命政府の代表だった。中国にほど近いその国はBETA大戦の初期のうちに国が滅んでいる。
 そういった国は無数にあって、それぞれの国の亡命政府が国連や有力国を頼り、難民の受け入れや国土の回復のための派兵要請をするのは、今ではそう珍しい話ではない。
 今回の会談の大半がそれだった。
 私は殿下とマレル大佐の会談は傍聴していなかったが、そこで何かあったのだろうか――?

 「……彼の国は、大戦初期に中国との兼ね合いから議会が混乱し、それで軍の対応が後手に回ってしまったとのことでした――」

 それは私も知っていた。当時の複雑な政治情勢と絡んで、多くの国が米国軍や国連軍の介入を拒み、その結果、戦線を支えられずに崩壊していった。

 「……大佐は何度も軍本部と議会に要請したらしいのです。くだらないプライドを捨てて国連軍と米国軍に援助を求めろ、と……」

 前線の指揮官と後方の政治家の見解がまるで違う――。よく耳にする話だ。

 「……ですが議会は動きませんでした……。その結果、多くの住民が犠牲になり……大佐の国は……」

 殿下は感受性が強くいらっしゃる。きっと民衆の苦労を思いやって、その胸を痛めていらっしゃるのであろう――。
 殿下は目を瞑られていた。それからゆっくりと瞳を開けると窓の外の月を見ながら話を続けられた。

 「大佐は言いました――。民のためにクーデターを起こし、政権を乗っ取れば良かった。そうすれば何かできたはずだ。……その勇気が自分になかったことを恥じている――」

 その言葉は見過ごせなかった。
 現在、我が帝国は戦前とは違い将軍親政ではない。
 政治はあくまでも議会が中心であり、将軍の権限は大幅に縮小されている。
 マレル大佐の言葉はある意味で不穏なことをけしかけているニュアンスがある。
 私が傍聴していれば、非礼を承知で口を挟んだかもしれない。

 「……私はとっさに返事をすることができませんでした」

 「恐れながら申し上げます――。殿下、それは無理もないことかと……」

 「違うのです、月詠――」

 再び殿下は声を荒げた。

 「……マレル大佐はその言葉を言った時、私を観察していました。――どうだ? できるのか? お前にその覚悟が本当にあるのか、と――」

 ――!?

 「民のためにならば議会を無視し、強権を発動してでも何かをする気概があるのか――? ……あの目は私という人間を測ろうとしておりました」

 「……」

 「……私は彼の言葉に呑まれてしまった。為政者は時に辛い選択をしなければいけないことを私は理解していたつもりでした――」

 「殿下……」

 「ですが、その覚悟がまだ足りていなかった――。私は即答できなかった。しかもそれを他人に見抜かれてしまった。……これでは将軍代行としては失格です」

 「しかし……、殿下、それは……」

 「……月詠。私には他人に弱みを見せることは許されておりませぬ。悪鬼羅刹、暴君、外道と呼ばれ百世に渡って悪名を轟かそうとも、自分がやらねばならないと本当に思ったことは必ず実行せねばならないのです」

 「……殿下」

 「そこに躊躇いがあってはいけないのです。私が弱みを見せるということは、ひいては日本という国が見縊られることにつながります。ですから……それは決して見せてはいけないのです」

 余りにも悲しい言葉だった。
 殿下の才の輝きに目が眩み気付けなかったが、彼女とて一人の人間なのである。
 まだ十代の娘なのだ。その娘がその身の全てを日本という国に捧げている。

 自分の名誉や喜びを捨ててでも、国のためになることは何でもすると私に告白しているのだ。
 そして自分が即答できなかったことを心の底から羞じている。

 それは帝王の覚悟だ。

 近い将来、彼女に与えられる権限というものは、以前に比べ制限されているとはいえ巨大なものだ。
 そしてそれに伴う責任も――。
 殿下のお言葉の一つで、何万人、いや何十万人もの生死が決まることもあるだろう。
 それを全て背負った上で超然としていなければならないのだ。個人の幸せを全て捨ててまでも――。

 まさに余人にこなせる責務ではない。全てを国に捧げた高貴なる奴隷だ。

 人の能力は血統のみで決まるものではない。自分をどう育てていくかによって変わるのだ。
 それが真実であることを、私はよく理解しているつもりだ。

 だが――、この世の中にはそれを超越した人間がいるということも事実だ。
 殿下が受けられてきた教育や、負わされてきた責任というものを、仮に私という容器に注いだとしたら、私という器はそれに耐え切れず自壊してしまうであろう。

 およそ一人の人間が耐えられるはずもない重圧を受けてなお折れ曲がることなく、殿下はまっすぐに天に向かって成長していった。
 これが帝王たる者の資質である。
 だからこそ私は殿下に仕えたいのだ。

 私は彼女を守ってやりたかった。
 あらゆる重圧や身の危険――。彼女を傷付けようとする全てから彼女を守りたかった。

 そう――。
 私は彼女の盾になりたかった。











 殿下からその話を聞いたのはいつ頃だったであろうか?
 ――よく憶えていない。多分、殿下にお仕えするようになってから一年は過ぎていたとは思う。
 憶えているのは従姉妹の真耶が同席していたことだけだ。
 何かのきっかけで話題が家族のことになったのだ。
 殿下が何か思いつめられた表情をされていたので、私が話すように促したのだ。
 その時に殿下が突然仰られた言葉は忘れられない。

 私には妹がいる――。

 殿下の表情さえ見ていなければ、悪い冗談としか受け取らなかったであろう。

 殿下は将軍家の一子とされている。

 もとより煌武院家の相続は厳格に定められていて、兄弟がいるからといって均等には分配されない。
 そして朱子学の影響を受けた長子相続でもなければ、騎馬民族のような末子相続でもない。
 当主が子供の能力を計り、後継者を指名するという法則を代々貫いてきている。

 ――だから仮に殿下に妹がいたところでさほど問題にはされないはずなのだ。

 殿下の英明たること百代に一人と称されるほどで、仮に妹君が実在したとしても殿下の敵になるほどの者とは思えない。
 むしろ殿下の血縁として忠実な部下になる。その存在を隠す意味などまるでないはずだ。
 私にはそうとしか思えなかった。

 「真那、真耶。そなた達、二人には憶えていて欲しいのです……。私には双子の妹がいます」

 双子――。

 なんということだろう。
 継嗣の誕生という慶事も、その一言が上乗せされただけで呪われた出来事になってしまう。
 権力者にとって双子というのは不吉の象徴ほかならないのだ。

 古来より、この国は畜生腹といって双子の誕生を敬遠してきた。
 もちろんそこには科学的根拠などまるでなく、庶民の生活においては、もはや何の問題にもされていない。

 だが権力者の血統においてはそれは禁忌なのだ。
 兄弟であれ姉妹であれ、子供たちの中に能力差があれば――、当主は冷酷に判断し後継たる者を選別できる。
 だが、双子はそれが極端に難しいのだ。

 私の知るところでは煌武院家の長い歴史の中で双子が誕生したことは二度あった。
 一度目は、兄弟相争う戦乱となり、あやうく家が絶える寸前までいったらしい。

 これはまだ煌武院家が地方の小豪族であった頃の話になるので、一線級の歴史学者か相当詳しく研究したことのある者でなければ知られていない事実だ。
 私がたまたま知っているのは在野の歴史家であった祖母のおかげだ。

 そして二度目の双子が誕生した時、煌武院家は同じ過ちを繰り返さなかったという。
 ――赤子のうちに片割れを封印したのだ。
 








 対BETA戦線は後退を続け、我が国でも徴兵年齢の引き下げが決まり、大人たちは忙しく動いていた。
 すでに中国が陥落するのは時間の問題という風潮は強くあって、それに異議を挟む者は少なかった。
 中国が落ちれば戦場は日本本土になる――。その思いは帝国臣民なら誰もが抱いていて、国全体が臨戦態勢に入り世間には緊張感が漂い始めていた。
 
 私は優秀な成績で学校を卒業し、晴れて帝国斯衛軍に入隊した。
 卒業の日、卒業生代表になったのは、やはり青を纏った例の男だったが私は特に気にしなくなっていた。
 
 ただ彼の方は気にしていたようで、式典の後、私は彼に呼び出され、彼から謝罪と礼の言葉を頂戴することになった。

 ――ありがとう。君のおかげで私は敗北を学べた。

 彼もやはり武人なのであろう。
 彼のその態度には見習うべきところがあると私は感じた。

 斯衛といっても私の立場は特殊で、殿下専属の護衛の一人というものだった。
 私は一層、精進した。殿下の付き人として他者に劣るわけにはいかなかったのだ。

 斯衛のなかでも黒を纏う者は、一般兵から優秀な腕前を持つ者だけが選抜され登用されるもので、豊富な実戦経験を持ち有能な者が多かった。
 彼等から見れば、新人でありながら殿下のお傍付きという名誉ある役職についた私が目障りだったのであろう。
 私は合同訓練などの度に、何かと当てこすられた。
 
 当然ながら、私は反撃をした。
 彼等から見れば名家のお嬢さまが、その出自によって不当に高い役職を手に入れたと見えたのかもしれないが、私自身にその意識はまるでない。
 いわれのない中傷には、拳を持って反撃する義務が私にはある。
 私の強烈な反撃は彼等を驚かせ――、結果として私は彼等から認められた。
 
 悠陽殿下の紅い剣――。

 いつの間にか彼等は私をそう呼ぶようになっていた。











 その日、私は珍しく自宅へと帰っていた。

 その頃にはすでに帝都城内に私は私室を与えられていて、斯衛の仕事もあいまってほとんど帝都城内で生活しているような有様であった。
 実戦のほうも何度か経験していて、周りの人間を納得させるだけの戦績を上げていた。

 私は自宅の道場で一人で剣の型稽古をしていた。

 戦術機を駆り、戦場に出て行く中で色々と疑問に思ってしまったのだ。
 戦術機の武装は大別すると二種類に分けることができる。遠距離用の銃器と近接戦闘用の刀剣だ。
 私はこの刀剣の扱いに疑問を抱いていたのだ。

 生身で剣を扱う時――、素人は腕力だけでそれを振るってしまう。それでは剣の持つ破壊力は十全には発揮されない。
 真剣を扱う時にはその姿勢、踏み込み、体幹の動き、上体の使い方――、その全てを連動させることが大事になるからだ。

 現在の戦術機による長刀攻撃は素人の斬り方と同じように思えるのだ。
 事前にプログラムされた動作を機械的に行っている。言うなれば戦術機の腕の出力でしか長刀を振っていない。
 戦術機を己の身体を扱うように動かすことができれば、私の機体の斬撃の威力は間違いなく向上するはずなのだ。
 戦術機の全身の出力を長刀に上手く乗せることの研究をすることを私は決めていた。

 そのためには自分の身体の動きを再確認する必要があった。そのために型稽古に集中していたのである。
 
 帝都城から使者が来たのは昼過ぎであった。
 
 殿下からの伝言で、私に正装をして帝都城に大至急来るように、との指示であった。
 普段であれば使者など遣されることはなかった。
 殿下が私を呼び出す時は、電話の一本が近侍から入るのが常だったのだ。
 どことなく不安を感じながら、私は帝国斯衛軍の赤の軍服を纏い、使者の乗ってきた車に同乗し帝都城へ向かった。

 
 その日は殿下の私室ではなく、御前会議の時のみに使われる会議室に案内された。

 部屋の中には、私の父や斯衛の将校。私と同じ斯衛になった真耶。そして高級官僚などが待ちかまえていた。
 物々しい様子で、誰もなにもしゃべらない。
 ふいに、私はその面子が機密情報に触れられる者だけで構成されていることに気付いた。

 やがて殿下がお見えになられた。殿下も正装を御召しになられていた。

 殿下は冴えない表情をされていた。
 沈鬱で――、それでいて何かを決意した表情。私の顔をしばらく眺めてから殿下はゆっくりと口を開いた。

 「月詠少尉、貴官の私の護衛の任を解き――、御剣 冥夜の補佐役の任を与えます。精勤するように――」

 何を言われたのか理解できなかった。
 言葉が耳に入ってから脳に到達するまで多少の時間が必要だった。

 私はきっと呆けていたのであろう――、事務官に促されて、意味もわからず復命した。
 殿下は足早に退席され、残った私は部屋のなかで斯衛の将校から任務についての説明を受けた。
 同席していた父が辛そうな顔をしていた。真耶は感情を顔にだしていなかった。斯衛の将校の声がやけに遠くに聞こえる――。

 かろうじて、耳に入ってきたのはひとつだけ――。

 存在を封じられていた妹君を殿下の影武者に仕立て上げること。

 それが私に下された新しい任務であった。






 ――煌武院家は同じ過ちを繰り返さない。
 
 それが戦国の世を勝ち抜いてきた煌武院家の強さの一端だ。

 煌武院家に再び双子が誕生した時――、生まれた瞬間に弟は封じられた。
 名を変え神職に預けられ煌武院家とは関係のない者として育てられたという。
 成人してからも結婚を認められず、ましてや子供を設けることも許されず、神域より外にでることなく一生を終えたという。
 それは今回も同じだ――。
 妹君はその誕生を臣民に知られることなく、存在を封じられた。

 与えられた名前からそうだ。

 いずれ日本を導く存在になられる殿下には『悠陽』という目出度い名を与えその行く末に幸あれ、と祝福するとともに、殿下にかかる災いを一身に受けさせるべく妹には忌名を与える。

 冥い夜――、という名である。

 およそ人間に与えられるべき名ではないだろう。
 そして御剣家という煌武院家からみれば分家のそのまた分家というところに存在を押し込め封じた。

 歴史的にいなかった存在とされているのだ。
 その者の補佐をしろ、と殿下は私に命じられたのである。

 見限られた――、そう思った。
 私の力が及ばず、殿下に捨てられたと感じた。

 私は殿下のお傍に侍りたかったが――。
 そのお役目は真耶が授かり、私は帝都城を追われることとなった。

 あの日、私は精神に衝撃を受けると全身の力が抜ける、ということを身をもって体験した。
 将官に話しかけられ、それを作法どおりに受け答えできたのは徹底的な儀礼教育のおかげであろう。

 ――何を話されたのか、私は何一つ憶えていないのだから。













 別荘地――、というよりは辺境の地といったほうが適切なのかもしれない。
 冥夜様の住まわれる館はそんな場所にあった。

 御剣家は煌武院家の分家といえども、すでに御前会議には招かれない家柄である。

 当主も老齢で楽隠居という風情であった。 
 たまたま後継者のいなかった御剣家に妹君はあてがわれたと聞いていたが、人の良い老公の顔を見ていると、さもありなんと納得できた。
 
 老公は愛想のいい男で、久しぶりの来客を喜んでいるような節もあった。婦人には、娘の教育をお願いします――、と丁寧に挨拶をされた。

 私はどう返事をしたのだろう――?
 それもよく憶えていない。










 「そ、そなたが月詠か? 」

 あきらかに使い慣れていない言葉使い。
 私はそれに気付かぬ振りをしながら、あくまでも儀礼的に膝を折り臣下の礼をとった。
 堅苦しい定番の挨拶を、何も考えずに演じた。

 殿下と同じ顔――。

 それがたまらなく嫌だった。
 彼女は殿下と同じ顔でありながら、殿下より幼く見えそして気弱に見えるのだ。

 ――帝王の器ではない。

 まるで殿下の存在をこの娘に貶められているような気持ちになるのだ。
 一度は振り切ったはずの思いが甦ってしまう。

 ――私は真耶に破れ……。
 ――殿下に見限られ……。
 ――偽物の世話を命じられた。

 目の前にいる偽物は不安げな様子を必死に隠そうとしながら、私に声をかけた。
 多分、よろしく頼む――、とかそのようなセリフであったと思う。
 おそらく事前に何度も繰り返して練習していたのであろう――。
 その言葉には私の心を打つものは何もなかった。


 私は彼女の侍従長という立場になった。
 今までは老公自らが剣や学問を教えていたらしいが、それではまだ殿下の影武者として使うまでには足りていなかった。

 今更ながら彼女には帝王学や剣術が教え込まれることになり、様々な講師陣が招かれることとなった。
 私はそれに伴い、彼女の相手役を務めることとなった。

 剣術から始まり学問、礼儀作法、帝王学……。
 時には練習相手になり、またある時には私自身が教師となって彼女に師事した。
 
 やはり煌武院の血統なのであろう――。彼女のスジは悪くはない。
 同い年の人間なら、それが男であれ女であれ、彼女が武で劣るとは思えない――。
 頭の切れも同様だ。
 
 だが比べるべき対象が偉大すぎるのだ。

 私はすでに太陽を直視してしまっている。
 あの才に見惚れてしまった者には、たとえそれが金剛石の原石でさえ、紛い物の二級品にしか見えないのだ。






 隔離された状況で、とりわけ親しい友人もいなかったというのが大きいのであろう。
 冥夜様は私といることを好んだ。

 稽古や講義が終わった後、必ず私の部屋へ顔をだしにくる。
 なかば面倒に感じながらも、彼女のまだ幼い少女らしい柔らかな感性は私の心の琴線をくすぐった。
 私には妹はいなかったが、もしいたとすればきっと彼女のような存在になったであろう。

 不思議なことに、殿下に対しては抱くことのなかった感情が、私の中に確かにあった。
 憐憫から始まった彼女に対する感情も、時間とともに少しづつ変化していくのを私は感じていた。

 彼女は素直だった。
 何事も素直に受け止め吸収することができた。
 教育を任された者として、その可能性にはどうしても魅かれるものを感じざるをえなかった。

 ――だが、あえて私は冥夜様と距離をとり続けた。

 まだ自分の感情が上手く整理できていなかったのだ。






 冥夜様の剣術の師は日の本無双と呼ばれた男で、豪快な男だった。
 同時に彼は私の剣の師でもあり、また殿下の数多い講師陣の一員でもあった。
 このことはつまり、師と私だけが殿下と冥夜様の剣を比較しうる立場にある、ということを示しているにほかならない。

 殿下の剣は帝王の剣だ。

 自ら撃ちこむを良しとせず、あくまでその身を守り抜くことを主眼においた剣術だ。
 殿下のお傍付きとなって以来、何度も剣を交えさせて頂く機会はあったが、とにかく守りが堅いのだ。
 女性剣士として国内最高とまで呼ばれた私だが、殿下から一本とるまではいつも一苦労だった。

 そのうえ得意としている薙刀など持たせようものなら、一本とるまでの時間は倍ぐらいまで延びてしまう。
 鉄壁の守りというのは殿下のためにある言葉のように思えた。

 それに比べると冥夜様の剣は――。

 無理押しだった。

 自分の身を守ることはまるで考慮にいれず、常に攻撃を仕掛ける。
 確かに同世代の人間から見れば充分に抜きん出た太刀捌きではあるが、まだ筋力も足りず技も未熟であることから、冥夜様から一本をとることは私には容易だった。



 あれは師を交えた剣術の稽古が終了し、少し休息をとっていた時だったと思う。
 稽古で上気した身体の火照りが収まるまで待っていると、冥夜様が先ほど私に見事に避けられた突き技のおさらいをしていた。

 彼女の突き技は思い切りがいいのだが、一端、すかされてしまうと体勢が崩れていて大きな隙ができてしまうのだった。
 しかし、その欠点を修正するより彼女は突きの威力や精度を上げたいのであろう。
 繰り返し繰り返しその型の復習をしていた。

 「冥夜様はもう少し守りを考えて、剣をとられたほうがよろしいかと存じます……」

 冥夜様にむかって私はそう声をかけた。

 「そ、そうか……」

 この子はいつもオドオドしている。

 はい――、と返事をしようと思った時だった。

 「いや――。あれで良い」

 意外な言葉だった。師はまるで自分自身を納得させるかのように言葉を繰り返した。あれでよい――。

 「……むしろ、まだまだ攻め気が足りておらぬ」

 師の考えることは私にはよくわからない。
 だが何かの意味はあるのであろう。
 私は師の教えの通りに冥夜様を導いていこうと思った。
 私は師にそれだけの信頼を置いている。

 私自身も修行と称して山籠もりに連れていかれたことがあった。
 突然の提案で訳もわからぬまま、なかば拉致同然に山へ連れていかれた。
 山籠もりの間、師から私に与えられた課題は一つだけ。

 ――剣のみで食料となる獲物を確保せよ、とのことだった。

 狩りといえば、猟銃や弓、そして罠などであろう。剣が狩りに使われることはまずない。
 何故、剣ではなくそれらを使うかといえば理由は簡単だ。
 野生動物の勘は鋭い。
 わずかな草ズレの音。空気の流れ、臭い。そして殺気――。
 それでこちらの存在に気付いてしまう。
 こちらの気配を察する能力は人間の比ではない。
 近接しなければ攻撃できない剣は、あくまでも人を殺す道具であって、狩りをするためのものではないのだ。

 私はこの訓練に散々苦しんだ。

 私の剣は人間相手には無類の強さを発揮することができたが、あまりにも殺気が強く野生動物には簡単に察知され逃げられてしまうのだ。
 そして飢え死に寸前まで追い詰められたとき――。
 私は完璧に気配を殺す術を身につけていた。

 そこで初めて、師の真意に気付くことができた。

 だから今回も同じなのであろう――。
 師の考えはまだ掴めないが、何か考えがあってのことだと思えるのだ。










 修行は順調に続いていた。冥夜様の剣捌きは鋭くなっていき、その成長には私も目を見張るものがあった。
 学問のほうも飲み込みが早く、講師陣を喜ばせていた。

 だが、私の気持ちはいまだに割り切れてはいなかった。

 自分でも意外に思ったのだが、私は人に何かを教えるということが性にあっていたらしい。
 いや、むしろ生徒の力に引っ張られた、というべきだろうか?
 冥夜様に教えることが嫌いなわけではない――。

 帝都城で殿下に仕えることができず、斯衛として戦場に赴くことも許されないこの状況が恨めしいのだ。
 自分の能力を生かすべき場所で生かすことができないのが辛いのだ。
 その苦い思いを日々噛み締めながら私はただ生きていくだけだった。

 そして意外なことに――。
 その想いは、この幼い妹弟子も同じように抱えていたのであった。
 
 冥夜様が私に漏らしたことがあった。
 
 剣を磨き、学問を修めたとて誰の役にもたてない――。
 我が身にできることは将軍家の邪魔にならぬよう、息を潜めていることだけなのであろうか――。

 私は何も言えなかった。それが事実だったから――。

 彼女に望まれているのは、まさにそれだった。
 暗闇に息を潜め、いざという時に殿下の影武者としてその身に危険を引き受ける。
 それだけの存在なのだ。

 決して殿下の代替品では決してない――。その役割は殿下の弾除けなのだ。

 だから彼女には、己の望みを持つことは許されないのだ。
 弾除けが己の意識を持つことは決して許されてはいけないのだ。
 もしも、そのことに関して彼女が不満を持てば……。

 私は話題を逸らそうとした。
 彼女に危険な言葉を吐かせてはいけない。そう思ったのだ。
 ところが、彼女が続けた言葉は私の予想とは違っていた。

 「――すまぬ。私のために月詠ほどの者を、このような場所で錆びさせることとなるとは……」





 神代 巽、巴 雪乃、戎 美凪の三人組が護衛として合流したのはこの頃だった。

 彼女たちも武家の出身で白を纏う者ではあったが、通常の武士を祖にもつ者たちとは違い、彼女たちの祖はいわゆる乱波、草などとも呼ばれる忍びの者だった。
 三人とも幼少の頃から特殊な訓練を受けており、三人がかりでかかってこられると流石の私も手を焼かずにはいられない程の腕前であった。

 そして護衛が強化された理由というのは、外界から隔絶されたここではなく、他の場所に原因があった。

 殿下と冥夜様のお父上が――、将軍が倒れられたのだ。
 死病という噂であった。将軍重篤の報は帝国を揺るがしていた。
 その妻である御台所様はもともと身体の強い御方ではないし、後継者たる殿下はまだ若い。

 BETA大戦の悪化という流れもあり、国体を混乱させ、自らの利益を図ろうとする輩がでてくる可能性は否定できないのだ。
 もしそんな連中に冥夜様の存在を知られてしまったら――、冥夜様の存在はこの国の爆弾になりかねないのだ。
 万が一、冥夜様の存在をそのような者たちに利用されそうになったのならば――。
 冥夜様の存在自体を処分せよ――。

 私はそう言い含められていた。
 
 
 

 屋敷の周辺の警戒もより厳重になっていた。
 もちろん私たちの視界に入らないところで警護しているのだが、その気配は感じられる。
 ややもすると息苦しいくらいだ。
 出入りの業者なども厳しくチェックされていた。
 外敵の侵入を防ぐためには仕方のないことなのであろう。
 そして中の者を外に出さないためにも――。

 冥夜様は――。
 会ったこともない本当の父親の容態を大層、心配していた。
 その姿は哀れに思えた。
 捨てられてさえ親を思う。
 私には不憫でいたたまれないのだ。





 敵はそのタイミングを計っていたに違いなかった。
 その日、私は帝都城への定期報告のために御剣邸を離れていた。

 御剣の老公は婦人の体調が思わしくなく、病院に見舞いに行くことになっており、その護衛に神代がついていた。
 神代たち三人組は名目上、御剣の老公の護衛ということでここに配置されているので、この仕儀は無理もなかった。

 内通者は冥夜様の語学の講師だった。
 その男は二年ほど、冥夜様の教鞭をとっていたため、我々はすっかり油断していたのだ。
 彼は巧みな言葉で巴と戎を冥夜様から遠ざけ、その隙に何者かの侵入を手引きしたらしい。
 室内は争った後もなく、また犯行は驚くほど短時間で行われたようだった。
 複数の人間が関与していたのであろう――。よほどの手馴れの人間でなければ、冥夜様をここまで簡単に拉致できるとは思えなかった。

 私が御剣邸に帰り着いた時には、冥夜様が誘拐されてすでに八時間が経過していた。

 冥夜様誘拐の報告は帝都城へされてはいなかった。
 当然ながら報告しなければいけない義務があるのだが、病院より戻られていた老公がそれを止めていたのだ。
 それで正解だったのだと思う。
 もしもこの一件が帝都城へ伝わってしまったら、冥夜様の救出をすることは許されず、発見次第、犯人もろとも冥夜様を処分することになるのだろうから――。

 追跡は三人組の実家のツテを使い行われた。
 将軍家にほぼ直結している私の実家を動かすわけにはいかなかったのだ。
 皮肉にも彼女らの身分がさほど高くないことがこの場合は有利に働いた。

 もとより諜報活動を手がけてきた一族である。
 彼等は手際良く捜索を行ってくれた。


 私は老公と共に屋敷で待機し、三人組からの連絡を待っていた。
 連絡がつき次第、それがどんなところであろうとも急襲し、冥夜様を救出するつもりであった。

 
 嫌な予想が次々と浮かんでくる。

 帝の外戚の邑上公――。
 彼が冥夜様を捕らえ、傀儡として使ったとしたらどうなる――?

 議会の反将軍派の南條議員――。
 将軍家の非道を訴えるには冥夜様の存在は絶好の材料になる――。

 いずれにせよ、冥夜様の存在を知ることのできる高位の人間が黒幕にいるのは間違いなかった。
 焦燥感に苛まれる。敵の姿が見えないことが疎ましい。

 ――大丈夫だ。冥夜様が殺されることはない。その存在が邪魔なのはむしろ私たち将軍家側なのだから……。

 そう自分に言い聞かせているうちに気が付いてしまった。
 思い出してしまった、というほうが正しいだろう。

 私が恐れているのは別の可能性だ――。

 もしも冥夜様が御自分の意思で外に出ることを望み、犯人たちと同行していたのならば……。

 私は彼女を斬らねばなるまい――。

 争った形跡がない、ということがその想像に拍車をかけた。
 もちろん、これが真実かどうかはわからない。
 だが同様にその可能性を否定することもできないのだ。

 冥夜様には能力がありすぎるのだ。鷹は鳥篭で飼うことはできない――。
 その翼は飛ぶことを求める――。

 自分の失態にこれほど腹がたったことはない。
 今すぐにでも容疑者の所に殴りこみをかけたい気持ちで一杯だった。
 一刻でも早く、冥夜様のお姿を確認したかった。

 はやる気持ちが表情にでてしまっていたのであろう。
 御剣の老公が私に諭すように話かけてきた。

 「大丈夫……。あの子は強運の子だ。何も心配することはない」

 暖炉の火を眺めながら老公はゆっくりと語っていた。

 「……老公」

 この一件が漏れれば、当然、御剣家も取り潰しの危機を迎えることになる。
 そうなれば祖先の功績を全て潰してしまうことになるのだから、およそ武門の人間にとってこれほど恥じるべきことはない。
 
 私には老人の余裕の意味がわからなかった。
 本当に運の強い子なのだよ――。老人はそう繰り返した。

 「あの子を引き取った時の話は月詠殿にはまだしていなかったな……? 」

 老人の視点は暖炉の火から離れることはなかった。
 まるでその炎に、その日の光景が映し出されているかのように老人は話し始めた。

 「……もう十五年以上も昔になる。あの頃の私は煌武院家の血族として中央で働いていた」

 「……」

 「……それと同時に、いくつもの事業を経営し、政治的な発言力もかなりのものがあった……。子供がいないのが残念ではあったがの……」

 噂でしか聞いたことはなかった。私が政治に興味を持ち始めた頃には、老人はすでに中央から身を引いていた。事業にも失敗したと聞いていた。

 「御台所様ご出産の時、私は帝都城にいた――。双子を出産されると知っていたのはわずかな人間だけだった。私もその一人――」

 老人はなんだか少しばかり嬉しそうだった。

 「私は将軍閣下がまだお若い頃、守り役をしていてな――。アイツが御台所様と知り合ったのは私のおかげなのだよ」

 初めて耳にした話だった。
 老人は含み笑いしながら、アイツも今じゃ、偉そうにしてるがね――と言った。
 老人は暖炉の火にむかって話し続けた。優しい眼をしていた。

 「珠のように美しい子だった――。本当に綺麗な子でな、誰もが祝福をせざるを得ないような子だった。二人とも元気に泣いていた……。だが、その横で御台所様の表情は優れなかった……」

 ――そうだろう。御台所様からしてみれば、来るべき時が来てしまったという気持ちなのだろう。

 御台所様の心中をお察しすると堪らないものがある。
 老人も難しい表情を浮かべていた。
 だが何故、老人は今、この話を私に聞かせるのだろうか?

 「もちろん、煌武院家の仕来りは私も知っていた……。その赤子のどちらかが封じられねばならない、ということはな……」

 「……老公」

 「……そうすべきではないと思ったのだ。この素晴らしい可能性を封じていいはずがない……。私はそう思った」

 「……」

 「……だから私は願い出た――。御子様を引き取らせて欲しいとな……」

 「――!? 」

 聞いていた話とは違っている。たまたま後継者のいない没落していた家に放り込んだと聞いていたのだ。

 「――もちろん、側近たちは皆、反対した。将来の将軍と同格の者を一武家に預けては、必ず将来の禍根になる、と――」

 「……」

 「……彼等の言い分は解る――。外戚どころの騒ぎではない。将軍になる資格を持つ者を他家に取り込まれると思ったのであろう……」

 それは戦乱の火種にしかならない。五摂家や譜代の混乱の様が目に浮かぶようだった。

 「――言ってやったのだよ。……事業は全て処分する。御前会議にも二度と出席しない。隠棲し閣下の前にも参上することは永久にしないとね――」

 老人は笑った。まるでそのことが本当に誇らしい出来事だったかのような顔をしていた。

 「皆、驚いていたな……。妻にも相談せずにその場で事業を全て売り払い、公職の辞表を全部まとめて書いてやった――」

 老人はもう一度、瞳を閉じた。

 「妻は石女だったゆえ――、一族からは色々と言われていたらしい。……だがそのお蔭であの子を持ち帰る機会を得た」

 老公の細君は物静かな方だった。慎み深くお優しい方なのは私もよく知っていた。 
 
 「……楽しかった。孫と言っても差し支えないほどの子ではあるが、私たちは彼女を自分たちの娘として扱った。自分が武人としてではなく、初めて人間として生きた気がした」

 ――冥夜様に人間にして頂いた……?

 「……時々、あの子がここにくることは、ずっと前から決まっていたのではないかと思うことがある――。あの子のために我が家は席を空けて待っていたのだとね」

 運の強い子だよ――。老公はそう呟いて再び目を瞑った。
 それから何かを思い出したかのように微笑むと私にむかってこう言った。

 「――おまけに帝国最高の女剣士が鍛え上げてくれた娘だよ。これくらいのことで、どうにかなるとは私には思えんね」




 神代から連絡があったのは、それから約二十分後であった。

 冥夜様の無事と――、冥夜様が犯人たちを捕らえたということだった。












 港湾地区の廃工場に彼女はいた。

 七人の人間が縛られ床に転がされている。
 三人組とその一門に連なる者が二十名ほどいて、その中には神代たちの父親の姿も見えた。

 挨拶を交わし礼を言う。
 表だって恩賞を与えることはできぬが、礼は必ずする――。
 私がそう告げると彼等は逆に、娘たちの失態を見逃して頂けるだけでもありがたい――、と言った。

 冥夜様は――、落ち着いていた。その様子を見て、私は思わず安堵のため息をついてしまった。

 「冥夜様。ご無事でございますか? 」

 「月詠、心配をかけたな――」

 冥夜様は怪我一つなく、その様子は私を喜ばせた。気が抜けたと言ってもいいだろう。
 だが同時に、無傷で制圧できたということは違う可能性があることも示唆していた。

 敵の背景は冥夜様から聞くことができた。某国の犬と呼ばれる小国のスパイの企みだったらしい。
 彼等に冥夜様の存在を伝えた黒幕は掴めなかったが、とりあえず犯人一味が日本人でなかったことに私は休心していた。

 だが私にはこれから重大な確認作業が待っているのだ。

 私は冥夜様の行動を問わなければならない。

 強引に拉致されたのか――?
 騙されてついていってしまったのか――?
 それとも、相手の言葉に賛同してしまったのか――?

 緊張が背中を登ってくる。

 「冥夜様は、これが何者かの企みであるとお気づきになられなかったのでしょうか――? それとも気付いた上で連れ出されてしまったのでしょうか? 」

 「……気付いていた……、のだと思う……」

 「……では、何故――? 勝手に屋敷を離れることは厳禁されていたはずです……。その場で取り押さえることもできたのではないでしょうか? 」

 「――母上が会いたがっていると言われたのだ……」

 ――……これでは彼女を許すことはできない。この方は自分の望みを持ってはいけない方なのだ。

 彼女には同情できるが理由は関係ないのだ。自らの意思で動いたということが問題なのだ。
 自らの望みを持ち、それを叶えようとして行動したのならば――。

 私は取り決めに従い――。

 彼女を処分しなければならない。

 「……お会いしたかったのですか……? 」

 呟くようにしか声がでない。

 彼女はしばらく黙っていた。

 私にはそれが彼女の肯定の意を表しているように見えて――、その時が来てしまった場合の覚悟を決めなければならなかった。

 「会いたい気持ちはある……」

 「では――……」

 ――ご不満なのでしょうか?

 もし、わずかでもそう思う気配があるのならば――。

 私はこの方を誅殺せねばならない。
 私は刀の鯉口にそっと手を伸ばした。私は自分が震えていることに気付いた。

 「辛いと思うのだ……」

 「……」

 「子に会えぬ親と言うのは――」

 「……!? 」

 私の心に大太刀が打ち込まれた。

 「腹を痛めて産んだ我が子に会いたいのは当たり前であろう。……しかし、それをしてしまっては、この国のために良くない――。そう理性で考え感情を押し殺すのは、どれほど辛いことであろうか……」

 「……」

 「叶う事ならば冥夜は元気に育ちましたと伝えたいものだが……。だが、それは許される事ではないであろう……」

 「……」

 「連中は御台所様の言葉を騙ったのだ――。絶対に御台所様が語らないであろう言葉を語ったのだ。……だから騙されたフリをしてやったのだ。御台所様の心を騙り、殿下の行く道を邪魔するものを成敗してやろうと――。……心配をかけた。許すが良い――」

 ――あぁ……。

 ――この方は私とは違う。

 この方はやはりあの御方の妹君だ――。

 自分のことではない。相手のためを思い行動したのだ。自分の望みではなく、将軍家とこの国の民のために――。

 真実――。

 ――その魂まで双子なのであろう。 

 自然と膝が折れ、私は頭を垂れていた。

 「どうした? ……月詠? 」

 冥夜様は何があったのかわからない様子で私に問いかけてきた。

 「――心服つかまつりました」

 「……? 」

 「これより我が身命尽き果てるまで御身に捧げまするゆえ、これまでの無礼の次第、何卒お許し頂きたく……」

 「待て、月詠。……何の事だ? そなたの忠誠には常に満足している――」

 もったいないお言葉だ。
 自らの不明を晴らすわけでもなく、ただ状況に流されるだけであった者に対し掛けて頂ける言葉ではない。

 「冥夜様こそ、我が主として相応しい方として改めて心服いたしました次第であります――」

 「そ、そうか――? 」

 まだ理解できてないのであろう。少し恥ずかしげに冥夜様は返事をされた。






 その日から冥夜様と私の関係は変わった。私は心から冥夜様にお使えし共に汗を流し研鑽を重ねた。

 例え、その輝きが発せられる機会が、この先一度も与えられることがなかったとしても――、この掌中の珠を極限まで磨きあげることを許されたのは、無上の喜びであるのだから。

 私は夢を見ていたのだ――。
 いつの日か、全てのしがらみから解き放たれた冥夜様と、ともに剣を振るい戦場を駆け抜けることを――。
 彼女の剣となって戦うことのできる日々を――。


 
 その後の一年にも満たない時間が、私たちにとって最良の時間であったことは言うまでもない。

 三人組は、まるでその祖が忍であるというよりは道化であったかのように振る舞い、私たちをおおいに笑わせ楽しませてくれた。

 冥夜様は三本に一本は私から確実に取れるようになっていて、その成長は私を狂喜させた。
 同時に師から免許を皆伝され、それを祝して一振りの剣が師より冥夜様に与えられた。

 私はその剣の真の送り主を知っていたが、冥夜様にはあえて何も告げなかった。
 送り主もそれを望むであろうことは明白だったからだ。

 いずれにせよ、私が剣で冥夜様の上にいられるのも、あと二~三年が限界であろう。

 それは決して悪い気分ではない。

 御剣の老夫妻に見守られながら、厳しいながらも楽しい――、夢のような時間を私たちは過ごしていた。
 











 国連軍の衛士訓練校に入校することになったのは、日本政府の意向であったが、その要請は彼女の意に沿っていた。
 なによりも彼女はその武をもって、臣民に奉仕することを望んでいたのだ。

 もとより冥夜様は帝国軍に入隊が許されるような存在ではない。
 
 事実上の人質とはいえ、臣民のために戦うことが許されたのが嬉しいのであろう。
 冥夜様は入校の要請を二つ返事で引き受けた。
 
 私は冥夜様についていくことを決めていた。
 特別扱いを望まぬ冥夜様からは、やんわりと断りの言葉を頂戴したが、私はあえてそれを無視した。

 真耶を通し殿下に上奏する。
 冥夜様が気付いた時には、すでに我が第19独立警護小隊は極東国連軍横浜基地にて新しい任務に従事することが決定していた。

 すなわち――、御剣 冥夜訓練兵の身辺警護である。

 冥夜様は最後まで抵抗していたが、御剣の老夫妻の言葉もあって結局はシブシブとそれを認めてくれた。






 これも何かの縁であろう――。横浜基地で冥夜様と同じ隊に配属された彼女たちの父親の全てと、私には面識があった。

 帝都城でもよく見かけた首相。
 殿下の講師の一人であった将官。
 国連事務次官。
 帝国情報省一の切れ者。

 その娘たちが冥夜様の良き友として傍にいてくれている。いずれの者も誠実で素晴らしい若者だった。
 冥夜様にこれほどの友人ができたことを心から祝福したい。

 ただ、中でも特筆すべきなのは彼の存在であろう。

 白銀 武。

 XM3を開発し、私でも舌をまくほどの腕前の衛士。
 
 彼の背景はいまだに掴めてはいない。
 香月博士に隠蔽されてしまった現在、判明することもないだろう。そして探る意味も――、もはやない。

 冥夜様の存在を脅かす者として見ていたのも昔の話だ。
 今では彼が冥夜様の近くにいてくれることをありがたく思う。

 一流の衛士として、信頼のおける仲間として、そして――、冥夜様の想い人として。

 残念ながら冥夜様が誰かと結ばれるということは、現実的には許されることはないであろう。 

 だがどんな仕来りがあるにせよ、心の中は自由だ。
 冥夜様が誰にどんな想いを寄せようとも、私には報告の義務はない。

 そして愛する者の傍にいられるという喜び。
 これを邪魔するつもりは毛頭ない。






 すでに私の望みは叶った。

 一時のこととはいえども、私は彼女の剣として戦うことができた。
 鍛え上げたこの剣を、剣友とともに思う存分、振るうことができたのだ。
 三人組も同様であろう。
 横浜の地獄のなかで私たちだけは歓喜に打ち震えていた。
 
 私たちは報われた。

 ――もはや思い残すことは何もない。

 
 冥夜様たちはこれから最大の戦いに臨むことになる。
 支援もなく撤退も許されることのない究極の孤立戦だ。

 同行し、ともに戦いたいという想いが湧き上がってくるのは隠しようのない事実だ。

 だが、彼女と私の立っている場所は今はもう遠く離れてしまっている。
 もはや私が彼女に協力できることは、ほとんどないのだ。

 それでも――。
 この身をもってできることの全てを彼女のためにしてやりたい。
 我が身命尽き果てるまで御身に捧げる――、私はそう誓ったのだから。





 ――それを行うことは帝国臣民に対する裏切り以外のなにものでもない。

 だが、この機体を提供することで、彼女の任務の成功率と生還の確率がわずかにでも上がるのならば私はそうするつもりだった。

 帝国の臣民の血税で作られた貴重な機体である。
 家を失い、家族を失った臣民が納めてくれた税金で建造された大切な機体だ。

 一介の士官が自らの判断で他者に貸与してよいものではない。

 その戒めを破るものには、死をもって罪を贖うことを求められるだろう。

 死刑――、もしくは軍籍剥奪の上の禁固刑。自害は許されず、家名が断絶される恐れすらある。

 祖先と両親に頭を下げたとて、到底、許して頂ける話ではない。

 今、私はそれを行おうとしている。

 ――三人組のことも止めようとは思わない。

 彼女たちも私と同じ気持ちであろうし、一緒に死んでくれ、と言われることがどれほど嬉しいことか私にはわかるのだ。

 だからこそ武御雷を受け取ることが私たちの死刑執行許可証にサインすることだとは、冥夜様に気取られてはいけない。

 幸いなことに私は嘘やハッタリが得意だ。
 殿下と共に受けさせて頂いた教育の賜物だ。
 露見せずに嘘を吐き通す自信はある。

 ――……いや、違うな。

 私はまたも冥夜様を見縊っていたことを反省した。

 嘘をつく必要はないかもしれない。

 今の冥夜様ならその全てを理解したうえで、何も言わずに武御雷を受け取るであろう。
 私や三人組の生死、そして帝国臣民の財産を侵害することを全て承知したうえでもなお、黙って受け取るに違いない。

 なぜならそれは――。

 帝王の覚悟だからだ。

 私は二人の帝王にお仕えすることができたことを心底、誇りに思う。


 

 振り返って考えれば、殿下は本当に大切なものを冥夜様に下賜され続けていた。

 煌武院家に代々継がれてきた神剣 皆琉神威。
 将軍専用の紫の武御雷。

 そこに私自身を加えても良いと思ってしまったのは、私の思い上がりだろうか――?

 いずれにせよ、これは運命だったのだ。

 悠陽様を明るい日のもとで歩ませるために、冥夜様が暗い夜の道を行くことを言霊によって定めたというのならば、私が冥夜様と共に歩むことは最初から決まっていたのであろう。

 なぜなら――。







 我が名は月詠――。

 月は冥い夜にありて道を照らすもの――。


 

 
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